5-3

 それから数年。二十歳の頃に発生したエインズワース領での大規模な魔獣被害がフィルの運命を大きく変えた。



 当時その地域を管轄していた部隊は壊滅、私兵を率いて翼竜を抑え込んでいた領主までもが戦死するという取り返しのつかない状況になっていた。

 危機的状況になってようやく、別の地域の部隊に救援の指示があった。


 当時のフィルの階級は大尉で、一つの中隊を率いる立場だった。

 被害の深刻さを理解していない都に住む権力者と、命令が出てからしか動けない自分自身の両方に憤った。


「領主は発生当初から星獣使いの派遣を要請していたというのに!」


 エインズワース領の惨状を目の当たりにして、フィルはやり場のない思いを叫びにした。

 被害は、翼竜そのものよりも活性化したほかの魔獣の数が多すぎることが問題だった。

 エインズワース領内の砦にいた兵と領主の私兵によって、それらはほぼ駆逐されていたが、対価として多くの兵を失い、率先して戦っていた伯爵も命を落としたという。


 エインズワース伯爵の戦死後、翼竜に直接攻撃できるほどの力を持った者がいなくなり、防御壁を維持するだけで精一杯という状況に陥っていた。


 この時期、現役の星獣使いは王太子ジョザイアとシュリンガム公爵子息ドウェインの二人だけだった。

 二人とも身分が高く、まだ十代であるため魔獣の討伐には積極的に参戦していない。

 地方の軍人からすると、弱い魔獣を狩って適度に実績を積んでいるだけの役立たずな子供――そんな認識だった。


 星獣使いがいないのならば、もうフィルが本気を出すしかない状況だ。

 犠牲になるのは民と一般の兵だ。保身のために力の出し惜しみをして彼らを見殺しにすることなどできなかった。


 フィルは部下に対し防御壁の維持への協力を命じてから、単身で翼竜のもとへ向かった。

 この時点で翼竜は片翼を失っていて、だからこそ凶暴化して誰も近寄れないという状況だった。

 フィルは、バレない程度にシリウスの力を使い、自身も傷つきながらなんとか翼竜討伐に成功した。


(エインズワース伯爵か……。相当な術者だったんだろうな……)


 もし翼竜が無傷だったら、きっと「バレない程度」などという悠長なことを言っていられる余裕はなかったはずだ。


(……やばい、意識が遠のきそうだ。もう少しスーに頼るべきだったか……?)


 シリウスの健在が知られたら、間違いなくフィルが先王の息子であることも露見する。フィルには現王家と対立する気はさらさらない。

 なんの計画性もなく自分の父親を陥れた者に復讐をしたいと願うのは無責任だ。

 国王を倒そうとすれば、どれだけフィルのほうに正義があっても内乱を引き起こす行為となる。その結果、苦しむのは民なのだ。

 だから、シリウスの存在を気取らせないギリギリで戦いに勝利したフィルの方針は、きっと正しかった。


 正しい行いの代償は激痛だった。


 あばらと腕が骨折して、歩くたびに息ができないほどの痛みに襲われるような状況だった。

 翼竜の絶命を知ると、フィルの部下が迎えに来てくれた。

 司令部の置かれた町に入ると、兵と民からものすごい歓迎で出迎えられたが、フィルとしては声が腹のあたりに響くので静かにしてほしいとぼやきたくなった。

 部下二人に支えられながら、やっとのことで救護部隊がいるはずのテントまでたどり着く。


「いっそ気絶したい……さすがに……」


「大尉! しっかり! しっかりしてください」


 命に関わるほどではないとわかっていたが、重傷ではある。

 静かに休み治療を受けたいというのに、テントの中が妙に騒がしかった。


「シュリンガム公爵子息! 国王陛下の許可を得ず、このようなところにいらっしゃってはなりません」


 この地域の救護部隊の責任者と思われる士官が、淡い紫色の髪をした人物に詰め寄っていた。


「うるっさいわねぇ! もう来ちゃったしこっそり五十人治療しちゃったもん! あとで始末書でもなんでも書くわ。あなたが見逃してくれれば万事解決なのよ! ……そうよね、一般人のネッサちゃん」


「言葉遊びは面倒です。ドウェイン様は治療に専念してください」


 その人物は戦場に似つかわしくない派手な衣装を着ている。正体を隠すつもりがあるのだろうかと疑いたくなるほど上等な服だが、よく見ると泥だらけだ。そして外套のフードの中にはふわふわとした花のようなものが見え隠れしている。そこから清らかな星神力が生まれ救護用のテントの中を満たしているのがはっきりとわかる。


(シュリンガム公爵子息……あれがミモザの主人。……なんか、想像してたのとだいぶ違う)


