3-7

「実験……?」


 ジョザイアは、まるでちょっと肩がぶつかったくらいの気安さで衝撃的な事実を教えてくれた。


「フィル・ヘーゼルダインからシリウスを奪うための実験だ」


「そんなっ!」


「ある意味、君が死んだのは将軍のせいってことだね? 彼が自分の身分とシリウスを隠した罪を……君が肩代わりしたんだ」


「……っ!」


 それでセレストがフィルを恨むようになればいいとでも考えたのだろうか。

 もちろんそんなはずはない。セレストはジョザイアに対して憤り、強く握ったこぶしを震わせた。


「それから、君を失った将軍が絶望するところを見てみたかった」


「フィル様は……あの方はっ! 星獣使いとしての師で、家族に恵まれなかった私に同情して……それだけの関係です……」


「違う。君が危険な任務に就くとき、将軍は密かにシリウスを護衛につけていたでしょう? この世界では保護者だからわかるけれど、以前は赤の他人。君は昔からずっと、フィル・ヘーゼルダインの特別だった。知らなかったのは君だけだ」


「フィル様の想いを勝手に決めないでください。……私は……」


 いったい彼はどこまで知っていたのだろう。

 セレストは憤りと恐怖、さらに羞恥心にまで苛まれ、心がぐちゃぐちゃになっていった。


「ねぇ、セレスト殿。……一度目の失敗は、君とスピカの絆が完全に断ち切れなかったことにあると私は考えている。眠っている星獣を呼び覚ます術を追加すれば……そちらのほうが安全だと判断した」


「……そんな」


「ミュリエル殿はアンタレスを。私はリギルを手に入れてあの人に勝つ。……スピカが封じられている今なら、勝機はこちら側にあるはずだ」


「戦う理由が……ありません……」


「十分にあるよ。理由があるのは、私よりもむしろ君たちだ。……現国王が先王アーヴァイン陛下になにをしたのか、君は想像したことがあるだろうか?」


「……い、いいえ」


 セレストは否定したが、その話は想像するまでもなく、フィルから直接聞いていた。

 当時フィルは生まれていなかったのだから、あくまで先王やマクシミリアン側の主観で語られた内容だ。

 それでも、先王の死後シリウスが星の間に戻らなかった事実は揺るがない。

 シリウスは国の守護者としての役割よりも、フィル個人を優先している。


 序列第一位の星獣シリウスの主人であることが正統性の証だという主張で、亡き先王の息子であるフィルが現王家を断罪することは可能だ。


 ジョザイアが息を吐く。笑いをこらえていたが無理だったという様子だ。


「嘘がとんでもなく下手なところが、本当に可愛らしい。……じゃあ、教えてあげよう。親殺しで手にした王位は無効で、私の地位も不当なものだ」


 卑怯かもしれないが、互いが口を噤んでいればこれまでどおりの関係でいられるはずだった。

 実際、フィルやセレストは国王が先王を暗殺しようとしたという証拠をなに一つ持っていない。ただ状況証拠としてシリウスの意思があるだけだ。

 それなのにジョザイアは、進んで国王の罪を口にする。

 対立以外の道を自ら閉ざしているようだった。


「セレスト殿。私はね、誰よりも善良なつもりでいたんだ……」


「……え?」


「理想的な国王になるべく、努力してきた。……突然自分に正統性がないと知ったときの気分など、君にはわからないだろうな。それに、この世界ではやってもいないのに、君の命を奪った記憶だけはしっかりある。絶望するには十分だ」


 それまでの余裕の笑みがいつの間にか消え失せていた。


「私のせい……、で。……だから私が憎いのですか?」


 ジョザイアの心はよくわからない。

 けれど、一度目の世界での記憶が、今の己の言動に大きな影響を与えてしまうという感覚は理解できた。

 セレストも、この世界でまだ起こっていない、起こるかどうか定かでない出来事の責任を取らなければいけない立場だ。

 セレストが周囲の者を幸せにする義務を背負っているのに対し、ジョザイアが知らないうちに背負わされたものは罪なのだろうか。


 罪から逃れられないから、同じ道を歩もうというのだろうか。


「いいや、憎んでいないと言ったはず。そもそもスピカの隠された能力に気づかず勝手に君から奪い、しっぺ返しを食らった結果なんだから、私の自業自得だ。それでも、私は懲りずに同じ未来を望んでしまう。……王太子、次期国王であり続けることだけが、私のすべてだから」


