7-1 故郷

 砦の一室を借りて、セレストとフィルは今回の魔獣討伐における報告書の作成に勤しんでいた。通りすがりの旅人という設定になっている二人だが、ケレットからの要請を受けて討伐に参加したため、事後に様々な手続きが必要だった。


「いいか、セレスト……なんとしても半日で書類仕事を片づけるんだ。そして、さっさと立ち去ろう」


 フィルが急いでいるのは、一旦都に戻れという命令が下されるのを警戒しているからだ。

 半日で必要な手続きを終わらせて、都からの伝令が砦に届く前に、この地を離れるつもりだった。


「はい! 私、書類仕事は得意ですからお任せください。……ですが、解毒の術が効いたのだとしても、本当なら数日休息を取ったほうがいいのではないでしょうか?」


 一応、旅の目的地はエインズワース領だが、それはあくまで表向きだ。八歳の頃に起こった魔獣被害以来となるから訪ねてみたい気持ちはセレストにもある。けれど、フィルの健康を害してまで行くべきではないとわかっていた。


「問題ないよ。この機会を逃したらいつエインズワース領に行けるかわからないから。一応、俺も爵位を持っていて領地を管理しなければならない立場だから……」


 エインズワース領に行くのはセレストのためだけではなく、フィルが責任を果たすためでもあると言いたいのだろう。

 そうは言うけれど、爵位も彼が望んで手に入れたものではない。セレストが彼に押しつけたものだった。これまでのセレストならもっと強く引き留めたはずだが……。


「無理はしないでくださいね?」


 セレストは、昨晩から彼を巻き込みたくないという理由で遠慮することを禁止されてしまっている。フィルも当事者なのだと主張するだろう。責任を果たそうとする彼を「私のせいで」という言葉で妨害してはならないのだ。


「君こそ」


 短い会話を終えて書類に視線を戻す。

 報告書には、魔獣の出現前の行動や戦闘に参加した経緯、そして倒した魔獣と使った術などを時系列順に書き記す。

 そして後付けになってしまうが、砦の司令官からの依頼書などをもらい、それに署名をしなければならない。

 ケレットも外部の手を借りたことを咎められないように、いかに自分の判断が適切だったかを必死に書き綴っているはずだ。

 しばらくするとケレットが、書類の束を抱えて部屋をたずねてきた。

 セレストたちの確認や署名が必要となる書類がたくさんあるからだ。


「本当に今日、発たれるおつもりですか?」


「あぁ、休暇中にどうしてもエインズワース領を見ておきたいから」


「それでは引き留めることはできませんね」


 ケレットは残念そうだった。

 けれど、そもそもの目的地がエインズワース領だったということは理解してくれて、強く引き留められることはなかった。

 二人はなんとか書類の山を片づけたあと、荷物や馬を預けている宿へ行こうとした。

 砦の中庭は訓練場になっている。中庭に面した通路を歩いていると、威勢のいい声が響いた。

 大規模な魔獣の出現があったばかりだというのに、負傷していない兵はもう訓練を再開しているのだ。


「ヤァァァッ!」


 大柄の男性が勢いよく剣を振り下ろし、対戦相手と思われる兵を倒したところだった。

 力強い太刀筋に拍手が巻き起こる。

 その様子を眺め、なぜだかフィルが大きなため息をついた。


「お祖父様! どうして!?」


 屈強な者が集う軍関連の施設の中であっても、これほどの大柄な人物はほかにいない。

 マクシミリアンはセレストの声に反応し振り向く。


「おぉ! どうだ、見ておったか?」


 大きく手を振って、軽い足取りで二人のところまで歩いてくる。まるで熊がスキップしているようだった。


「はい、とても強くて格好よかったです。……その、昨日骨折した方とは思えないほど、すごかった……です」


 マクシミリアンは白い歯を見せていい笑顔だった。

 賞賛されたくて仕方がないと伝わるから、セレストはぎこちなくほめた。術者による治療で骨は元どおりになっているようだが、翌日から剣を振るっていいのかとさすがに心配になる。


