7-2

 この日は、小さな宿場町で宿を取った。

 これまで身を隠しながらついてきていたスーもいるから、旅の仲間は二人と三体になった。

 部屋は少々狭かったが、セレストとしては皆で一緒にいられることが嬉しかった。

 スピカはセレストのベッドの上、スーはフィルのベッドの上、体が大きなレグルスは床に寝そべっている。

 セレストは就寝の準備をしてベッドにもぐり込み、ランプを消そうとするフィルの姿をぼんやりと眺めていた。


「眼帯……していないんですね……?」


「君と星獣たちしかいないのなら、隠す必要もないだろう」


 これまでも一人のときははずしていたのだろう。

 フィルの右目が見えているのが新鮮で、セレストはつい彼の顔を見つめてしまう。凜々しさと優しさの両方が備わっているフィルを眺めているうちに、セレストは妙な気恥ずかしさを覚えた。


 やがて部屋が暗くなり、彼の姿が見えなくなる。

 ごそごそと物音がして、フィルも横になったのだとわかる。


 皆におやすみなさいを言ってから、セレストは目を閉じた。

 するとなぜだか、ランプを消す前のフィルの姿が瞼の内側に浮かんでしまう。きっと彼はこれからいくらでも隠しごとのない姿を見せてくれるはず。

 今は新鮮で、特別に感じるかもしれないが、いつか慣れるはずなのに……。


(昨日は星神力の使いすぎで疲れていたからすぐに眠れたのに……今日は……)


 まだ完全に回復とはいかないし、半日馬で移動を続けたのだから疲労は蓄積されている。

 あと数日旅を続けるのだから、睡眠はしっかり取らなければならない。セレストは心の中にあるムズムズとした気持ちを追い出そうとした。


(スピカが一体、スピカが二体……スピカが三体……)


 短い脚でちょこちょこと動き回るスピカを想像し、数える。けれど油断すると先ほどのフィルの姿が浮かび、一度目の世界の記憶のことや彼からもらった言葉ばかりが頭に響く。


(フィル様は私の心が大人だとご存じで……それでも、私と一緒に……。十八歳までは保護者でいてくれて……。そのあとは、……そのあとは……)


 セレストはもう一度可愛いスピカの姿を想像する。それだけでは足りない気がして二体の星獣も追加してみる。


(スピカが一体、レグルスが一体、スーが一体……、フィル様が一人……あ、全員集合しちゃった……)


 星獣たちがフィルにスリスリと体を寄せて嬉しそうにしている場面が浮かんできた。

 セレストもそこに交ざりたいなどとつい考えてしまう。


 しばらく悶々としていると、フィルが寝返りを打つ音が聞こえた。

 寝息も聞こえないし、動きがぎこちないからまだ眠っていないのかもしれない。


「フィル様……もう眠ってしまいましたか?」


「いいや。どうした?」


 セレストが遠慮がちに問いかけるとすぐに返事があった。


「フィル様がおっしゃっていた、差し障りがあるという言葉をなんとなく実感しているのですが……どうしたらいいでしょうか?」


 これからエインズワース領までまだ同じように旅を続けるのだし、帰路もある。そのあいだずっとこの感覚が続くのだとしたら寝不足で体を壊してしまうだろう。

 だからセレストは、年長者であるフィルに助言を求めた。


「そういうのは気づかないふりをしろ! 頼むから……」


 出会ったときからフィルは、いつでも的確な助言をくれる人だったはずなのに、この件では頼りにならないらしい。


「……やってみます」


 彼のことを意識せずに眠ろうと思えば思うほど、目が冴えてしまうという悪循環は日付が変わる頃まで続いた。


 エインズワース領にたどり着いたときには、二人とも目の下にうっすらくまができてしまった。フィルは本当に先のことがよく見えていたのだ。セレストが子供のふりをすることと、フィルがセレストを子供扱いすることがどれだけ二人にとって重要だったのか。セレストはそれを嫌になるほど理解させられた。

