4-2

「ジョザイア・ノディスィア……。そちらの要求は?」


 もう敬う必要もないと判断したフィルは、機嫌が悪いことを隠さずに、鷲と対峙する。


『まずは単身での出頭を。あなたには、星獣シリウスを盗み、不当に使役している反逆罪の容疑がかけられている』


 ジョザイアの声はケレットたち砦の兵にも聞こえている。

 きっと彼らは、フィルが英雄なのか盗人なのかわからず、困惑しているだろう。


「不当に、など……。笑わせてくれる」


 フィルはこれまでずっと、己の中に誰の血が流れているのかを隠して生きてきた。

 出生の秘密は、確実に王位継承争いに発展し、国の混乱を生む重たいものだった。

 国王の罪はわかっていたが、それを断罪すると内戦になる可能性が高い。

 現在、ノディスィア王国は隣国との戦もなく、国政は安定している。フィルは正しさだけを主張して人間同士の争いを起こすことが民の利益になるとは思えず、実行せずにいた。


 国王が有能だとは到底言えないし、彼の御代になってから政が腐りはじめている。それでもノディスィア王国は法治国家で、すべてが国王の意思で決まるわけではない。

 そしてなにより、次の世代を担うジョザイアは王太子としては有能だった。

 父親の横暴をある程度止める力を持っていて、立派な国王になれる器のはずだった。

 一方のフィルは戦いに関しては誰にも負けないという自負があったが、平和な国家においては戦士としての強者が為政者にふさわしいかどうかは疑問だとも考えていた。


 少なくとも、一度目の世界でのフィルの理想は、星獣使いとしての責務を果たしつつ穏やかに暮らすことだった。


 不当に隠していたのではない。

 フィルとジョザイア、互いの役割から逸脱しないようにという配慮だった。


『セレスト殿がこちらの手中にあることは忘れないでほしい』


 先王アーヴァインが行方不明となった事件の真相をこの場で明かせば、現国王の正統性が疑問視され、同時に王太子ジョザイアの地位も危うくなる。

 ジョザイアは、この場でフィルが出自について語るのを阻止したい様子だった。


「わかった」


 フィルがアーヴァインの息子であることは、シリウスを従えているという事実でほぼ説明がつくものの、アーヴァイン行方不明事件の犯人が誰かを示す客観的な証拠はない。

 フィルの最優先はセレストの身の安全だ。

 ここでわざわざ自分こそ国王となる存在だ、などと口にしても意味がなかった。


『あなたが協力的ならば、セレスト殿の命までは奪わない』


「なぜ……セレストを……? 俺がシリウスの主人だと知っていたなら、正統性はどうあれ、直接俺を捕らえればよかったじゃないか。あの子は無関係なんだから」


 反逆罪で出頭を命じるくらいなら、フィルが都にいるうちに同じ罪で捕縛すればよかったはずだ。

 今回のジョザイアは、彼の地位を脅かすフィルを排除する目的でセレストを人質にしたのだろうか。

 けれど、フィルだけではなくドウェインまで都から遠ざけ、先にセレストを捕らえた理由がわからない。


『もう一度、スピカの力を使われたら困るからね』


「な……っ!」


 もう一度――その言葉に込められた意味を理解して、フィルの胸の中は焦燥感と怒りで爆ぜそうになった。


(なぜ、俺だけが特別で、俺だけが記憶を取り戻したと思い込んだ?)


 以前、一度目の世界の記憶を取り戻す条件について考えたことはあったのだ。

 星獣使いである者。そしてセレストに対しとくに強い想いを抱いていた者。スピカの星神力に触れた者。

 正解はわからないが仮説はあった。

 どこかで、フィルの次に条件に近いのはドウェインで、彼の記憶が戻らないならほかの者が思い出すことはないと油断していた。

 ジョザイアは序列第三位のアルタイルを従えているのだから、可能性は十分にあったのだ。


(単純に序列の問題なのか? それとも……ジョザイアは、セレストを……?)


 一度目の世界でセレストの死を望んだのはジョザイアだ。

 そんな彼がセレストに強い想いを抱いていたというのはあり得るのだろうか。思いが強ければ憎悪や憎しみでもいいのだろうか。

 結局、すべて仮説でしかないから、答えなど出なかった。


『安心していい。前回の反省を踏まえて、スピカは封じるだけにとどめている。……将軍が素直に従ってくれたら、わざわざスピカの暴走に繋がる行為はしない』


「そういうことか……」


 ジョザイアは再びスピカが時間を戻すのを警戒しているのだ。

 シリウスを盗み、隠したという理由でフィルを断罪しても、スピカが三度目の世界をはじめてしまったら意味がない。

 だからこそ、先にフィルではなくセレストが捕らえられたのだ。


『セレスト殿もかわいそうだよね。あなたに好かれたから、不幸な目に遭う』


「それは……どういう意味だ……」


『今も昔も、彼女はあなたに巻き込まれただけってことだよ』


「巻き込んだ者が口にしていいセリフじゃないな」


 フィルは平静を装ったが、不快感で吐きそうだった。

 一度目の世界でセレストがスピカを奪われたのも、二度目の世界で捕らえられているのも、フィルに原因があるという。

 フィルはずっと不幸な宿命にあるセレストを救って、幸せにしてあげるつもりでいた。

 彼女が背負う責任の半分を肩代わりしてやりたかった。


(彼女は……俺とジョザイアの争いの犠牲になった……?)


