第一部最終話 記憶

(……まったく! 心は十八歳……いや、十九歳のはずだろう。それなら異性に寄りかかって寝るんじゃない。無防備すぎるぞ)


 その異性が夫だから始末が悪いとフィルはため息をつく。


 皆でセレストのあどけない寝顔を観察してしばらくしてから、パーティーはお開きになった。ドウェインとヴェネッサはそれぞれ屋敷に帰り、モーリスとアンナはキッチンで片付けをしている。

 普段ならフィルも手伝うのだが、セレストがあまりにも幸せそうだから、起こさないようにと皆に諭されて、しばらく動けずにいた。


(まぁ、たとえ十八歳までの記憶を持っていたとしても、体力は十一歳だからな)


 フィルはセレストを支えながらソファから起き上がり、彼女を抱きかかえて、私室まで連れていく。歩き出したところで、肩に軽い衝撃を感じた。クッションの上で眠っていたはずのスピカがフィルの肩に飛び乗ったのだ。


 私室にたどり着き、セレストをベッドに寝かして毛布をかけてやる。

 スピカは、ずんぐりむっくりしたフォルムからは想像できないほどの機敏な動きでベッドに飛び降り、枕のすぐ横で丸まった。


 フィルとしてはこの人懐っこい星獣を心ゆくまで撫でたいのだが、ハリネズミのためせいぜい肩か手のひらに乗せるので精一杯なのが残念だった。


「次の休みはどこか景色のいいところに行こうか。……そう約束しただろう?」


 するとスピカは「ピッピッ!」と高い鳴き声で返事をした。かなり機嫌がよさそうだ。


 その約束は、あの悲劇が起こる直前にセレストと交わしたものだった。


 フィルの記憶は、スピカの星神力に触れたときに戻ってきた。なぜ忘れていたのかわからなくなるくらいに、この世界が巻き戻る前の記憶がいつの間にか自分の心の中にあった――そんな感覚だ。



 時間が逆行する前の世界で、セレストとは成立しないことが前提の縁談が持ち上がった。

 そのときは、わけもわからず大人たちの都合で歳の離れた男と結婚しなければならない少女が哀れだったから、フィルのほうから断るしかなかった。

 爵位と将軍職を与えるという国王や高位貴族の提案を突っぱねるべきではないとわかっていた。不興を買うと理解していても、人として、男として、できなかった。


 けれどセレスト個人に対し思うところはない。


 彼女が星獣を得てからは指導役として行動を共にした。

 彼女が養子先のゴールディング侯爵家で居場所がないことを知り、同情もしていた。

 尊ばれるはずの星獣使いでありながら、本人はなんの権力も持っておらず、ただ魔獣を討伐するためだけの兵器のように扱われている。立場は違えど、似たような境遇に親近感を抱いた部分もあった。


「たぶん俺は十八歳の君を……」



 フィルはセレストの寝顔を見つめながら、この現象が起こる直前の出来事を振り返った。





「ねぇ、フィル……おかしくないかしら? なんで大した被害報告もないのに星獣使いが二人も派遣されるのよ!」


 仮の司令部となっている砦の執務室では、ご立腹のドウェインがソファに身を投げ出していた。それもそのはず、魔獣の出没しやすい森への討伐遠征中であるが、まったく手応えがないのだ。この地を守る砦の兵も、なぜ星獣使いが派遣されたのか首を傾げている。


「調査を兼ねて……、と命令書に書いてあった。ドウェインこそ、上に目をつけられるようなことをしたのか?」


 また嫌がらせに違いないと思いながらも、だとしたらドウェインにまで命令が下った理由がわからない。プライベートでは趣味嗜好に問題があっても、彼は立派な貴族の令息で、公の場では貴公子としての振る舞いができるそこそこの常識人だ。


