5-1 シリウス
アーヴァイン・ノディスィアという国王は、豪胆で強い指導力のある人物だったという。
序列第一位の星獣シリウスの主人でもあり、魔獣が出没すれば自ら軍を率いて殲滅に向かい、最前線で戦った。
公明正大な君主で、高い能力を有する者ならば、術者の家系でなくても取り立てたことでも有名だった。
当時、軍に所属していたマクシミリアン・ヘーゼルダインも彼に取り立てられた者の一人だった。
まともに術を使えないのに、国王の護衛役や剣術の指南役としてアーヴァインに仕えていたのだ。
公の立場では君主と軍人。私的な立場では友人のような気安さだった。
互いに妻に先立たれて、後妻を迎える気がなかったこと、そして得意な分野は違ってもとにかく強くあろうとする姿勢が共通し、暇さえあれば一緒に鍛錬を行う関係だった。
事件は今から約三十年前の大きな魔獣被害の最中に起こった。
当時の国王アーヴァインは凶悪な魔獣が出没したため、星獣使いとして討伐に赴いた。
表向き、彼はこの魔獣との戦いで行方不明となったとされているが、それは間違いだ。
アーヴァインは魔獣を倒したあと、人に襲われて行方不明になったのだ。
マクシミリアンは別働隊を率いていたため、その場にはいなかったのだが、アーヴァインがいるはずの野営地付近でシリウスの異常なほどの星神力が解き放たれたのを最後に、アーヴァインもシリウスも姿を消した。
当時、アーヴァインと行動を共にしていた軍人は、魔獣ではなく暗殺だと主張する者もいたし、襲撃で命を落とした者の傷跡が刃物によるものだったことを鑑みれば、真実は明らかだった。
けれどそれらはすべて、新国王となったアーヴァインの息子によって隠蔽された。
なぜか本隊にいた士官の何人かが、口を揃えて「予期せぬ魔獣の襲来だった」という証言をした。
それに異を唱えた者は左遷されてしまったり、妄想によって国王を愚弄する者として捕らえられた。
「父上が人に殺されただと? 序列第一位の星獣使いよりも強い者がいるとでも? そんな主張をする者こそ、王族を
これが新国王の主張だった。
実際には星獣使いは無敵ではない。
たとえば寝込みを襲われるとか、信頼できる者に毒を盛られるといった方法で星獣使いが人間の手によって弑された例はある。
けれどそんな主張が罪になると言うのならば、もう皆が口を噤むしかなかった。
こうしてアーヴァインとシリウスは行方不明のまま、「勇敢に魔獣と戦い勝利したのちに命を落とした先王と、最後まで主人を守った星獣」となり、実質的な死亡扱いという認識が国内に浸透していった。
新国王は、戴冠式が行われる前に平民の軍人であるマクシミリアンを左遷した。
アーヴァインの御代にあった能力を重視した国は、一瞬にして消えてしまったのだ。
それを悟ったマクシミリアンは退役を願い出た。
証拠がないため決して口には出さなかったが、暗殺を企てる者がいたとして、それによって利益を得る者が最も疑わしい容疑者となるのは明白だった。
利益を得たのは、誰だったのか――。それは簡単な問いだった。
新国王は劣等感の塊のような青年だった。
自分が星獣使いになれなかったことから、いつも次期国王の地位が誰かに脅かされはしないかと怯えていた。
アーヴァインの息子は一人だけだったが、王位継承権は王家の縁戚も持っている。
今後、王家の血を引く誰かが星獣の主人に選ばれたら?