「そうじゃろう。……だが! 今回の戦いで、ワシはまだまだ未熟だと悟った。強くなるためには一日たりとも休むことなど許されない」


 マクシミリアンの向上心はすさまじい。尊敬という領域は通り越してしまい、なんとなく同じ生物かどうかが気になるセレストだった。


「そろそろ引退してもおかしくない歳だろうに。普通に休んだほうがいいぞ」


 フィルも困っていた。


「残された時間が少ないからこそだ。……若人わこうどには、己の儚さを憂う気持ちはわかるまい。……それにほら……」


 突然丸太のような腕が伸びてきてセレストを捕らえ、持ち上げた。


「え、ええ……!?」


 術による治療を受けてすでに骨は繋がっているというアピールなのだとわかるが、なぜセレストがマクシミリアンの完治をその身で感じる必要があるのだろうか。


「高い高いだぞぉ」


 大きく宙へと投げられた。

 精神年齢よりも子供扱いされているのはもう慣れてしまったが、この扱いは見た目年齢よりもさらに子供扱いされているのではないだろうか。

 しかも本当の子供なら泣き出すくらいの高さだ。セレストは困惑して声も出せなかった。


「レグルスッ!」


 フィルの声が響いたのと同時に、今度は横に衝撃が走る。セレストの体が浮いた瞬間、実体化したレグルスがマクシミリアンに体当たりをしてセレストを奪ったのだ。

 セレストはいつのまにかレグルスの背中に乗っていて、そのあとフィルに抱き上げられた。


「じいさん! セレストは十四歳の貴族の令嬢なんだ。……高い高いなんて喜ぶわけないだろうが。レグルス、やれ!」


 レグルスが尻もちをついていたマクシミリアンにのしかかる。


「ぐぉっ、お……おぉ……んご……」


 マクシミリアンはレグルスに押さえ込まれたまま、小さくうめき声をあげた。レグルスはマクシミリアンの顔や耳のあたりを執拗にペロペロとなめ回している。

 マクシミリアンはくすぐったさに耐えきれず、悶絶しているという状態だ。


「ガウゥ、ガウ! ハウゥゥン」


「やめんかっ! わしは……わしっ、は……ぐぉ……」


 普段の力強いマクシミリアンがすっかり消え失せている。きっとくすぐりに弱いのだろう。


「さすがはレグルスだ。相手の弱点をよく理解している」


 星獣に攻撃されていても、そこには愛情があるとわかるので、見守っている兵たちの表情もにこやかだ。

 マクシミリアンが完全に抵抗できなくなってから、レグルスはようやく彼を解放した。


「じいさん、俺たちはそろそろ出立しようと思う。……久しぶりに会えて……まぁ、それなりによかったと思う」


「そうじゃな、まぁまぁ……だったかもしれぬ」


 マクシミリアンはゆっくりと立ち上がり、フィルの正面に立ってから、ギュッと孫の手を握った。


(フィル様って、親しい方には意外と素直じゃないのよね……)


 見た目はさほど似ていないけれど、二人の性格は似ている部分もある。

 近しい者には悪態をつき、あえて好意を口にしないところなどそっくりだった。


「お祖父様、結局朝の鍛錬を一緒にできなかったのが残念です。……また会えますか? 会いに来てくださいますか?」


 セレストたちは許可なく都を離れられない。

 離れるとしたら、それは大きな魔獣被害が発生したときである可能性が高い。

 二人とも攻撃を得意とする星獣使いだから、必ずどちらかは守護者として都に留めておきたいというのが国の中枢にいる者たちの考えだ。今回叶ったのは結婚休暇すらまともに取っていないからと、フィルが強く要請したからだ。

 フィルとセレスト、二人揃ってマクシミリアンに会いに行くのは、そう簡単にできることではなかった。


「うむ……。フィルなどどうでもいいが、セレスト殿に会えぬのはさびしい。今後は仕事の合間にちょくちょく顔を出そう」


「はい!」


 それから二人は、砦の兵やケレット、傭兵団の団員たちに挨拶をしてから宿に置いてあった荷物をまとめ、イクセタの町を出た。

 眼帯のフィルと銀髪のセレストはかなり目立つので、町から離れるまで、道の両側に人が集まり、なにかのパレードをしているような状態になった。

 セレストはできれば目立ちたくなかったが、皆が期待を込めたまなざしを向けてくるので、ぎこちなく笑って手を振った。

 フィルはさらにこういうことが苦手だから、ほぼ無表情だった。


 建物がなくなり、代わりに木々が目立つようになるとフィルは大きく息を吐いた。


「……はぁ、こういうのは疲れる」


「私も得意ではありません」


 けれど、派手な見送りはこの旅の苦難のほんの一部だった。

 本当の試練は夜になってからやってきた。

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