 そう言って、彼は肩をすくめた。

 冗談めかしてみせるが、考えを改める気はないようだった。


「また私を殺すのですか?」


「いいや。前回君を殺そうとしたのは、スピカとの絆が完全に断たれていることを確認するためだ。結果的には大失敗だったけれど。……今回はその理由が失われている」


 セレストはひとまず自分の命の危険が間近に迫っているわけではないことを知った。

 ただし、それでよかったとはならない。むしろ逆だった。


「生きているほうが、人質としての価値があるから、私を殺さないんですか?」


 どうしても拭えないジョザイアへの恐怖心を無理矢理押し込めて、セレストは彼をにらみつけた。


「そうだね。君はフィル・エインズワースを助けたい?」


「当たり前です!」


「ならば、別れなさい。そうしたら彼にある程度の自由と安全を与えよう」


「たったそれだけで、王太子殿下がフィル様を見逃すとは思えません」


 セレストは確かに、フィルにとっての有効な人質になる。

 けれどセレストがジョザイアの掌中にあり続けたとしても、フィルは常に王家にとっての脅威であるはずだ。

 彼ならば、必ずセレストを奪い返しに来るだろう。


「そんなことはない。フィル・エインズワースは、君がこちら側・・・・にいる限り、絶対に王家には逆らわない」


「こちら側……とは?」


 ジョザイアの語る「こちら側」という言葉には、なにか裏の意味が感じられた。単純に人質として王家の監視下に置かれる立場ではないようだった。


「人質ではなく、君自身が進んで私の隣にあり続ける――そんな関係だ」


「それは……!」


「フィル・エインズワースと離婚し、……君は未来の王妃になるんだ」


 ジョザイアは恐ろしいほどの無表情だった。

 未来の王妃――到底求婚している人の態度ではない。


「できるはずありません! 私はエインズワース伯爵夫人です」


「白い結婚でしょう? ……見ればわかるし、簡単に無効にできる。君は将軍に恋をしているのだろうけれど、手を繋ぐだけで真っ赤になるくらい清らかな関係だ」


「夫婦です!」


 二人の関係を言い当てられて、セレストは羞恥心と怒りで平静ではいられなくなっていた。


「私と夫婦になって、王位を継ぐ子が生まれたら? ……将軍は現王家を破滅させるだろうか? あり得ないね……あの人は本当に、君を傷つけることは一切しないだろう」


「嫌、……絶対に嫌! ……だって王太子殿下は私を……」


 この世界で起こった出来事ではないのだとしても、セレストには、スピカの暴走に至るまでの記憶がしっかりとある。

 ジョザイアはセレストにとって憎しみの対象だ。

 彼に記憶があるのなら、なおさら嫌悪感しか抱けなかった。


「では、フィル・エインズワースはシリウスを不当に所有していた罪で断罪しよう。……これは冤罪ではないよね? 君も、あの人も、シリウスの存在を隠していたのは事実だ」


「そんな!」


 ジョザイアが立ち上がった。

 窓の近くに立ったままだったセレストのほうへゆっくりと近づいてくる。

 セレストはジリジリと追い詰められるが、壁に背中を預ける位置まで下がれば、もう逃げ場がなかった。


「もう一つの筋書はこうだ。先王に対する陰謀は伏せたまま、シリウスの存在を公にし、あの人には将軍職に留まって国のために尽くしてもらう。父上――国王は将軍にあげるよ。煮るなり焼くなり好きにすればいい。……それで皆が幸せになれる」


 ジョザイアはセレストには触れず、ゆっくりと手を差し出した。

 セレストのほうから彼の手を取れば、フィルの罪は問わないというのだ。


「……嫌です!」


 ジョザイアは小さく笑って、手を引っ込めた。

 セレストの強い拒絶すら、彼にはなんの効果もなかった。憤る様子すら見せないその態度が、セレストをさらなる恐怖に陥れた。


「少し、時間を与えようか?」


 考えても、セレストの思いが変わることはない。

 けれど、無力なセレストは、壁際で体を強ばらせて震えることしかできなかった。


「……将軍が都にたどり着くまで、多少の時間はあるけれど、手遅れにならないようにね?」


 その淡々とした態度は、感情ではなく政略的な意義を考えろと諭しているようだった。


 ジョザイアはそれだけ言うと、セレストに背を向けて部屋を去っていく。

 彼が廊下に出てからしばらくすると、カチャリと鍵のかかる音がした。


(フィル様が安全に暮らせて……戦いが起こらない……そういう未来? 私がフィル様との幸せを望まなければ、誰も死なずに済むの?)


 一人きりになったセレストは壁にもたれるようにその場に崩れ落ち、左目の眼帯に触れた。

 力を封じられている限り、セレストはただの小娘でしかない。


「フィル様……」


 助けて――という言葉は出てこなかった。

 ずっと一緒に居たいのに、ここに来なければいいと思った。



『助けてほしい、守ってほしいと素直に言いなさい。……子供なら、許されるはずだ』



 死に戻った日に、フィルからもらった言葉が何度も頭の中に響いた。


「フィル様。……私はもう、子供じゃないんですよ……」


 それなのにセレストは迷子になってしまった気分だった。

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