番外編 一度目の世界、ヘーゼルダイン大佐と

 星獣使いとなったばかりのセレストは、指導役のフィルから術を使った戦い方を教わっていた。

 レグルスが魔獣役で、セレストとスピカが共闘するという一対二の模擬戦闘だった。


「こら、セレスト! 氷の術は無制限に使っていいと言っただろう? 遠慮や出し惜しみをしていい立場じゃない」


 指導役のフィルから檄が飛ぶ。


「で、ですが……レグルスに刺さったら……と思うと、怖くて……」


 星獣は大抵、使う力の適性が近い者を主人に選ぶという。本格的に術を習ってはいなかったが、どうやらセレストは氷の術への適性があるらしい。

 フィルから指導を受けるようになってから、木製の的めがけて氷の針を打ち込む鍛錬を行ってきたのだが、今日はじめて相手がレグルスになった。

 一応貴族の令嬢だったセレストは、人を傷つけたこともなければ、動物を殺めたこともない。あったとしたら虫くらいだ。

 星獣使いになってからの交流でレグルスが心優しい獣だと知ってしまったこともあり、本気でやいばを向けるのは難しい。


「ガォォォ!」


「小娘の弱々しい氷など、俺には届かない……と、レグルスは言っている。大丈夫だ! レグルスが防ぎきれない氷は、俺の炎で処理するから。俺に術を使わせたら、君たちの勝ちだ。……油断していると怪我をするぞ」


 実際、セレストたちはレグルスとまともに戦えていない。

 レグルスは本来の能力である炎を防御のみで使っている。攻撃は植物のオナモミを星神力で飛ばすという安全なものだけに限定している。


(序列第七位のレグルス……。こっちは第四位のスピカと一緒に共闘しているのに、まるで遊びみたいに……本気を出していないなんて)


 これまで星神力を使った戦闘の経験がないセレストは、スピカと力を合わせて戦うことがまったくできていなかった。

 むしろ、互いの足を引っ張り合っている気さえする。

 セレストが攻撃に移ろうとすると、レグルスがスピカに本気の攻撃を仕掛ける。するとセレストはスピカの救援に力を割き、まともな攻撃ができなくなってしまう。

 一度レグルスから距離を取り、今度はスピカが攻撃に転ずると、セレストのほうが狙われてふりだしに戻る。

 気がつけば防御一辺倒になっていた。


「ピッ!」


「い、痛!」


 セレストの服も髪もオナモミだらけだった。スピカのほうはもっとひどい。ハリネズミの針の上にこんもりとオナモミの山ができてしまっている。

 最初の頃より自分の動きが鈍くなっているのをセレストはひしひしと感じていた。


(このままじゃだめ……! どうしたら? ええっと、……氷属性の特性、特性……)


 フィルからは星神力を使った術の様々な特性も座学の時間に教わっている。


『いいか、セレスト。氷の術は一度作ってしまえば自然に解けるまで壁の役割を果たしてくれる。それに比べて俺の炎は、可燃性のものに頼らなければ効果を維持できない。……君が得意な術は一見地味だが、特性を上手く使えばかなり効率よく戦うことができる』


 訓練場には可燃性のものは置かれていない。

 転がっているのはセレストとスピカが作り出してレグルスに届かなかった無数の氷塊だけだ。


(そうだ! 私はまだたくさんの氷を作り出すことはできない。……でも飛ばすだけなら、工程を省けるんじゃないかしら?)


 思いついた瞬間に、セレストは走り出していた。


「スピカ! 私を守って」


「ピィィ」


 素直なスピカはすぐに応えてくれる。レグルスの攻撃が来ると、セレストの前に薄い壁を築いてそれを防いでくれた。

 そのあいだもセレストは走り続け、落ちている氷の針を拾い集めていく。十本拾えば、もうそれ以上は抱えられなかった。


「行くよ!」


 氷を生み出す、浮かべる、飛ばす――それが今までの攻撃の手順だった。

 けれど投げた氷の軌道を変えるだけならば、使う星神力はわずかだった。セレストは力一杯氷の針を一本投げて、勢いよくレグルスのほうへと飛ばす。

 二本目、三本目は移動しながら別の方向、そして一本目とは違う動きをさせた。

 スピカも連携してくれている。防御の合間に氷の針を放ち、レグルスを翻弄した。


(五、六……七本目……!)


