5-2
フィル・ヘーゼルダインの父親は風変わりな人だった。
マクシミリアンと毎日言い争いをしていて、決闘もしている。けれど昼に喧嘩をしても夜には肩を組んで一緒に酒を飲み、楽しそうにもしていた。
「なんでヘーゼルダイン家の婿がワシと同世代のおじさんなんだ!」
「記憶喪失のせいで自分がおじさんだという自覚も失ってしまったようだ。許せ、記憶はないが、たぶん親友……」
「いや、許さん! 許さんぞ」
三歳頃にはすでに、祖父も父も決闘を趣味にしている変人なのだと悟った。
近所に住む傭兵団の団員たちもヘーゼルダイン家に入り浸り、そのせいで賑やかで明るい一家だったと思う。
けれど残念なことに、フィルが四歳の頃両親が相次いで亡くなってしまった。
葬儀と埋葬が終わっても、愛犬のスーが父の墓標の前から離れなかったのをフィルはよく覚えている。
「スーや、……おまえは
マクシミリアンが問いかけても、クゥゥン、と小さく鳴くだけだ。
当時のフィルは、スーが星獣だと知らなかった。
だから動こうとしないスーが寒さで死んでしまうかもしれないと心配して、毛布に包んでみたり、好物の肉を持っていったりと世話を焼いた。
スーを無理矢理墓から引き離しても、目を離すと戻ってしまう。
マクシミリアンは、スーのことなど放っておけという態度だった。
文句が多いけれど優しい祖父が、どうしてスーのことを心配してあげられないのか、幼いフィルにはわからなかった。
冬の嵐の日。ずぶ濡れになっても父の墓から離れないスーに腹を立てたフィルは、「スーがここにいるなら僕も動かない!」と意地になって隣にしゃがみ込んだ。
この頃すでに、フィルは息を吸うように術が使えていた。
祖父からは人がいるところで使うなと注意されていたが、嵐で無人なのだから誰もいない。
だからスーと自分を取り囲む防御壁を築いて、ずぶ濡れのスーを乾かす術も使った。
「ワウゥゥ」
なんだか余計なことをするなと言わんばかりのスーの態度に、フィルは頬を膨らませた。
「意地っ張り! 家族に心配かけないでよ! スーのばかっ、ばかっ!」
「ワン……」
一応、反省している様子もあるがやはりスーは動かない。
フィルはそのままスーを抱き上げて温めてやった。術と自らの体温でスーの置かれている環境を快適なものにしてやったのだ。
そうやってスーを守ってやらないと、いつか消えてしまう気がして怖かったのだ。
スーに快適な環境を提供するということは、フィル自身にとっても快適だということだ。
幼いフィルは自分で使った術のせいでだんだんと眠たくなっていき、いつのまにか眠ってしまった。
「あれ……? なんで僕の部屋に……?」
そして目が覚めたとき、フィルはなぜか自分のベッドで眠っていた。
慌てて起き上がり、スーの姿を探す。ベッドから下りようとしたら、床がほぼ見えなくなっていることに気がついた。
「わ、わぁぁぁっ!」
狭い私室の床を覆い隠していたのは白銀の大きな犬だった。
驚いたのは一瞬だけで、この犬がスーと同じ気配をまとっていることはすぐにわかった。
「スー、どうしちゃったの?」
「クゥゥン」
フィルの右目の付近にスーが鼻先を寄せてきた。
なにかを求めているのだとフィルにもわかった。拒絶したら、スーはきっといなくなってしまうと本能で察した。
「スー……」
大きくてもふもふしている体をギュッと抱きしめる。するとスーがフィルの右瞼にキスをした。一瞬、網膜が焼き切れるのではないかと思えるほどの光が室内を包み込む。
この瞬間、フィルは幼くして星獣使いとなったのだ。
その後、フィルはマクシミリアンから星獣使いやスーのこと、アーヴァインのことを教えてもらった。当時のフィルは幼かったため話のすべてを理解していたわけではない。
ただ、もし権力者にフィルとスーの存在が知られてしまったら大変な事態が起こるということだけはわかった。
だからフィルは家の中以外では右目を隠し、身を守るためにスーをできるだけ実体化させながら普通の飼い犬として扱っていた。
マクシミリアンは、星獣使いであるという事実を他人に悟らせるなと念を押す一方で、フィルにあらゆる戦いの術を教え込んだ。
けれど、術者ではないマクシミリアンや、術を得意としていない傭兵団の団員たちは、根本的な星神力の使い方を教えることができなかった。
フィルはある程度独学で術を会得していたのだが、無駄も多く、繊細な術は苦手としていた。
体つきが大人に近づくに伴って、だんだんと自分の中にある星神力があふれ、いつか決壊してしまうのではないかと恐れるようになった。
だから危険を承知で軍に所属する道を選んだ。
軍に所属するということは、国――つまり、親の
それは重々承知だったが、同時に魔獣から民を守る職務にはやりがいを感じていた。
(どれだけ術が使えようとも、平民の俺が中央に配属されることなどないのだから。それに父さんも術を人のために役立てない生き方など望んでいないだろう……)
記憶の中にあるアーヴァインは陽気な人だった。
けれど、特権階級の者が民を虐げたという話を聞くたび、別人のように怒りをあらわにしていたことをフィルはよく覚えていた。
近くに魔獣が出没したとき、戦いたいと訴えるアーヴァインをマクシミリアンが宥めている姿もなんとなく覚えている。
国王だった頃の記憶がなくても、彼の中には責任感があって、星獣使いの責務を果たせないことに苦しんでいたのだと今のフィルにはわかっていた。
予想どおり、フィルは術者としての頭角を現した。
一応、祖母側の家系が術者だったからその先祖返りという設定で堂々と術を使い、それなりに出世をしていった。
灰色傭兵団の祖父直伝の剣技と術を組み合わせたフィルの戦い方は、軍内部でもよく話題になったという。
途中から、軍上層部の貴族たちに嫌われて、左遷気味となっていた。
けれどフィルにとっては好都合だった。軍人としての職務にはやりがいを感じる日々だが、貴族たちと関わりたいとはつゆほども思わないのだから。
それから数年。二十歳の頃に発生したエインズワース領での大規模な魔獣被害がフィルの運命を大きく変えた。
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