4-1 翼

 フィルのもとへ知らせが届いたのは、新たな星獣使い誕生の翌日だった。

 仮の執務室で受け取った中央からの正式な伝令はそっけない文面で、ミュリエル・ゴールディングがアンタレスの主人となったとだけ書かれていた。


「あり得ない! 俺の油断か……っ」


 それを見ただけで、フィルはおおよその陰謀を把握した。

 何年も起こるか起こらないかすら定かでない窮地を警戒し続けることなど不可能だが、邪法が生み出されるのはもっと先だと油断していたのは否めない。


(いったいなにが影響してこんなにもずれが生じているんだ?)


 まだセレストが捕らえられたという知らせはない。

 一度目の世界と半年の差異があるし、ミュリエルが手に入れた星獣もスピカではなくアンタレスだ。

 微妙にすべてが違っているが、フィルとドウェインが都から離れているうちに事件が起きる――その手口が酷似していて、吐き気がした。


「ちょ……ちょっと。フィル、なに荒ぶっているのよ? ……妙な星神力を撒き散らさないでちょうだい。感受性の強い兵に実害が出てしまうわ」


 めずらしく感情のコントロールが利かなくなっていた。

 それを指摘されたフィルは焦る気持ちをどうにか抑えるために、何度か深呼吸をした。


「……ドウェイン、おそらく調査は無駄だ。これは俺とおまえを都から遠ざける陰謀だった」


「なにそれ? ……それではまるで……王家が……」


 実害がないのに痕跡だけ残す魔獣。フィルが到着して以降、一切動きを見せない魔獣。――そもそも魔獣ではなかったのかもしれない。

 ジョザイアがアルタイルか自身の術を使って凶悪な魔獣があたかもそこにいるように見せかけたという可能性があった。


「セレストが危ない。すまないが、ここは任せる」


「わかったわよ」


 ドウェインは一応の同意をしてくれたが、かなり不満そうだった。

 イクセタ領の魔獣被害が虚偽だという根拠も、セレストの身が危ないという根拠も、なに一つとして示していない。

 それでもドウェインは、フィルを引き留めなかった。


 フィルは執務用の椅子から立ち上がり、レグルスを実体化させるために外へ出ようとする。けれど、そのとき異変を察知した。


「この星神力は……」


 すさまじい速さで近づいてくるのは、シリウスの気配だった。


「……なに? え、えっ!? ちょっとフィル! どうなっているの?」


 ドウェインも気づいたようだ。

 フィルは走り出し、砦の張り出し陣へ続く階段を駆け上がる。


「スー……」


「ヴェネッサ? それに、モーリスたちまで!?」


 馬よりも大きな白銀の犬が、宙を浮いているような軽やかな足取りで砦の張り出し陣へ舞い降りた。

 スーは大きな体に似合わない「キュン」という細々とした鳴き声を発してフィルの目の前でその身を伏せる。

 三人も、すぐにスーの背中から下りた。


「申し訳ございません、セレスト様が敵に捕らえられてしまいました」


 モーリスが頭を下げた。

 その頃になると張り出し陣にはケレットや一般の兵も集まっていた。

 フィルと、フィルに服従している様子の大きな犬の姿に驚き、兵たちがざわめき立つ。


「……敵は……ミュリエル・ゴールディングか?」


「実行したのはゴールディング侯爵令嬢です。ですが、王太子殿下のめいだと言っておりました。城に連行されましたが、セレスト様をその場で害する指示はなかったと思われます」


 モーリスは術者ではないし、シリウスの存在についてはこれまで彼に明かしていなかった。それなのに取り乱す様子がないのはさすがだった。


「俺の落ち度だ。スーも、そんな顔をするな」


 ひとまず、今の段階でセレストが無事である可能性が高いことにフィルは安堵した。

 けれど、時間がなかった。スーが本来の姿でこの場に現れたということは、都でも多くの者にシリウスの姿を見られているということになる。

 もうすでにフィルの秘密は暴かれていると思って行動するほかない。


 スーは相当不本意な選択をしたのだろう。めずらしくうなだれたままフィルに近づこうとしなかった。

 だからフィルはゆっくりとスーに近づいて、額のあたりを撫でてやる。


「クゥゥ」


「三人を連れてきてくれてありがとう。スー」


「……クゥ」


 スーはその言葉に一応納得したのか、フィルに頭を擦りつけた。


 それからフィルは残りの二人の様子を確認する。

 ヴェネッサの顔色は悪く、アンナがそれに寄り添っていた。スーが本気で大地を駆けてきたのなら、都からイクセタ領まで半日程度だ。

 スーならば乗っている者に配慮するはずだが、妊婦にはつらかったのかもしれない。


「ヴェネッサ、大丈夫? もしかして具合が悪いの!? 身重で旅なんて……」


 フィルが言葉をかける前に、ドウェインがヴェネッサに駆け寄った。


「違います。……スーの背中に乗っていても、走っている感覚すらなかったんです。……でも、悔しくて! 私が油断したからセレストさんが。私だって術者なのに……っ! そう思ったら……」


 ヴェネッサが手で顔を覆い、その場に崩れ落ちた。

 ドウェインはそんな彼女に寄り添う。


「ヴェネッサ殿のせいではない。巻き込んで申し訳ない」


「将軍閣下……」


 セレストはスピカが時間を巻き戻した原因が自分にあるとして、他人の犠牲を極端に恐れる。今、この時点での結果は、セレストが大切に思っている者たちの安全を確保できたということだ。


(それだけでも、救いだと思わなければ……今は……)


 フィルは右目を覆っていた眼帯をむしり取る。

 スーが真の姿を見せてしまったこの状況では、もう不要だった。


「あぁ、そういうことだったのね? レグルスの主人になる前から妙な気配をまとっていたし、なにか隠しているのも知っていたけれど……これはさすがに予想外よ」


 ドウェインがフィルの右目を覗き込むようにしながら、そんな感想をこぼした。

 シリウスは、記録上では行方不明となっているが、大方の予想ではすでに消滅しているものとして扱われていた。

 ドウェインが予想できないのは当然だった。


「エインズワース将軍閣下がシリウスの主人……」


「星獣二体を従えているというのか?」


 砦の兵が動揺していた。

 フィルは、ここまで培ってきた穏やかな生活が一気に崩れ去ったのだと自覚していく。


 そのとき、一羽の鷲が砦の方向に飛んでくるのが見えた。


「遠見の鳥か……」


 鳥は術で生み出すものだから、どんな種類にもなれる。

 けれどわざわざ王太子ジョザイアの象徴とも言える鷲を選ぶ無礼な者はめったにいない。


『朝早くから失礼するよ。フィル・エインズワース将軍』


 予想どおり、声の主はジョザイアだった。

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