6-3

 ジョザイアから見た一度目の世界でのセレストは、今よりももっと大人しい印象の女性だった。新月の乙女に選ばれても、あまり嬉しそうではなかったし、表情が乏しい。

 おそらくゴールディング侯爵家から「王太子に好かれてはならない」と圧力がかかっていたのだろう。


 けれど、王太子妃――未来の王妃にふさわしいのは間違いなく彼女だった。


 現役で唯一の星獣使いなのだから、ジョザイアはそうなるべきだと婚約の打診を何度かしていたが、侯爵にかわされ続けていた。


 侯爵が愛娘のミュリエルを未来の王妃に据えようと画策していたのは明らかだ。

 そして劣等感の塊のような国王は、なにが王家のためになるのかくらいは理解していたはずなのに、侯爵の肩を持つような言動を繰り返していた。


 王族ならば、最上位の星獣を従える存在であれという主張をする一方で、自分が星獣使いになれなかったせいでいつも矛盾を抱えているどうしようもない人だった。


(父上は、私が力を持つことを恐れているんだ。……実の息子だというのに、愛さない。幸せを願えない。王位を脅かす対象としか見ていない。……それどころか、国の繁栄すら願っていないのだから、どうしようもない屑だ)


 一度目の世界のジョザイアは二十三歳頃までは理想的な王太子だった。

 だからこそ国王を疎み、できる範囲で王族として正しい行いをしようと心がけていた。



 そんなジョザイアが幼い頃から父親に植えつけられてきた自らの歪みを認識したきっかけは、セレストだった。


 ある日、セレストが単独で森の調査任務を行うという知らせが入った。


 ジョザイアは調査という名目のこの任務が非常に怪しいと疑っていた。

 そもそも彼女が軍に所属していないにもかかわらず、フィルに師事し、実質的に軍人と同じ扱いになっていることがおかしい。

 おそらくゴールディング侯爵家はセレストが独立し、侯爵家から離れる事態を警戒していたのだろう。

 軍は国の機関であり、国王の命令に従う組織だ。けれど軍内部にも派閥はあるし、無茶な要求は通らない。国王と言えど、軍を動かすのであれば御前会議などでの議論と多数の承認が必要となる。

 セレストが正式な軍人であれば、それに付随した権利と保障があったはず。

 侯爵家も国王も、セレストに正式な身分を与えないことによって、彼女を自分たちの所有物として扱い続けるつもりだったのだ。


 軍からの要請を星獣使いのセレストが引き受けたということになっている任務は、どこか不自然だった。

 だからジョザイアは軍の司令部に顔を出しているはずの彼女に会いに行った。


「セレスト殿」


「王太子殿下、ごきげんよう」


 彼女は大抵、軍服に似た男装姿だ。たとえ養女であっても、彼女は高貴な家の令嬢だというのに、そんな雰囲気は感じられない。


 ゴールディング侯爵は、相変わらず姪の悪評を流し続けている。

 彼女が星獣使いになってからは、魔獣を狩ることにしか興味を持たなくなってしまった兵器のような女――そんな設定だった。

 ついでにフィル・ヘーゼルダインから悪影響を受けているとして、二人同時に貶めようとしていた。指導役を彼に決めたのは国王と侯爵だし、ふさわしくないのなら別の指導役を選べばいいというのに、矛盾していた。


 その悪評をセレストが否定する機会はほとんどない。

 侯爵から禁止されているのか、貴族たちが集まる社交の場に顔を出さないせいだ。


「明日から一人での任務だと聞いたが、大丈夫だろうか?」


「もちろんです。……ヘーゼルダイン将軍閣下からも同じことを言われました。それからドウェイン様も心配してくださったみたいです。皆さん、もっと若い頃からお一人で星獣使いの任務を果たしておられましたのに」


