エピローグ 星の瞬き
十五歳のシャロン・ノディスィアは、星獣アルタイルと一緒に、曾祖父の傭兵団がテントを張っている荒野に降り立った。
「おじいちゃま、おじ様……!」
今朝届いたばかりのマクシミリアンからの手紙に、灰色傭兵団がしばらく都の近くにある農村地帯に滞在していると書いてあった。
曾祖父が大好きなシャロンはいてもたってもいられず、アルタイルに乗って急いでここまでやってきたのだ。
低空飛行をするアルタイルから飛び降りて、マクシミリアンに駆け寄る。
いつも甲冑をまとう曾祖父は、今日もすこぶる硬かった。
「おう、シャロン殿ではないか……! 大きくなったな」
「フフッ。一年経ったもの」
国内を転々としている傭兵団が、都から日帰りできそうな地域を訪れたのは一年ぶりだ。
シャロンはまだ子供だから、一年あれば少しくらい成長する。
曽祖父の次は〝おじ様〟への挨拶だ。
「……おじ様って呼び方はやめてほしいな」
おじ様――ジョザイアは、野性的なおじいちゃんたちの集団である傭兵団の最年少団員で、気品あふれる紳士だ。
それもそのはず。彼はこの国の元王太子で、シャロンが生まれるより前に星獣シリウスを従える父を排除しようとして、返り討ちにあった人なのだから。
そしてシャロンの大切な星獣アルタイルの、以前の主人でもある。
このあたりの経緯は、王族であるシャロンはよく学んでいて知っている。
王族は流血とは無縁ではいられない。自らの血族の歴史を理解しておかなければならないのだ。
ジョザイアは公的な記録上、星獣を弄ぶ禁忌の邪法を使った人物となっていて、本人に聞いてもそこに偽りはないという。
けれどシャロンは、現在の彼に悪い印象を持っていなかった。
一つは、尊敬するマクシミリアンが認めているから。
そしてもう一つ、星獣使いならではの理由もあるのだが……。
「私は殿下のおじではなく、いとこにあたるんだが?」
確かに、シャロンもジョザイアもアーヴァイン・ノディスィアの孫である。けれど
母より年上のこの人物は、シャロンの感覚では〝おじ様〟だった。
「細かいことはどうでもいいじゃない。それより魔獣退治をするのなら、私も参加したいの!」
今日のシャロンは男装だ。戦いに必要な装備は持ってきていて、気合い十分だった。
「残念だが、シャロン殿。今日の魔獣退治は終わってしまったぞ」
マクシミリアンたちが仮の拠点としているテントの周辺には、傭兵団のおじいちゃんたちがすでに酒盛りをはじめていた。
シャロンはがっくりと肩を落とす。
「あぁ残念……。私もいざというときのために実戦経験をたくさん積みたかったのに」
星獣使いになってからのシャロンは父や母、そして教育係の指導のもと厳しい鍛錬を行って、戦い方を学んでいる。
けれどマクシミリアンの超実践的な戦い方は都に留まっていても学べない。
だからシャロンは、わざわざ祖父に会いに来たのだ。
「ハハハッ! そう落ち込むことはない。久々にこのワシが剣の稽古をつけてやろう」
「本当に?」
魔獣討伐を終えて疲れているだろうに、曽祖父の体力は底なしだった。
マクシミリアンと一時間ほど稽古を続けると、持参していた剣が折れるという事件が発生してしまう。
さすが、術を使わず剣技だけで翼竜と対峙した伝説を持つ男である。
それからシャロンは星神力を使った術で彼と戦った。手加減なしで向かってこいと言われ、実際に手加減していたら大怪我をしかねない本気さでマクシミリアンは曾孫への指導を行った。
ジョザイアが止めに入ったときには、互いに擦り傷だらけになっていた。
さすがにクタクタになってしまったシャロンは、おじいちゃんたちの酒盛りに参加させてもらった。
飲み物は酒しか口にしない――という集団であるため、残念ながら果実水も紅茶もない。
