6-4

「ヘーゼルダイン将軍閣下!」


 フィルのほうを向いたセレストの表情がふわりと柔らかくなった。


「これは王太子殿下。……失礼いたしました」


 フィルが、ジョザイアも一緒だったことに気がついて慌てて敬礼をする。彼のほうから見ると、木の陰に隠れてジョザイアの姿は見えなかったのだ。


「いいよ、同じ星獣使いなのだから堅くなる必要もないだろう。……すまない、もう行かなければ。それではセレスト殿、気をつけて」


「お気遣いありがとうございます」


「将軍も引き続きセレスト殿への指導を頼む」


「かしこまりました」


 二人のあいだには確かな絆があって、ジョザイアはそれを認めるのが嫌で立ち去った。

 けれど、彼らに背を向けながらもつい二人の会話が気になってしまう。


「セレスト、一人で行動するにあたっての注意事項をまとめておいたんだが……」


「あの……。何度も申し上げましたが、将軍閣下は十七歳の頃すでに自立していらっしゃったのでしょう? それにドウェイン様だって同じはず」


「俺はいいんだ。ドウェインも実戦部隊じゃないから危険も少ないし比較にならないだろう」


「もう!」


 ジョザイアは振り返り、親しげな二人の様子を覗き見た。

 ジョザイアはセレストから笑みを向けられたことがほとんどない。それでも彼女の笑顔がとびきり素敵だと知っていた。


 いつも、彼女の笑顔は自分以外の誰かに向けられていた。


(まぁいい……。少なくとも彼女がヘーゼルダイン将軍と結ばれることはないのだから)


 セレストを妃にする、というのは理想の王太子であるジョザイアにとっての決定事項だった。

 公の場で話題にすれば国王もゴールディング侯爵も認めざるを得ないはず。

 あえてそれをせずに、先に彼女との距離を縮めたいと考えているのは、できることならば彼女の心も手に入れるのが理想だからだ。


(やはり……今回の彼女の任務について探ってみるか……)


 ジョザイアは気配を隠し、彼女の任務を少し離れた場所で見守っていた。

 魔獣の発生しやすい森に異変がないか確認するというもので、わざわざ星獣使いが赴くような内容ではない。

 瘴気を察知する術を得意としている者と、その護衛役数名で隊を組めば事足りる。

 これまでセレストは、魔獣の討伐に関してはフィルの部隊に同行するというかたちで任務を遂行してきた。

 戦闘を得意とするセレストとスピカにとって苦手な部分の経験を積ませるという目的だとするのならば、今回の偵察任務は否定できない。それでも、貴族の令嬢を一人で森に行かせるなど、まともな家なら許可を出さないはずだ。


「キャァッ!」


 指定された洞窟を確認してから森の入り口まで戻る途中、セレストは山道で足を滑らせて滑落した。スピカの対応も、監視していただけのジョザイアの対応も間に合わない。

 セレストはそのまま建物の五、六階相当の急斜面を転がり――けれど、途中で白っぽいなにかが突然現れて、彼女の体を受け止めた。


 最初はスピカの力かセレストの術だと思ったジョザイアだったが、すぐに違うと知る。

 彼女を助けたのは美しい大型の獣だった。


(白銀の……犬だと……まさか、シリウスなのか? ……セレスト殿はシリウスの主人? ……そんなはずはない)


 シリウスが消滅したとされた事件は、三十年以上前の出来事だ。セレストとの接点はどこにもない。第一、契約の証となる紋章がない。


 気絶していた彼女が目を覚ます直前、シリウスは小型犬に姿を変えて、森の奥へと消えていった。まるでセレストには存在を悟られたくない様子だった。

 彼女は足を痛めたようだが、スピカの力で呼びかけをし、救助を要請した。

 数時間後にフィルとレグルスが駆けつけてきた。そのあいだ、誰かに存在を察知されたくないジョザイアは、彼女に近寄ることすらできなかった。


 彼らがいなくなってから、ジョザイアはセレストが滑落した場所を調べた。


(痕跡が不自然だ。これは……滑落事故を起こすための細工ではないのか?)


