7-3
しばらく心が落ち着くのを待ってから、私室を出る。
時刻は昼を過ぎたところだ。今日はセレストの両親の墓参りをしてから、のんびり過ごす予定になっている。まずはキッチンに寄って、料理人からお菓子をもらう。敷物と一緒にバスケットに詰めれば支度は完了だ。
それからフィルがいるはずの書斎へ向かった。
ノックをしてから入室すると、執務机に座ったフィルが書類に目を通しながらランドンと打ち合わせをしているところだった。
「そこで少しだけ待っていてくれ」
セレストは邪魔にならないように近くにあったソファに座って二人の様子を眺めていた。
同じ部屋にはスーがいて、全力で尾を振りながらセレストの膝の上に乗ってきた。セレストはスーを撫で回しながら領主としてのフィルを観察する。
「ですから旦那様。余裕のある今、さらなる領地の改善を進めるのが得策かと」
「候補は街道の整備、農地の開拓か……。農地についてはリスクの調査がこれだけでは足りないな。実際に開拓予定地を見てみたい。とくに地図で見るかぎり水源について若干不安がある」
机の上には書類や地図が置かれている。フィルは地図の一点を指しながら意見を述べる。
「かしこまりました。私のほうでも追加で調査をいたします」
「ああ、しかしいつもながら見事にまとめられている。……助かる」
「光栄でございます」
フィルは軍人だけれども、剣や星神力を使った術の素晴らしさだけで今の地位を築いたわけではない。将軍として部下をまとめ、的確な指示を出すこと、戦術や戦略を立てること、知略を駆使することも含めて評価されているのだ。
(書類と向き合うフィル様も格好いい……)
領主としての職務は将軍職とは違うが、フィルは立派に役割を果たしている。
本人を賞賛すると、人の力を借りているだけだと謙遜するだろう。確かに、領地の運営はランドンに任せているし、そのランドンはドウェインに紹介してもらった。
けれどきっと、フィルが尊敬できる人物でなければ、仕える者の心は離れていく。適材適所に人を配置し、任せていいところ、そうでないところを判断できる者がすばらしい領主なのだろう。
「クゥン」
思わず撫でる手に力が入ってしまったため、スーからの抗議があった。
セレストは慌てて力を緩め、今度は優しい手つきでスーの顎のしたあたりをくすぐってやった。そうこうしているうちに、フィルとランドンが机上の書類を片づけはじめた。
「セレスト、待たせたな。出かけようか」
「はい!」
フィルはバスケットを抱え、セレストはスーを抱っこするというかたちで部屋を出る。
まずは馬車に乗って、郊外にある教会へ向かった。教会裏手には墓地があり、セレストの両親はそこで眠っているのだ。
セレストは墓標の前に膝をつき、まずは花を手向ける。
それから胸の前で手を組んで祈りを捧げた。
(お父様、お母様……ずっと会いに行けなくてごめんなさい。この土地がまた私の家になりましたよ……)
許可なく都を離れられない星獣使いのセレストは、これからも簡単に領地に出向くことは難しい。それでも父が命をとして守った地を取り戻したことは大きい。
(それから、今は仮初めの夫婦ですが……フィル様は私の特別な人です。……あぁ、そうでした……スピカも紹介しなきゃ……)
心の中で仮の夫であるフィルを紹介してから、両親に家族を紹介しきれていないことに気づく。せっかくの機会なので、セレストはスピカを実体化させた。
「お父様、お母様。この子が星獣のスピカ……私の半身です」
「ピィ!」
スピカが元気よく挨拶をしてくれた。
セレストにならい、フィルもレグルスを呼び出した。ここにいる二人と三体で一つの家族だった。
ゆっくりと時間をかけて墓参りを終える。
「この近くに景色の綺麗な丘があるはずなんです。変わってないといいな……」
屋敷へ戻る道の途中で脇に逸れてしばらく進むと、小高い丘がある。幼い頃の記憶を辿りながら坂道を上ると、思い出の中とあまり変わらない景色が広がっていた。
大きな木が一本あって、その周辺には草原が広がっている。よく観察するとシロツメクサや小さなスミレなど、どこにでもあるありきたりな花が咲いている。
庭園の花壇のような立派な花はないけれど、美しくて癒やされる光景だった。
丘の上からはアクーリの町が一望できる。
今日は空気が澄んでいて、遠くまでよく見えた。
セレストたちは、持ってきた敷物を草の上に敷いてバスケットの中のお菓子をいただくことにした。星獣たちは草原を駆け回って遊んでいる。
「あの子たち、競争しているんでしょうか?」
「みたいだな……」