「けれど君はか弱い令嬢だから」


 それまで無表情だったセレストが、目をぱちくりとさせた。「か弱い」という部分が自分の本質とはかけ離れているとでも言いたいのだろうか。

 日に焼けない体質なのか、彼女の肌は真っ白だ。銀髪に淡い青の瞳の印象から冷たい女性だと思われがちだが実際は違う。

 人見知りで口下手なだけだとジョザイアは知っていた。

 星獣使いとしての力はすさまじいが、彼女自身は簡単に手折られる花のような繊細な人だ。


「将軍閣下が厳しく指導してくださったので、問題ありません。私が失敗などしたら、指導役だったあの方のお立場がありませんから、絶対に責務を果たします」


 自分が認められたいから、功績をあげたいから――そんな理由ではなく、フィルの立場を守るために、セレストは孤独な任務に挑むつもりのようだ。


「君は、ヘーゼルダイン将軍が好きなんだね……」


「へ?」


 まぬけな声をあげたあと、ボッと頬が真っ赤に染まった。

 セレストはジョザイアの前ではめったに笑わないし、表情が乏しい。それが「ヘーゼルダイン将軍」というひと言だけでこんなにも変わる。


(無自覚なのか……。わざわざ気づかせてあげる必要もない)


 セレストとフィルのあいだには、かつて権力者たちのくだらない謀略によって縁談が進められようとした時期がある。一度断っているフィルが今更求婚などするわけがないだろう。そもそも平民の星獣使いである彼にこれ以上の力を与えることなどあってはならない。

 ジョザイアはとくに彼を嫌っているわけではないし、どちらかと言えば尊敬している。それでも一部の軍人や平民からの人気がある彼には警戒もしていた。


「い、いや。……セレスト殿は将軍を尊敬しているんだね?」


「もちろんです。星獣使いとしても、術者としても、人としても……とてもすばらしい方ですから」


 ほんのりと頬を染め、はにかむ彼女の姿を見ているとなぜだかジョザイアの胸がチクリと痛む。国王と侯爵からの妨害がなければ、頼れる者の少ない彼女ともっと親しくなれたはずだった。フィルがそうだったように、未熟で素直な彼女から信頼を得ることはそんなに難しくはなかったはずだ。

 フィルへの賞賛の言葉が彼女から発せられるたび、それは本来自分が得るべきものだったという思いがジョザイアの中に生まれていった。


 ジョザイアは彼女に惹かれていたのだ。


「序列四位の星獣を従えているのに、下位の者の教えを請うのは嫌ではないのか?」


 口にしてから、いらだちのせいで言葉を間違えたのだとすぐに気がついた。


「……どうしてですか?」


 普段は礼儀正しいセレストが一瞬だけ顔をしかめる。

 こういう発言を彼女が嫌うのは当然だった。ゴールディング侯爵家で散々見下され、真の侯爵令嬢であるミュリエルを立て、でしゃばるなと強要されているのだから。


「すまない、くだらない発言をした。私も将軍のことは尊敬しているよ」


 ジョザイアは自分自身に嫌悪感を抱いた。

 これでは王侯貴族の血の尊さを盲信して、自分の無能を認められない国王と同じだ。本当はジョザイアの心の中にも国王と同じ醜い感情があるのだと証明してしまった気がした。


「王太子殿下? なんだかお顔の色が……」


「いや、大丈夫だ。それより次に城で開かれる舞踏会なんだけれど」


「……舞踏会、でございますか?」


 きょとんと首を傾げる様子は、まるで自分とは無関係だと言わんばかりだ。


「たまには一緒に出てみないか? 星獣使い同士が親交を深めるのも重要だと思う。君は侯爵令嬢なのだからもう少し社交の場に出たほうがいい」


「王太子殿下からのご命令であれば、もちろん喜んでご一緒させていただきます。お手数ですが、ゴールディング侯爵家に招待状を送ってくださると幸いです」


 それは遠回しに、伯父の許可があるのならと言っているのだろう。


(何度も送っているんだが……! )


 ジョザイアはこれまで何度かゴールディング侯爵を通しセレストを公式行事のパートナーにしようと試みたことがある。叶ったのは星祭りのときの一度きりで、それ以降は適当な理由を並べてはすぐにミュリエルへとすり替えられた。

 ジョザイアはそんな状況にため息をついた。


「君がもし――」


「セレスト、ここにいたのか」


 侯爵家を出る気ならば力になるという提案をしようとしたところで邪魔が入る。声の主はフィルだった。

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