 よく見ると、細い山道にはほかにも一度掘ったあとに埋め戻した形跡がある。セレストは身体能力が高いわけではないし、スピカは攻撃力はあるものの万能ではない。

 彼女の死を望んでいたのか、それとも任務を失敗させて無能の烙印を押したかっただけなのかは定かではないが、人為的なものだと予想できた。


 セレストの件について、誰が犯人であるのか推測するのは簡単だ。

 それよりも、ジョザイアの関心は突然現れた白銀の大きな犬に向けられた。


(シリウスが陰ながらセレスト殿を守っていたとして……目的は? そもそも紋章を隠すことなど……)


 そこまで考えて、ジョザイアは一つの可能性に行き着いた。

 セレストと親しい誰かがシリウスの主人だとしたら、可能性があるのは片目を隠しているフィルだけだ――と。

 普段の彼の様子から推測しても、セレストの単独行動を心配してシリウスに護衛をさせていたと考えるのは自然だった。


「フィル・ヘーゼルダイン……あの者がシリウスの主人なのか……?」


 長い歴史を繙いても、星獣二体の主人になった者はいない。けれど、不可能だという確証もなかった。


 シリウスが消滅していなかったのだとしたら、同時に先王の死も疑わしくなる。


 この日から、ジョザイアは先王とシリウスが消息を絶った事件を独自に洗い直した。

 先王は行方不明ということになってはいるが、実質的には死亡という扱いだ。

 けれど改めて調べ直すと、当時あの場にいた者の何人かが別の証言をしていたという記録があった。

 それらはすべて身分の低い者たちの「妄言」で、国を混乱に陥れようとする「罠」と一蹴された。一方で先王と行動を共にしていた者のうち、比較的身分が高い者は口を揃えて魔獣の襲撃があったと証言している。彼らはおかしなことに、先王を守り切れなかった責任を問われるどころか一年以内に出世を果たしている。


(この国は、父上は……どれだけ腐っているんだ……)


 本当は、罪人として処罰された者だけが真実を語っていて、魔獣との戦いで行方不明と証言した者たちこそ、先王暗殺に加担していたのだ。

 状況証拠しかないが、国王の性格から考えればそうとしか思えなかった。


(ヘーゼルダイン将軍は血筋など関係なしに、すばらしい術者で星獣使い。尊敬できる人物……血筋……?)


 フィル・ヘーゼルダインは、彼の祖母が術者の家系に連なる者であったが、平民の取るに足らない家の出身で、彼だけが不自然なほどに高い星神力を持っている。

 そして彼の父親についてはまったく情報が出てこない。けれど、彼の祖父は先王の友人であったという。


(シリウスを従えているというその一点だけで、証拠としては十分のはずだ)


 つまりフィルの父親はアーヴァイン・ノディスィアなのだろう。


 あの事件の真相と国王の罪にたどり着いたジョザイアだが、それを誰かに話すことはできなかった。

 シリウスの存在が明るみに出れば、現ノディスィア王家は破滅するのだから。


「はじめて……父上のお気持ちがわかりましたよ……。ハハッ、ハハハハッ!」


 未遂とはいえ、父親殺しという国王の罪が暴かれれば、国王は大罪人となり、その息子であるジョザイアも王太子ではいられない。正統な王位継承者はフィル・ヘーゼルダインとなるのだろう。

 たとえ彼の母親が、この国の正式な王妃となっていないただの平民だとしても、フィルが序列第一位の星獣シリウスを従えているという事実は揺るがない。

 シリウスの主人が国王となるという明確な規則はない。もし国王が先王暗殺をくわだてていなければ、たとえ同じ時代にシリウスの主人が現れていても、ジョザイアの正統性は揺るがなかったはずだ。


 ジョザイア自身には罪はない。それなのに理想も望みも、すべて彼自身が生まれるより前にあった出来事のせいでいずれ奪われる。


 その真実にたどり着いた瞬間、ジョザイアはそれまで哀れな人だと見下してきた父親と同じところまで堕ちた。

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