「どうせならフィルじゃなくて、セレちゃんと一緒がよかったわ。だって私とセレちゃんって本当に仲よしだしぃ、縁談を断ったりしてないしぃ、貴族同士だし!」


「……そういう挑発には乗らない」


 魔獣討伐目的の遠征に出る直前、フィルは戻ったらセレストと出かける約束をしていた。

 どうせ彼女のことだから星獣たちの気分転換としか考えていないだろうが、フィルとしてはデートに誘ったつもりだった。

 好意を抱いていても彼女との縁談は一度断っているし、将軍職に就いたとはいえ、貴族ではないフィルが彼女と結ばれる可能性はほとんどない。セレストは星獣使いという特別な役割を負っているためになかなか結婚相手が決まらないようだが、時間の問題だった。


 お節介なドウェインは、確かにセレストに好意を抱いているようだが、それは親愛であり恋愛感情ではないようだ。


 ドウェインは今もきっと、亡くなった婚約者を愛している。


 おそらくセレストとの仲のよさを強調するのは、フィルを急かす目的だ。


 遠征が終わったら、今の想いを伝え、これからどうするべきか二人で話し合いたい――まだ、告白すらしていないのにフィルはそんなことを考えていた。

 ふと窓のそとに視線をやると、大型の鳥が不自然な動きをしているのが目に留まる。


「伝令か……? だがなぜ」


 軍の施設には許可のない者が術を使えないようにする仕組みがある。正式な伝令なら、許可を得ているはずだから中に入ってこないのはおかしい。

 フィルとドウェインが砦の外に出ると、すぐに鳥が近くまでやってきた。


『正式な伝令は許可がおりないと判断し、このようなかたちとなりました。……三日前、セレスト様が星獣を不当に使役した疑いにより拘束されました。彼女が偽の星獣使いだったとのことです』


 鳥から流れてくる声の主は、都にいるフィルの部下だった。


「馬鹿な……」


 セレストとスピカのあいだにある信頼関係は、同じ星獣使いのフィルから見ても感心するほど清らかで、強いものだ。偽物のはずはない。


「不当にって? そんなはずないわよ!」


 ドウェインも同意見だった。

 そもそも遠征自体がおかしかったのだ。

 この国にはいくつか魔獣が生まれやすい淀んだ場所がある。危険箇所にはもちろん砦があり、軍の部隊が守っている。フィルがそこに出向くのは、新兵の訓練か、星獣が対処しなければならないほど凶悪な魔獣が出没したときだ。

 魔獣の動きが活発でもないのに、命令が下った理由がセレストからほかの星獣使いを引き離す目的だったとしたら――。


 部下は、現在セレストが拘束されていることと、真の星獣使いが彼女の義妹であるミュリエルだったということを報告してくれた。

 それ以上の情報はなにもない。こんな事態になってもフィルたちには都への帰還命令はない。もう答えは出ていた。


「ドウェイン! 俺は今すぐ都へ向かう」


「私だって……」


「だめだ。二人で命令違反をしたってなんの利点もない。任務に忠実なお前は、俺を引き留めた。だが、俺がそれを振り払い都へ向かった……いいな?」


 都でなにが起こったか、フィルはただ予想することしかできない。今はとにかく急いでセレストが置かれている状況を確認し、もし必要ならば追われる身となってでも、彼女を救うしかなかった。

 失うものがほとんどないフィルがまず動き、ドウェインには公爵子息として正面からの手助けを求めた。


「わかったわ」


 ドウェインは不満そうではあるものの、フィルの意図を察して引き下がってくれた。

 フィルはレグルスに跨がり都へと急いだ。星獣の力を借りても、都までは丸一日以上かかる。


 ところが――。


「なんだこの力は……スピカ!?」


 フィルが異常な星神力を察知した瞬間、レグルスが吠えた。


「セレスト!」


 遙か彼方に尋常ではない力を感じた。それは間違いなくスピカのもので、地響きとともにフィルたちがいる場所にも迫ってきた。


「呑み込まれる……!」


 まるで嵐だった。ほぼ無風のはずなのに、圧倒的な星神力に呑み込まれて、立っていることすらおぼつかない。猛烈な目眩で視界が霞んでいった。



 これは国どころか、世界を壊す嵐――。



 フィルが覚えているのはここまでだ。





「そうやって、君はセレストを守ったんだな」


 フィルはセレストの横でくつろいでいるスピカの鼻先にちょんと触れた。


「ピッピッ」


 スピカは誇らしげだった。あのとき、膨大な星神力を放ち時を戻したのは間違いなくスピカだ。無茶な力の使い方をしたから、今は星獣としての力をほとんど失ってしまったのだろう。