仕方なく、シャロンは持参した水を飲む。
するとジョザイアが隣に腰を下ろし、リンゴを差し出してくれた。
「ありがとう、おじ様」
「どういたしまして」
そのとき、シャロンに寄り添っていたアルタイルが「キュ」っと小さく鳴いた。
星獣の中でもアルタイルはかなり大人しく、感情がわかりづらい。
それでも主人であるシャロンは、わずかな感情の機微も見逃さない。
彼はかつての主人を気にして、けれど今の主人のために素知らぬ顔をしているのだ。
「アルタイルはこっち!」
シャロンは自分とジョザイアのあいだを指し示す。
「シャロン殿下……それは……」
ジョザイアもアルタイルも、現在の主人を尊重しようと思ってくれている。シャロンとしてはなんとももどかしい。
「ねぇ、おじ様。アルタイルがどうしてこんなに早く再び主人を選んだか、おじ様にはわかる?」
「殿下の星神力が素晴らしかったからでしょう」
「それもある……。でも違うのよ。アルタイルはね、もう一度おじ様に会いたかったのよ。おじ様のことが今でも……好きなんだって私にはわかる」
アルタイルは今でもジョザイアを大切に思っている。
それは、シャロンが傭兵団を訪ねる理由の一つであり、そして今のジョザイアを悪人だとは思えない理由の一つでもある。
「殿下……」
シャロンはアルタイルに抱きついて、彼が大好きな気持ちを伝える。
変わらなくていいんだと、そのままのアルタイルでいいんだと、本気で思っているのだから。
「もちろん、私がアルタイルの一番! それは決して揺るがないの。でもね、二番目に好きな人がいてもかまわない。……私は将来、ノディスィア王国初の女王となる者だから、それくらいの寛容さは持ち合わせているのよ!」
シャロンは国王夫妻の第一子として生まれた。
ノディスィア王国はこれまで女性が王位に就くことがなかったのだが、最近になって法律が変わった。
シャロンには弟が一人、妹が一人いるが、王位継承は性別に関係なく生まれた順だ。
シャロンのプライドは他者に対し寛容であり続けることだ。それでいて、他者から侮られない強さを持たなければならない。
「殿下は、母君に似ているようでいて……」
アルタイルが二人のあいだを隔てる位置にいるためジョザイアの表情はわからない。けれど、なんとなくあきれているようだった。
「……? 私、お母様に似ていて将来とびきりの美人になる予定ですけれど。まさか、そうではないというの?」
シャロンは得意の術で水を出して、光の屈折を制御し自分の姿をそこに写した。
銀色の髪と空色の瞳は母譲りで、少しキリッとした目元は父譲り。どの角度から眺めても美少女だった。
「いいや、性格が……。ヘーゼルダインのおじい様の影響を受けすぎで、時々心配になるよ」
「あら、おじいちゃまに似ているなんて光栄だわ」
そんなふうに他愛もない話をしていると、アルタイルがジョザイアに甘えるような仕草をした。
シャロンはそんなアルタイルをわしゃわしゃと撫でて、肯定し続けた。
リンゴが芯だけになった頃、遠くから馬の蹄音が聞こえだした。それがだんだんと大きくなって、傭兵団の拠点に近づいてきた。
「ふむ……この音は、シャロン殿のお付きの者ではないか?」
「げっ!」
マクシミリアンの勘は大体当たる。シャロンは立ち上がり、どこか隠れる場所を探した。
「シャロン殿下……、王女としてそういう言葉遣いはどうかと思うよ。『げっ!』って……」
ジョザイアの指摘など、知ったことではない。
ひとまず巨大なマクシミリアンの背中に隠れるが、そんなことでごまかせるはずもない。
シャロンが隠れても、相手はおそらくシャロンの持っている星神力を辿って場所を特定しているのだから。