身体の大きなレグルスが草原を駆ける。その後ろはスピカだ。一番脚の短い彼だが、じつは俊敏で目に映らない速さで脚を動かすことができる。ただ、野を駆ける姿が格好いいかと問われるとそんなことはなかった。丸っこい体でどうやって走っているのだろうかという部分が気になり、油断するとその必死さがほほえましくて笑ってしまう。
スーは小型犬らしい振る舞いが染みついているため、最下位に甘んじている。
二人がお菓子を食べ終わった頃、遊び疲れた三体が戻ってきた。
「昼寝にちょうどよさそうだ」
心得たとばかりにレグルスが二人の背後に回り寝そべった。どうやら枕になってくれるつもりのようだ。
フィルはレグルスの善意を無駄にせず、そのまま寝転がる。
「ガゥ、ガゥ!」
レグルスはどうやらセレストも同じようにしたらいいと誘ってくれているようだ。けれど少しだけ抵抗があった。レグルスの体は大きいが、二人で彼を枕にしたら肩が触れるかもしれない。フィルの言葉を借りるなら「差し障りのある」距離になってしまう気がしたのだ。
「フィル様……、私も隣でお昼寝してもいいですか?」
「……いちいち聞くな」
「無許可はちょっと」
「問われると、常識で許されるかどうかを考えたくなるから断る。……だから聞くなと言ってるんだ」
それは遠回しな許可だった。フィルが本当に困っているのがわかるから、セレストはついおかしくなった。
「フフッ」
大切な人が困っているのを見て嬉しくなるという経験はあまりない。けれどなんだか幸せな気分になれるから不思議だ。
セレストもレグルスを枕にして寝転がる。スピカとスーもそれぞれの主人に寄り添って、休憩時間となった。
「……前より笑うようになったな」
フィルがぼそりとつぶやいた。
「自覚はあります」
笑えるようになったのは、すべてフィルのおかげだとセレストは思う。一度目の世界の記憶が戻っていたわけではないのに、彼が十歳の子供の話を真剣に聞いてくれたから、セレストの今がある。
あの日から一度目の世界の単なるやり直しではない人生がはじまったのだ。
「以前の君は、時々こちらが手を差し伸べると、どうしたらいいのかわからず困惑してばかりだった。まぁ……ぎこちない笑顔が可愛かったが……」
「フィル様!」
記憶が戻っていたことを告白してからのフィルは、一日一度はこうやってセレストを翻弄する。保護者の立場でいてくれるという宣言は嘘だったのだろうか。
「……なぁ、セレスト。二度目の世界では君の立場も俺の立場も大きく変わった。立場が変われば同じ状況にならない可能性もあると俺は思う」
フィルが急に真剣な表情になった。
「王太子殿下やミュリエルと戦わずに済む……ということですか?」
セレストの言葉にフィルが頷く。
「だが、わからない。……王太子殿下はどちらかと言えば君に好意的だったはずだし、君から星獣を奪い、ほかの者に与えた理由がなんなのか見当がつかない」
「ミュリエルを好いていて、彼女に星獣を与えたかった……とか?」
「とてもそんなふうに思えなかったが……。原因も邪法もわからないからすべてが相手の出方次第で先回りが難しい。それがもどかしいな……」
それはずっと前から感じていることだった。ジョザイアがセレストを嫌い排除しようとした動機がわかればそれを潰せばあの悲劇は起こらないはず。
けれどセレストには彼に憎まれた理由が思いつかない。すべてが後手に回ってしまう。
「だが、今はこうやって穏やかな暮らしを楽しもう。俺にも、君にも……星獣たちにもその権利があるのだから」
「はい」
「俺は復讐を望まない。君にも望んでほしくない。誰かを憎んで幸せになれるのならいくらだってそうするが、それはじいさんや父さんの望みではないし、スピカの望みでもないから」
フィルの家族が願ったのは、先王の暗殺をくわだてて王位を奪った現国王への復讐ではない。
セレストを助けるために時を戻したスピカもきっと、セレストの幸せだけを望んでいる。
「……私の、幸せ」
「あぁ、そうだ。楽天的な発想で油断してはいけないと思う。だがここから先、優先すべきは俺と君、星獣たちの幸せであることを忘れるな」
復讐心で大切なものがなにかを見誤ってはいけないと彼は諭す。
セレストは祈った。十八歳を超えた先にある世界に待っているのが、誰とも戦わずにいられる――悲しい出来事が起こらない世界であることを。
スピカ、レグルス、スー……そしてフィルと一緒なら、それが実現できると信じていた。
【第二部 完】
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