 治療しちゃったもん、という言葉に脱力し、フィルはその場に崩れ落ちた。

 ドウェインという人物は、まだ少年の面影を残す若い男だった。――というより、どう見ても男装している女性にしか見えなかった。

 痛みで思考が鈍くなっているフィルにも、彼が命令のないまま戦地にやってきたという状況だけはわかった。


「よくこんな状況で帰れなんて言えるわね? それってあそこにいる重傷者の命なんてどうでもいいって言っているのと同義だとわからない?」


 王命がないのに星獣使いが勝手に動くなと言うのなら、それは助けられる命を助けるなと言っているのと同じだった。


「わ、私は知りませんぞ!」


 さすがに、見捨てろという主張をこの場でできるはずはない。もしそんなことを言い続けていたら兵士たちの暴動に繋がってしまう。

 責任者と思われる士官もようやくそれに気がついて、フンッと顔を背けてから去っていく。

 ドウェインはペロリと舌を出して、勝ち誇った顔をした。


「自分のやったことの責任くらい、自分で取れるわよ」


「始末書。……私、今回は絶対に書きませんからね……。それから公爵様やお兄様方に叱られても庇いませんから」


 ネッサ、と呼ばれていたメガネの女性が軽傷者への手当てを行いながらそんな宣言をした。


「未来の夫の苦労は妻も背負ってよ。……その代わりネッサの苦労は私が背負うんだから」


「私の苦労の九割はあなたのせいです! いつもいつも振り回されて……」


 助手らしき女性はドウェインの婚約者といったところだろう。文句を言う割には二人で旅をしてきたのだろうから、ドウェインに対し怒っている彼女の言葉を表面的に捉えてはいけないのだとわかる。


(なんだこれ……痴話げんかは外でやってくれ……とりあえず治療……治療を……)


 こんな状況で婚約者とイチャイチャしないでほしいと思い、フィルはついドウェインを睨んでしまった。すると彼がようやく重傷者であるフィルのほうへ視線を動かした。


「あら、あなたがフィル・ヘーゼルダイン大尉ね? お疲れ様。……腕はボッキボキで、内臓なんかちょっと傷ついているわよ。それで気絶できないんだから、強い男も大変ね」


 片目をつむっておどけているが、それどころではないとフィルはいらついた。


「……なぜ俺の名を。あとウィンクするな……」


「誰も手出しできなくなっていた翼竜のところへ一人で向かった変人がいるってほかの方から聞いて。私って戦闘力はないから助けてあげられないし、どうしたものかと思っていたの。自暴自棄の危ない人ではなかったのね? ……ミモザ、よろしく」


 フードの中から顔を出したミモザがふわふわと宙に浮き、フィルの真上にやってくる。

 小さな身体がキラキラと光り、その光りの粒がフィルに降り注ぐ。

 綺麗な瞳はまっすぐにフィルの瞳――いいや、眼帯の奥を見つめているのかもしれない。


「ご機嫌ね! あなたのこと気に入ったみたい」


「それはどうも……」


 フィルは冷静になり考えた。とりあえずドウェインがフィルについてなにか気がついたとは思えないが、ミモザはあきらかにシリウスの存在を察知しているようだった。

 星獣は賢く、そして仲間に対する思いやりも持っているらしい。ミモザがフィルやシリウスを窮地に陥れるようなことはないとわかるので、フィルはとくになにもしなかった。


 フィルにとって、ドウェインははじめて出会った自分以外の星獣使いだった。

 見た目と言動が奇抜だけれど、フィルの想像していた貴族の姿とはかけ離れていた。この出会い以降、フィルとドウェインは悪友のような関係となる。


 そして、フィルは翼竜討伐の功績により、一気に二階級特進し中佐となった。翼竜を倒したフィルをぞんざいには扱えないらしく、次の人事異動で都の部隊へと配置換えとなったのだ。

 正直、都の部隊は貴族の子弟が多く籍を置いているから、以前よりも働きづらくなっていた。


 それからしばらくして、城内の警備中に星の間からレグルスが飛び出してフィルを主人に選んでしまうという前代未聞の事件が起こった。


(シリウスとレグルス……二体とも炎を操るからな……俺との相性がいいのか……)


 星獣は基本的に自身の持つ能力と同じ属性の術を得意としている者に惹かれる傾向がある。

 炎を操る星獣なら火属性の術を得意とする者、風を操る星獣ならば風属性――きっと、相性があるのだろう。

 前例がないため、はっきりとしたことはわからなかったが、二体の星獣の仲がいいことだけは確かだった。

 祖母側の家系が術者の流れを汲む程度の平民が星獣使いになったというのは、異常な事態だ。

 当然、フィルの血縁関係には調査が入ったが父親の件は露見しなかった。そもそも実質的な死亡扱いとなっている者がじつは生きていたかもしれないという可能性を誰かが考えない限り、アーヴァインにたどり着くはずもない。

 マクシミリアンがかなり気をつけてアーヴァインの存在を隠していたこともあり、フィルの星神力の高さは原因不明の先祖返りという扱いとなった。


 近づきたいとは思っていないのに、だんだんと王家に近づいている現状に、抗えない因果のようなものを感じながら、フィルは星獣使いとしての第一歩を踏み出した。

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