「きっと二度目はない。おまえがくれたやり直しの機会を、今度は後悔のないように生きてみせる……。大丈夫だ、セレストのことは俺と星獣たちで守るから」


 今のスピカには、もう奇跡を起こす力がない。もう一度大きな力を使えばそのまま消滅してしまいそうなほど弱っている。


「ピ……」


 時間が巻き戻り、セレストは一番にフィルを頼ってくれた。

 今にして思えば、フィルのほうもはじめて会った少女と結婚しようと考えたのは同情だけではなかったのだろう。

 一つは星獣が、セレストを守れと訴えている気がしたから。

 そしてフィルの心の奥底にも、彼女を手放してはいけないのだという焦燥感に似た感情が燻っていたからだ。


 スピカと再会し、常識ではなく直感に従って正解だったと知った。


 どうして記憶が戻ったのか、フィルとしても詳しい仕組みはわからない。単純に星獣使いだからという理由なら、ドウェインも条件は似たようなものだから、それだけではないのかもしれない。

 彼女に対する想いの強さか、従えている星獣の特性によるものなのか。どちらにしても、今の時点でセレスト本人にこの事実を伝えるつもりはない。

 この同居生活は、「フィルがセレストを子供だと認識している」という前提がないとたちまち壊れてしまう。互いに成人した者同士だと知ったら、セレストは同居生活に不安を覚えるだろう。

 セレストには子供を演じ続けてもらわなければならないし、フィルも彼女の保護者気取りでいる必要がある。


 一度目の世界――はっきりとは聞いていないが、セレストは死んだのだろう。せっかくやり直しの機会を与えられたが、条件は以前よりも悪い部分がある。


 二人には相変わらずまともな後ろ盾がない。爵位を得て、それぞれが星獣を従えていても権力の中枢にいる者からの命に逆らえない立場だ。

 むしろ一つの家が星獣を二体も従えていることで、余計に警戒される。

 そして星獣使いの役割を果たそうとしても、戦力としてのスピカには、現在のところ期待できない。


(夫として、妻とその星獣を公然と守れること。一度目とは違い、すでに将軍職に就いていることは強みとなるはずだ)


 フィルはこれから、スピカの主人を入れ替えた邪法がなんなのかを探り、一度目の世界と同じ力が使われるのを阻止しなければならない。


 王太子ジョザイアと、ゴールディング侯爵令嬢ミュリエル。この二人がセレストとスピカになにかをするのだということまではわかっていた。


「だが、今は……ゆっくりおやすみ。セレスト」


 セレストが身じろぎをして、長い銀髪が顔にかかった。フィルはそれを払ってから、頭を撫でてやる。心は大人のはずだから、安易に撫でないようにしようと思ったが彼女の意識がないせいで、歯止めが利かなかった。


「以前の君は俺に頼ったり、手を繋ぎたがったり。……そんな行動は絶対にしなかったくせに」


 憎からず想っていた相手が急に縮んでしまったというのが、フィルの感覚だ。

 しかも甘えてくる。

 まだ記憶が戻ってきて一日経っていないため、彼女との接し方が急にわからなくなって困り果てている。


「……フィル様」


 それはただの寝言だ。けれど名前を呼ばれただけで、フィルの心に妙に響く。

 以前の彼女はフィルのことを「ヘーゼルダイン将軍」と呼んでいたからだ。


 呼称の変化は、再びはじまった二人の人生が一度目をなぞるものではないのだという証だった。



 過去に戻ったのではない。セレストとフィルは幸せな未来のために進んでいる。




 【第一部 完】

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