 できるだけ高いところまでと意識して投げた氷の針は、大きな弧を描いてレグルスの頭上に落ちていく。

 そして彼の背中に届く直前、横から発生した炎が氷塊を水に変えた。


「そこまでだ!」


 フィルの声が響く。七本目の氷の針を溶かしたのは彼だった。


「……はぁ、はぁ……もうだめ……っ」


 体力も精神力も限界で、セレストはその場にしゃがみ込む。さっきまで走っていたのが嘘のように、足がプルプルと震え、もう動けそうになかった。


「ピィ……」


 スピカがトコトコと歩いてきてセレストの近くで丸くなった。


「ごめんね、私があなたの力をぜんぜん引き出せないから……」


 本来のスピカは巨大な魔獣を単独で倒せるほど強いはずだった。けれど、セレストを通して実体化しているため、主人に引きずられて上手く力を出せていないのだ。

 セレストは星神力の強さや術者の素質は高いらしいが、制御力が未発達だった。


「ピィ」


 スピカはゴロゴロと転がりながら、針を動かしてどうにかオナモミを取ろうと頑張っている。


「あぁ、ごめんねスピカ……。じっとしていて。今取ってあげるから」


 針の方向に注意しながらセレストはまだスピカの身体についたままの実を一つ一つ丁寧に取り払っていく。

 そうこうしているあいだにフィルとレグルスが近づいてきた。


「まだまだだが、最後の作戦はよかったぞ」


「そうでしょうか? なんというか、もう疲れてしまって、戦いがはじまったばかりのときと同じように術が使えなかったんです。落ちているものを利用するのってとってもかっこ悪い気がしたんですが……」


 できれば星神力を使った技だけで華麗に勝ちたかった。

 けれど、同じ攻撃を続けていてもレグルスにはまるで歯がたたないとわかっていた。そしてフィルは訓練外では優しい人ではあるし、子供のセレストにはいろいろと配慮をしてくれてはいるのだが、訓練中に限っては成果を出すまで許さないという厳しい側面がある。

 勝てないにしても、単調な戦いを続けてなんの改善もなければあきれられてしまうと思ったのだ。


「実戦では泥臭くていいんだ。相手は魔獣だ……どんな手を使っても生き残ることだけを考えろ」


「はい!」


「では反省会をはじめる」


 セレストとスピカは座ったまま姿勢を正し、フィルの話を聞いた。

 どこからかレグルスが紙とペンを運んできてくれた。ここに今日の反省点をメモしろというのだろう。


「まず、レグルスの攻撃範囲を見極められていない。……オナモミは軽いから空気の抵抗を受けてすぐに失速するはずだった。それなのに君は一度も遠距離攻撃を仕掛けなかった。なぜだ?」


「は……はい。それは、レグルスの攻撃がオナモミだけで弱いから、私たちだけずるいと思ったからです! 遠くに逃げるのは卑怯です」


 セレストが正直に答えると、フィルが首を横に振る。


「一度でもいいからレグルスを瞬殺してから自らに制限を課す戦いをするんだ。俺が禁止していない手段は全部使え。……もしも先になんでもしていいと言われたら、君はどう闘っていた?」


 問われたセレストは改めて周囲を見渡した。屋外にある訓練場はかなりの広さがある。ガランとしていて隅に井戸がある以外はなにもない。

 単純に距離を取るだけならば、レグルスに追いつかれてしまう。


「あ……っ! 私とスピカのどちらか一方が距離を取れば」


「それも一つの手だ。ただ個々の能力が低い場合、戦力の分散は危険でもある。君が離れているあいだ、スピカがやられてしまっては元も子もない。……例えばだが、俺が君と同じように氷属性に高い適性があったら……」


 フィルが視線を動かしたのは訓練場の端にある井戸だった。


「それはいくらなんでも……」


 井戸を戦闘可能区域の一部と見なすのは、柔軟な発想をしろと言われていたとしても難しい。

 氷の術を使う場合、空気中の水分をかき集めるという作業に多くの星神力を消費する。

 それを水場から調達したら、今のセレストでもなんでもできる気がした。


「だから、なんでもしていい場合に限ってだ。もちろん、今後ほかの者に混ざって軍の訓練で模擬戦闘を行うなら失格となる場合もある。それでも君は近い将来本当に魔獣の駆逐に駆り出されるのが決まっているんだから、常に実戦を意識していてほしい。卑怯でいい。……そうでないと命を落とす」


 そう語るフィルの瞳は愁いを帯びていた。

 星獣使いはいつ魔獣討伐に駆り出されてもおかしくない。フィルの厳しさはいつ過酷な実戦を経験するかわからない十一歳の少女に対する憐れみかもしれない。


「……はい、ヘーゼルダイン大佐」


 星獣使いとなる前、縁談が持ち上がったことのある彼を、セレストは恐ろしい人だと勘違いしていた。

 伯父から、手柄を独り占めするためにエインズワース伯爵――セレストの実父を見捨てたひどい男だと聞いて、それを鵜呑みにしていたせいだ。

 けれど星獣使いになって少しだけゴールディング侯爵家とは関係ない者の言葉を耳にする機会が増え、伯父の言葉はセレストを怖がらせるための嘘だったと知った。

 一年前の褒賞授与式で、セレスト個人のために動いてくれたのはフィルだけだ。

 セレストの境遇に同情しているみたいだが、血の繋がりのある伯父よりも、さらに身分の高い国王よりも、誰よりも信頼できる。

 セレストの指導役を押しつけられたのも、きっと彼にとっては損しかないことだったはず。だからこそ、セレストは誰よりも真面目に取り組まなければならない。


「素直なのは君のいいところだ。……さてと、じきに日が暮れる。片づけてからメシでも食べに行こうか?」


「メシ……お食事のことですね? わ、私も一緒に行ってもいいんですか?」


「あぁ」


 実父を失ってから、セレストはほとんどゴールディング侯爵邸から出ることがなかった。

 ミュリエルたちは歌劇を観に行ったり、高級なレストランで食事をしたり、一家団欒を楽しんでいたみたいだが、名ばかりの家族であり、厄介者のセレストがそこに参加することはない。