 けれど、もう忘れたふりはできない。変化し続ける関係に、これから慣れていく必要があるのだろう。


「わぁ……アクーリの町……。懐かしい!」


 エインズワース領の中心部はアクーリという名の町だ。町の一部は六年前、翼竜によって壊されたが、すでに修復されている。変わっている部分も多いはずだけれど、町の雰囲気は記憶の中にあるものとほぼ同じだった。


(一度目の世界の八歳のときに離れて以来だから……本当に久しぶり……)


 ここはセレストが生まれ、子供時代を過ごした故郷だ。

 魔獣被害が発生した直後、セレストは使用人に連れられて安全な別の町へと逃れた。戻ってきたのはフィルによって翼竜が倒されたあと――父の葬儀のときだ。

 この地には父と母の墓がある。伯父のゴールディング侯爵は、毎年弟の墓参りをするような性格ではなかったし、星獣使いのセレストも自由な旅が許される立場ではなかった。

 とくに父の死により領地と爵位を返上したため、一度目の世界でのエインズワース領は、セレストとはなんの関わりもない土地となっていた。

 けれど、幼い頃の思い出が詰まっている特別な地だ。


「俺もここで戦ったが……正直あまり覚えていないな。あのときは、そんな余裕はなかった」


 フィルがこの地を訪れた目的は、魔獣討伐だったのだから観光などできる状況ではなかったのは当然だ。


「それでは短い滞在期間ですが、めいっぱい楽しみましょうね!」


 今回の目的は墓参りと領地の視察、それから遅すぎる新婚旅行だ。それ以外にやらなければならないことはやったため、ここからは本気で休暇を楽しんでいい。


「ああ」


 まずはそのまま馬を走らせて領主の屋敷へ向かう。

 セレストの乗る馬が背負う荷物の上にはちゃっかりスーが座っている。彼だけ除け者にするのはかわいそうだから、寂しがってついてきてしまったという設定に変えたのだ。

 ここからは誰も欠けることなく、皆で休暇を楽しむつもりだった。


 街道から町を通り抜け、丘の上まで行くと白い壁の屋敷が見える。一時期、国の直轄地であったため国王の命を受けてこの地を管理していた行政官が暮らしていたそうだが、セレストの記憶の中とあまり変わっていない。

 広い庭園に池があり、小さな橋がかかっている。花壇には春の花が植えられていて、それを望める場所にお茶会ができそうな東屋がある。エントランスの扉を開くと、アンナとモーリス、そして数名の使用人が出迎えてくれた。


「お帰りなさいませ。旦那様、セレスト様」


「お帰りなさいませ」


 アンナに続き、使用人たちが出迎えの挨拶をしてくれる。フィルに至ってはこの屋敷を訪れるのははじめてだが、一応現エインズワース伯爵は彼だから、「お帰りなさい」が適切なのだろう。


「丁寧な出迎えに感謝する。……はじめて顔を合わせる者もいるだろうが、俺……ゴホン、私がフィル・エインズワースだ。短い滞在となるがよろしく頼む」


 フィルが「俺」をわざわざ「私」に言い換えて、伯爵っぽさを演出したのがおかしくて、セレストは小さく笑ってしまった。それに気がついた彼がばつの悪そうな顔をする。

 いつまでも笑っていてはいけない。セレストも遅れて使用人たちに挨拶をした。


「セレスト・エインズワースです。どうぞよろしくお願いします」


 セレストたちが挨拶を終えると、この地で働いてくれている使用人が自己紹介をしてくれた。

 まずは、領地の管理を代行してくれているのが、モーリスの実弟であるランドンだ。モーリスがいろいろな特技を持っている剣士であるのに対して、ランドンは眼鏡をかけている細身の紳士で役人か図書館の司書かという雰囲気の人だった。

 物腰が柔らかく人好きのする印象だ。

 セレストは気になる部分があり、モーリスに近づいて半分冗談のつもりでささやいた。


「ランドンさんは普通の方なんですね? モーリスさんの弟さんだから、特殊な技能を持っているその道の専門家の方だとばかり……」


 モーリスは、ありとあらゆる暗器の扱いと情報収集、読唇術どくしんじゅつが特技だと言っていて、なんとなく若い頃に特殊な仕事をしていたとうかがい知れる。マクシミリアンほどではないにしても屈強な体つきだし、フィルと互角に渡り合えるほどの剣の使い手だ。