 だとしたら、根底から間違っていた。

 二度目の世界でフィルがセレストの手を取らなかったら、彼女は幸せでいられたのだろうか。

 フィルの心は後悔と絶望に染まりかける。


(……いいや、俺はまだ……セレストを不幸になどしていない……惑わされるな)


 二度目の世界で過ごした七年以上の歳月、セレストはずっと笑っていた。

 今だって、捕らえられただけで命を奪われたわけではない。


『随分と強気だ。……フィル・エインズワース、都で待っている』


 その言葉を最後に、鷲は光のつぶになって消えた。


 フィルの取るべき道は一つしかない。

 人質を取られている以上、今はジョザイアの言葉に従うべきだ。けれど、大人しく捕まるつもりはなかった。

 ひとまずセレストさえ奪還できれば、あとはどうにでもなる。まだ負けていない。


 フィルは一度目をつむり、心を落ち着かせた。

 それから近くにいたケレットに向き直る。


「ケレット大佐。一応、俺は罪人となるらしい。ただ、ドウェインは無関係だし、うちの使用人も同様だ。しばらく滞在の許可をいただきたい」


「罪人ですと? シリウスの主人が罪人なわけがありません。それにあれではまるでエインズワース中尉が人質にされたようで到底納得いたしかねます。我らイクセタの砦の兵で、将軍閣下に剣を向ける者はおりません」


 ケレットは、本来なら将軍になっていてもおかしくないくらい、有能な司令官だ。

 中央から煙たがられているという点では、フィルと通ずるものがある。

 まともに顔を合せたことのない王太子よりも、フィルを支持するつもりのようだった。

 ケレットは、フィルが王家に反旗を翻すならば、砦の兵ごとフィルの傘下に入る勢いだ。


「そこまでにしてくれ。俺もセレストもこの件にまわりの人間を巻き込むことを望んでいない。勝手な願いだが、無関係な者の保護だけ頼みたい」


 大軍同士の争いになれば、必ず双方に犠牲者が出る。

 そのどちらも、ノディスィア王国の民だ。

 もしかしたら目的を果たすためには犠牲を恐れてはいけないのかもしれないが、今回に限ってはそれが有効な手段とは思えなかった。

 シリウスとレグルスの力を借り、単身で行動したほうが、セレスト奪還の可能性は高い。


「俺は、都へ行く」


 フィルはシリウスに跨がった。

 悔しい思いをしたシリウスも、気合い十分という様子だ。


「ちょっと待ちなさい。私はついていくわよ! なにがあっても絶対に」


 ドウェインがフィルたちの進行方向を塞ぐように立ちはだかる。


「既婚者なんだからやめておけ」


 新たな邪法で使用者が星獣使いになれるのならば、リギルが目覚めるのも時間の問題だ。アルタイル、アンタレス、リギル――この三体を相手に戦うことになるのだし、こちらはセレストを人質として取られているのだから不利だった。

 この世界でのドウェインには、誰よりも優先しなければならない大切な家族がいる。

 一緒に反逆者になる必要などなかった。


「元々、戦闘は苦手だから戦う気なんてないわ。……でも星獣使い同士で争ったら、なにが起こるかわからないじゃない。私は、癒やしの星獣ミモザの主人としての責任を果たすの。私はフィルの味方じゃなくて、シュリンガム公爵家の者として動くから! フィルに巻き込まれて牢屋行きなんて絶対嫌よ」


 もちろん、彼の本心が中立ではないのは明らかだった。

 ドウェインは、そうやってフィルが背負っているものを軽くしてくれている。


「……すまない」


 フィルはレグルスを実体化させた。

 ドウェインは一度ヴェネッサのところへ駆け寄って、ギュッと抱きしめてキスをする。


「ネッサ、ちょっとだけ留守にするわ。アンナの言うことを聞い――」


 短いキスのあと、別れの挨拶の途中でヴェネッサの平手打ちが炸裂した。


「イヤァァッ! 人前でなに考えているんですかぁっ、……ドウェイン様のばか!」


「ネッサったら、恥ずかしがり屋さんなんだから」


 ドウェインは、平手打ちに腹を立てる様子もなく、むしろ満面の笑みだった。


「……お気をつけて、いってらっしゃいませ」


 怒りと気恥ずかしさで頬を赤らめながらも、ヴェネッサは普段の調子に戻ってドウェインを送り出した。

 ドウェインは手を振りながらレグルスに跨がる。


「シリウス、レグルス……行くぞ!」


「ワオォォン!」


「ガルゥゥ」


 二体の星獣は砦から跳躍し大地を駆けた。

 大切な家族――セレストとスピカが待っている都へ向けて――。

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