そもそもアルタイルが隠れていないのでどうにもならない。
「シャロン殿下……!」
やがて姿を表したのは、白馬に跨がる王子様風の――近衛兵だった。
「オズワルド……早かったわね……」
金髪に紫を帯びた瞳を持つ青年は、オズワルド・シュリンガムという名の軍人で、年齢は十八歳。小さい頃から多くの時間を一緒に過ごしてきた幼なじみだ。
三歳しか変わらないくせに、天才的な術者である彼は、シャロンのお目付役で教師役だった。それだけではなく、一年前に軍に入隊し最年少の近衛としてシャロンの護衛までするようになった。
とんでもなく過保護な兄――それがオズワルドだ。
「あれほど……あれほどっ! あれほど一人でふらふらお出かけなさるのはやめてくださいと、何度も申し上げましたのに」
怒り心頭のオズワルドがシャロンに迫る。
シャロンは焦り、大人たちに助けを求めるが、マクシミリアンもジョザイアも、アルタイルまでもが目を合わせてくれなかった。
「ふらふらじゃないわ。置き手紙にも書いたじゃない。民の生活を見て、魔獣討伐の様子も見学し、すばらしい女王となるために日々ジンリョクしているの」
ハァ……、と深いため息が聞こえた。
「私は陛下から、お尻ペンペンの権利を与えられておりますが?」
「ちょ……ちょっと。それ何年前にもらった権利なの? 十五歳の乙女にそんなことしたら、変態認定してあげるわ」
「近衛になってからいただきました」
つまりシャロンが十四歳のときである。
「お父様め!」
迎えが来てしまった以上、もうこの場に留まるのは無理だろう。
オズワルドを困らせたいわけでもないシャロンだから、さっとアルタイルに乗って空に舞い上がる。
「それでは、おじいちゃま、おじ様! また会いに来ますね」
「ワシはいつでも歓迎じゃ」
マクシミリアンや傭兵団のおじいちゃんたちが大きく手を振る。
ジョザイアは黙って見つめているだけだったが、その表情は穏やかだった。
「……アルタイル、おじ様が元気そうでよかったね。また会いに行こうね!」
「キュゥゥ」
「さあ、帰ろう。お仕置きはご免だからオズワルドよりもずっと速く」
アルタイルは速度を上げることで、同意を示してくれる。
行きと同じく一時間ほど飛べば、ノディスィア城が見えてきた。
安全に降下できそうな場所を探し、庭園の上空を旋回していると、家族の姿を見つけた。
王族が暮らす区画にあるプライベートな庭園に敷物が敷かれている。そこで両親がくつろいでいたのだが――。
「お父様……また膝枕してもらってる! いい歳して恥ずかしいなぁ、もう」
シャロンの父は名君だ。国王としての職務は真面目に行っていて、その治世は安定している。さらに星獣使いとしての実力もすさまじく、シャロンにとってはあらゆる意味で目標となる人だ。
尊敬はしているのだけれど、プライベートでは妻にベタ惚れすぎて恥ずかしい人だと感じていた。
「さてと、お父様とお母様の邪魔をするわけにはいかないから……」
シャロンは弟たちの姿を探した。
両親が二人きりで過ごしているときは大抵、星獣たちが子供の世話をしているのだ。
案の定、同じ庭園内の少し離れた場所に彼らはいた。
「行け! レグルスッ」
「スー君が一番だもん」
弟がレグルスに、妹がシリウスに乗ってどちらが速いかを競っているところだった。
審判役はスピカだが、「ぼくだけ誰にも乗ってもらえない」と、あきらかにふてくされている。
「今日も平和だね、アルタイル……」
「キュ」
国を守護する勇ましき星獣が、子守をしながらかけっこをしている――そんな平和な日常こそ、シャロンが守っていかなければならない国のあり方だった。
おわり
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