 そんな人物の弟とは思えないほど、ランドンは普通の人だった。


「悟られるようでは一流とは言えませんので。弟のほうがより高度な技術を持っていると言えますね」


「……え? あ……そうでしたか……」


 するとランドンが気づいて、にっこりと笑い頷いた。


「まぁ、お金の計算が得意なのも嘘ではありませんから。私も兄も、今は表の仕事だけで生きていきたいと願っております」


 知らないほうがいいことをあえてたずねてしまったのだろうか。セレストはこれ以上深く追及しないでおこうと決めた。

 ランドンのほか、この屋敷で働いている者は通いの者も含め全部で二十人ほどだ。

 大きな屋敷だから使用人も多いが、そのうちの半数がランドンの指示で領内を見て回り、問題の解決のために働く地方の役人のような立場の者だった。

 ほかには料理人やメイド、馬ていや庭師などがいる。


 彼らからの挨拶を受けたあと、セレストは入浴をした。

 馬車で先行していたアンナたちが荷物を運んでくれていたので、お気に入りの服もちゃんとある。セレストはその中から動きやすそうなワンピースに袖を通した。

 ひらひらしたワンピースを着るのも、アンナに髪を結ってもらうのも久々だ。いつものように、フィルからもらった髪飾りをつけてもらって完成だ。


「そうだ! アンナさん、ほかのアクセサリーも出してもらえますか?」


「ええ、お待ちください」


 セレストは旅の荷物の中を探り、イクセタ領で買ったおみやげをテーブルの上に出した。フィルに買ってもらったオルゴール付きのジュエルボックスだ。

 短期の滞在であるためリボンや小さなピンくらいしか持ってきていないが、セレストはそれらを丁寧に箱の中にしまった。


「まあ、素敵。旦那様からのプレゼントですね?」


 言い当てられたセレストは、なんだか急に気恥ずかしさを感じた。


「……ええ、イクセタの町で買っていただきました」


 普通に答えただけのはずなのに、なぜかアンナが首を傾げる。


「旅のあいだ、旦那様となにかありましたか?」


「え……ええっ!? ど、どう……どうしてそう思うのですか?」


 ここ数日で色々な事件があって、セレストとフィルの関係が大きく変化しているのはたしかだ。けれどわずかなやり取りでそれを言い当てられるのは、とんでもなく恥ずかしい。


「今までのセレスト様なら、元気いっぱいでお答えになるような気がしたのです」


「そう……だった……でしょうか?」


 本当はセレストが変わったわけではないし、フィルの態度も大して変わっていない。

 大きな変化は互いの認知だろう。セレストはこれまでフィルへの好意を言葉にしたり態度で表すことにあまりためらいがなかった。フィルは大人でセレストは子供なのだから、あちらは気にしないと思っていたのだ。

 けれどフィルが十八歳のセレストを覚えていて、心が大人だと知っているとなれば話は違ってくる。そのせいでセレストは彼への想いを表に出しづらくなってしまった。


「……セレスト様、十四歳の女の子は十分大人ですよ」


「だ、だから困っているんです! どうしたら自然に振る舞えるのでしょうか!?」


 アンナは人生の大先輩であり、セレストにとっては将来こんな女性になりたいというあこがれを抱かせる女性だ。彼女ならなにかいい助言をくれるのではないかと、セレストは期待した。


「セレスト様はそのままが一番可愛らしいので変わる必要などありませんよ。旦那様もきっとそうおっしゃいます」


 仮にアンナの予想が当たっていたとして、フィルから真顔でそんなことを言われたら、セレストはきっと気絶してしまう。

 セレストは顔を真っ赤にしたまま、ジュエルボックスの蓋を閉じて、気を紛らわせるために片づけるふりをした。

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