新国王は疑心暗鬼になり、強さこそ正義だという考えを持つ自分の父親を憎んだ。いつかアーヴァインが息子の力に疑念を持ち廃嫡するのではないかと怯え、そうなる前に殺した――そういうことではないのだろうか。
国王アーヴァインが行方不明となってからマクシミリアンが都を去るまで、たった一週間の出来事だった。
マクシミリアンは都の屋敷を引き払い、一人娘と一緒に故郷に帰るつもりで旅に出た。
けれど途中で娘が体調を崩し、しばらく宿に滞在することとなった。図らずもアーヴァインたちが行方不明になった山岳地帯に近い町だった。
シリウスが放ったと思われる星神力があまりに強大だったため、感受性の強い者はその残滓に影響され、船酔いのような症状に襲われていた。
それが娘の体調不良の原因だった。
マクシミリアン自身は術者としての才能は皆無だったが、娘はそれなりに術が使えた。
亡きマクシミリアンの妻が下級貴族の出身だったせいだろう。
数日滞在していると、宿の二階にあるマクシミリアンの客室に白い小型犬が姿を見せるようになった。
宿に動物を入れるわけにはいかないので、何度も追い払おうとしたのだが、娘がそれを止めた。
「お父さん、この子……お父さんに用があるみたい。呼んでいるの……一緒に来てほしいって言っているみたい……」
マクシミリアンは娘に請われて、犬の誘導に従い山岳地帯へ入った。
術者ではないし、星神力を感知する力もほぼないマクシミリアンですら森の雰囲気がおかしいのがよくわかった。
瘴気が一切存在しない、神聖な場所に入り込んだ心地だった。
犬は山奥の洞窟の中にマクシミリアンを案内した。
そこにいたのは、なにか膜のようなものに包まれ、眠っているアーヴァインだった。
「ワンコロよ。……おぬしはもしかするとシリウスなのか?」
「ワン!」
アーヴァインは瀕死の重傷で、シリウスの星神力に守られ仮死状態のまま眠っているという状況のようだった。
もし新国王がこの地を満たす星神力を「残滓」だと決めつけず、アーヴァインやシリウスの捜索をしていれば発見できていたはずだ。
もしくは、ほかの星獣使いがこの地に派遣されていたならば、星神力を使い続けるシリウスを察知できただろう。
たまたま見つからなかったことが、アーヴァインにとっての幸運だったのか不運だったのかは、マクシミリアンにはわからない。
暗殺の首謀者が新国王で、すでに権力を掌握している段階だとすると、アーヴァインの存命を報告したら取り返しのつかないことになる気がした。
だからマクシミリアンは、退役した軍人などかつての仲間の手を借りてアーヴァインを匿うことにした。
治療をはじめても、アーヴァインは一週間以上目を覚まさなかった。
そして、ようやく目が覚めたと思ったら記憶を喪失していた。
体が衰弱していて、記憶もない。そんな状況で生存を報告しても、再び暗殺される危険が高かった。
すでにアーヴァインの忠臣たちは隠居させられたり、左遷となったりしていて、国の中枢は新国王に都合のいい者ばかりで固められている。
もう彼が戻る場所など、どこにもないのだ。
少しずつ回復していったアーヴァインは、自分を取り巻く状況を知っても、あっけらかんとしていた。
「息子に寝首を掻かれるとは。なんともだめな父親だったんだな……、その先王とやらは」
記憶がないならではの自虐を込めて、そんな感想を述べた。
正統な国王として責任を持って新国王を討てなどと、マクシミリアンはどうしても口にできなかった。
マクシミリアンは友の平穏を願い、彼を守るために傭兵団を立ち上げた。
アーヴァインを表に出すわけにはいかなかったが、金勘定や家事、傭兵団の家族の護衛などを担当してもらい、共同生活はうまくいっていた。
アーヴァインは国がだんだんと腐っていく現状には胸を痛めているようだった。
それでも記憶も政治的な影響力も失った彼が動いても内乱を引き起こすだけだから、打つ手がなかった。
だからマクシミリアンとしては、このままアーヴァインや仲間たちとひっそり生きていくつもりでいたのだ。
愛娘とアーヴァインが惹かれ合ったのはさすがに予想外であったが、これでもマクシミリアンは認めていたつもりだ。
結婚を認めてほしいと懇願してくるアーヴァインと決闘し、その後も理由をつけては決闘ばかりしていたが、娘も友も、やがて生まれてきた孫のフィルも大切だった。
毎日の喧嘩と決闘を繰り返しても、やはり仲のよい家族だったのだ。
残念なことに、フィルが幼い頃に愛娘とアーヴァインは流行病で亡くなってしまった。
マクシミリアンは複雑な生い立ちの孫を守ると親友と娘の墓標に誓った。
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