 しかも最近、星獣使いになったことが義家族の気分を害してしまったようで、ますます蔑ろにされるようになった。


 訓練のために帰りが遅くなったら「遅くまで出歩く素行不良の娘には食事なんてない」と夕食を抜かれることもしばしばだ。

 今日もそうなる可能性があったから、フィルの提案は嬉しかった。


「あ……っ! でも私、ドレスを持ってきていません」


「高級レストランになんて行かない。大衆食堂か酒場だ。頭にオナモミがついていなければ入店拒否なんてされない」


 フィルが手を伸ばし、セレストの頭に触れた。

 そこにはまだいくつかオナモミがついていたのだ。


「大衆食堂……、酒場?」


「あぁ、すまない。君も貴族の令嬢だったな? さすがにまずいか」


 セレストは勢いよく首を横に振った。


「いいえ、ご迷惑でなければ一緒に行きたいです。お店の方がビールを十杯くらい一気に運んだり、お隣の方と肩を組みながらお食事をされているのですよね? ……本で読んだことがあるんです」


 童話などの子供用の本には、庶民が主人公のものもある。世間知らずなセレストは物語の中でしか知らないが、庶民的な食事処といえば、誰かがギターを演奏して、陽気に歌い、にぎやかなイメージだ。


「いつも肩を組んでいるわけではないが、まぁ……そんなかんじかもしれない」


 オナモミだらけの訓練場の掃除をしたあと、二人は軍の施設を出た。そのあたりでフィルの部下だという軍人も加わって、街についたころには十人ほどの大所帯になっていた。

 大衆食堂では本当にビール十杯を一気に運ぶ店主がいて、セレストを驚かせた。

 ギターではなく、アコーディオンだったが奏者もいて、客のリクエストに応じて好みの曲を弾いてくれる。

 途中で酔っ払った男性が歌い出す。客は皆楽しそうにしていた。


「すごいです。物語に出てくるそのままです」


 ガヤガヤとうるさすぎて隣の人との会話さえ大きな声を出さないといけない。セレストの知っている静かな……誰もいない食事風景とは全く違っていた。


「そんなことで感動するとは……やっぱり貴族のお嬢様は世間知らずなんだな」


「世間知らず……。はい、あまり外に出たことがなくて……」


「これからは嫌でも外に出るはずだ。たくさん歩いて、馬にも乗れなきゃだめだ。……そのためにはまずメシだ」


 ドンッ、とセレストの皿に骨付きの鶏肉が置かれた。


 フィルやほかの軍人たちが手で持って食べているのをしばらく眺めて、セレストもためらいがちに素手で肉を持ち、大きな口を開けてかじりついた。


 胡椒が効いていて大人の味だったけれど、とてもおいしく、そして寂しくない。

 こんな食事は久しぶりだった。


 目の前に座っていたフィルの部下がニヤニヤとした表情を浮かべながら口を開いた。


「ヘーゼルダイン大佐って、いいお父さんになりそうですね! ほんと世話焼き体質だなぁ」


「父? 勘弁してくれ」


 冗談を言った部下を思いっきりにらんで、心底不愉快だと言っているみたいだった。

 セレストは急に胸が締めつけられるような気持ちになった。フィルは父でも家族でもないのだから、否定されて悲しくなるのはおかしいというのに。


「……せめて兄にしてくれ、まだ二十代だぞ!」


 テーブルを取り囲む者たちからドッ、と笑いが巻き起こる。

 若いフィルに十代の子供がいるはずがないという、ごくごく普通の話をしているのだから、今の会話のどこが楽しかったのか、セレストにはよくわからなかった。

 実際、お酒のせいでなにを言っても楽しくて仕方がない状態になっていた者もいたのだろう。

 わからないのに、なんだか嬉しかった。フィルに自分の存在を否定されたわけではないと知ったからだ。


「今、笑ったな?」


 フィルがそんな指摘をした。


「え……? 笑った……。だめでしたか?」


「いや、やっと笑ったなって。……ずっと気を張っているより、そっちのほうがいい」


 セレストは、自分が今までまったく笑っていないことにすら無自覚だった。

 笑っていたほうがいいとせっかく言ってくれたのに、柔らかな印象の彼の笑顔が眩しくて、セレストは泣きたい気持ちになった。

 けれど、この和やかな雰囲気を壊したくなくて必死に耐えたのだった。



 この日を境に、星獣使いとしてフィルやフィルの部下と行動を共にすることが多くなったセレストには、少しずつ自分の居場所と呼べるものができていった。

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死に戻り令嬢の仮初め結婚~やり直し世界で生真面目将軍と星獣もふもふ~ 日車メレ @kiiro_himawari

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