第3部
1-1 十七歳、世界は変わっていく
イクセタ領の翼竜討伐の功績により、セレストは昇進し中尉になった。
それからフィルや星獣たちと穏やかな生活を送り、十七歳の春……。
セレストは軍内部の配置換えにより、一つの小隊を指揮する立場になっていた。
今日も無事に一日を終えようとしている。
夕食を食べてから書斎で領地に関する仕事を片づけ、フィルと二人で過ごすのが最近の日課になっていた。
と言っても、今夜は急いでやらなければならない仕事はなかったので、紅茶を飲みながら同じソファに座り、おしゃべりをしているだけだった。
「人を使う立場には慣れたか?」
「まだまだです。……よく部下からもっと頼れと言われてしまいます。わかってはいるんですが、つい」
今までスピカが消滅の危機だという理由で、軍内部でのセレストはフィルの保護下にあった。肩書きは副官付という将軍を補佐するチームの一員で、常にフィルと一緒に行動をしていた。
けれど、軍での実績とスピカの回復によりその必要性がなくなってしまった。
一部の者――国王や国王に近い立場の者たちは、セレストとフィルが一緒にいることで起こる力の集中に危機感を抱いている。
王命による結婚だったと常にアピールしているため、今のところ離婚を求められてはいないが、だからこそ軍内部では距離を置く必要がある。
軍という一つの組織として考えるならば、セレストはフィルの部下だ。
けれど、独り立ちをしてフィルとは別の任務に就いているというのが、今のセレストの状況だった。
「必要以上に責任を感じなくていいんだ。部下にも、この世界にも……。そうは言っても、人の意識など簡単に変わるわけでもないけれど、気長にな?」
セレストの責任感は、この世界を自分の都合で変えてしまっている事実が根幹にある。
一度目の世界の記憶を持っているフィルも、本当は同じ悩みを抱えていて、背負いきれないくらいの重圧の中にある。
けれど、彼は決して膝を折らない。泣き言もいわない。それどころかこうやってセレストの背負うものを肩代わりしようとする。
「はい! 今の私は一人ではありませんから」
頼ることを恐れてはいけない。フィルから何度も教えられていた。
「うん、それでいい。……明日は忙しいから今日は早めに寝ないとな」
「結婚式……ドキドキして、眠れないかもしれません」
「まるで自分のことみたいに楽しそうだな?」
「だって……私、結婚式に参列するのがはじめてなんです」
明日はドウェインとヴェネッサの結婚式だった。
ドウェインは現在二十五歳、ヴェネッサは彼の一つ上だ。結婚式とそのあとに公爵邸で開かれるパーティーは盛大なものになるはずだ。
「あのドウェインが結婚か。信じられん」
「お二人はとてもお似合いですし、仲よしですから……私、嬉しいんです」
「そうだな。俺たちにとってもあの二人の存在は希望になる」
一度目の世界と二度目の世界。大きく変わったことの一つがヴェネッサである。一度目の世界での彼女は、セレストと出会う前に死亡していた。
ドウェインはおそらく、幼馴染みで婚約者だったヴェネッサをずっと想い続けていたのだろう。時間が逆行する直前まで、結婚したり、恋人を作ったりということをしていなかったようだ。
ドウェインたちの幸せは、セレストとフィルにとっても目指すべき未来の指針となる。
一度目の世界で失ったはずの幸せを再び求めていいと励まされている気持ちになれるのだ。
「ところでセレスト」
「はい」
「昔、俺たちもそれっぽいことをした記憶があるが、あれはあくまで仮だから」
それっぽい、というのは結婚式のことだ。十歳の頃、セレストがはじめてこの伯爵邸を訪れた日にドウェインや星獣たちが祝ってくれた。
あの日もらった指輪は、今でもチェーンにかけて肌身離さず持っている。
セレストは指輪があるはずの場所に服の上から触れてみた。するとトクン、トクン、と心臓の音が感じられた。
「……うぅぅぅ、うぅぅ」
「う、しか聞こえない。言葉にしないとわからないぞ」
最近、フィルが妙に意地悪になった気がするのはセレストの気のせいだろうか。
「う……れしいです……」
頬と耳が熱くて、嬉しく思うのと同じくらいに恥ずかしかった。セレストは耐えられず、フィルから目を逸らし、うつむいた。
するとフィルは額にかかる髪に触れた。彼がそんなことをする場合、次に取る行動をセレストは知っていた。
(お……おでこに……キス……)
軽く抱き寄せること、そして額へのキスだけは彼の中で解禁されていた。
セレストは、嫌ではないのにビクリと身構えてしまう。どうせするのなら、そんなふうに予告しないでほしいと恨めしく思った。
たっぷり焦らしてから、フィルはセレストの額にそっと唇を押し当てた。
最初からこれでもかというほど鼓動が高鳴っているのに、まだ先があるのだと思い知らされる。ドキドキではなくバクバクと全身の血が勢いよく身体を駆け巡っていた。
「ほら、お返しは?」
唇が離れると、彼はすぐにそんな要求をしてきた。
セレストは一方的な関係が嫌だから、意地になって彼の頬にちょんと触れるだけのキスをし、またうつむいた。
「フィル様は……少し変わられました……」
スピカが時間を逆行させたあの事件が起きたのは、セレストが十八歳になってから迎えた秋だった。運命の日まで残すところあと半年だ。見た目はもうあの頃の二人そのものになっているけれど、フィルの態度は以前とは異なる。
「俺の本質も、俺の心も……じつはあまり変わっていないと思う。変わったのは立場だけだ。そろそろ馴れてもいいのにな?」
一度目の世界での関係は上官と部下、または師弟、そうでなければ星獣使いの仲間だった。二度目の世界は仮初めの夫婦であり、抱えている問題が解決したあとは本当の夫婦になるのだともう決めている。
「……少し馴れると、恥ずかしくなるような言動をフィル様が追加するからです!」
「だが、想いを伝えないでおくことで得られるものなど俺たちにはないからな。昔の俺が馬鹿だったんだろう」
一度縁談を断っているから、そして、セレストは侯爵令嬢でフィルは平民上がりの将軍だったから――そんな理由で一度目の世界での二人は特別な関係になることはなかった。
セレストなんて、自らの気持ちを自覚せずにいたくらい鈍感だった。
「フィル様」
セレストはフィルに寄りかかった。
「あと半年か……」
半年経ったら、二人の関係はきっと先に進むのだろう。
それは終わりでもはじまりでもない。
今の時点では、ジョザイアとミュリエルに表立った動きは見られない。セレストが一度目の世界とは違う行動をした結果、あの悲劇は起こらない可能性もある。
けれど、十八歳の秋を超えた先に安寧が待っているかもわからない。
そこから先も努力をし続ける必要があるのだろう。
あと半年。セレストはあの悲劇の日を超えた先でもずっと笑っていたかった。
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