4-8
話し合いが終わると、軽く食事をとってから早めの就寝となった。
二人とも着替えを持っていなかったが、幸いにして宿には清潔な寝間着が用意されていた。セレストはそれでようやく窮屈な服から解放された。
宿のベッドは小さめだから、大きくなったスピカとは一緒には眠れない。星獣たちはそれぞれ床やソファの上で丸くなる。
(やっぱり眠れない)
明日、ジョザイアやミュリエルとの戦いになる可能性が極めて高いのだから、今は体力を回復するべきだとわかっていた。
やらなければならないことが明確で、覚悟を決めているのに、ためらいもあって、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
(……まるで私、王太子殿下が罪を犯すのを待っていたみたい……)
一度目の世界での罪は、二度目の彼を断罪する理由にならない。
それが正論で、もしまだなにもしていない者を未来予知のような力で裁けば、それはセレストの罪になる。
実際、スノー子爵のように二度目の世界では積極的に禁忌の力に近づこうとしなかった者もいるのだ。
だから、争わない道を進みたいと願ったのは間違っていたのだろうか。
(アルタイル……、それにリギルとアンタレスも)
主人が
彼らのことを考えると、セレストはなにが正しかったのかわからなくなる。
毛布に包まって体を丸める。油断すると涙が出そうだったが、そんな権利はないと必死にこらえていた。
「セレスト、泣いているのか?」
「いいえ」
「じゃあ、眠れないだけか」
「……ほんの少し」
フィルがベッドから起き上がる音が聞こえた。
彼に背を向けて丸まっているセレストからは見えないが、こちらのベッドの端に腰を下ろしたのが震動だけでわかった。
優しい手つきで頭が撫でられる。
それではまるで子供を寝かしつけるみたいだ。
けれどセレストはもう子供ではない。
一度目の世界では十八歳まで生きて、二度目の世界でも十七歳だ。少なくとも心は成人だ。
フィルが必要以上にセレストを子供扱いするのには理由があるとわかっているが、そろそろ終わりにしてほしかった。
だんだんと、余計に心が落ち着かなくなっていく。
セレストは体の向きを変えて、フィルのほうを見た。それから手を伸ばして、彼のシャツの裾をギュッと握った。
「フィル様……一緒に寝てもいいですか?」
「何歳だ!」
一切の迷いがない、拒絶だった。
「そうじゃなくて」
「だめに決まっているだろう」
護衛のために同じ部屋で就寝しているだけで、一緒の部屋で眠ることすら普段の彼は避けている。否定するのは当然だった。
けれど、今夜のセレストはどこか急いていた。
ジョザイアに捕らえられていたとき、この先もずっとフィルと離ればなれのままになる可能性を考えて不安だった。
今もまだ、近いうちに永遠の別れが来るかもしれないと想像して、怖くて仕方がない。
明日の一日すら、フィルと生きていける保証などないとわかっている。
「十七歳はこの国では立派な大人で……結婚している人だっていますし。そもそも私、心は見た目よりも大人なつもりですし」
セレストだって本当は結婚している。
やり直しの人生のせいで、精神年齢は肉体年齢よりももっと高い。
「う……」
「だめ……でしょうか?」
シャツを握る手に力を込める。
そうやってセレストは絶対に放さないという意思を彼に伝える。
けれどそれは、少し卑怯だったかもしれない。
フィルは震える手を無視して、無理矢理振りほどくことなどできない人なのだから。
「……わかった」
フィルがセレストの体を包み込むようにして寝そべる。
(フィル様……あったかい……)
宿のベッドは狭くて、二人で眠るには窮屈だ。それでも、こんなに幸せな気持ちになれるのならかまわない。
「眠れそうか?」
「……いいえ、ぜんぜん」
だんだんと鼓動が速くなるだけで、落ち着いた心地とはほど遠い。
「だろうな」
セレストは目を閉じた。
やっぱりやめたと言われるのが嫌で、シャツを握る手からはどうしても力が抜けてくれない。
「セレスト……少し顔を上げてくれないか?」
「……は、い」
顔を上げたら、どうなるのだろうか。
今、フィルと目が合ったら、どうなるのだろうか。
これまでと同じではいられなくなるとわかっていた。セレスト自身が望んでこんな状況になったというのに、うまく顔が上げられない。
「君はいつから子犬になったんだ?」
先ほどからずっと小さく震えていることがばれてしまっていた。
指摘されて、変わらなきゃと思うのに益々震えてしまう悪循環だ。
ギュッと額のあたりをフィルの胸に押しつけて、身を硬くするので精一杯だった。フィルが怖いというわけではないのに、おかしな話だった。
「聞いてくれるか? セレスト。……一度目の世界で起こった君の不幸の原因は、結局……俺とジョザイアの争いにある。今もそうだ……俺は昔から君を導き、守ってやっているつもりだったが、そうではなかった。俺が君を巻き込み、傷つけている」
その話はジョザイアから直接聞いて知っていた。
一度目の世界では国王とスノー子爵が邪法の研究を行い、途中でジョザイアが国王を排除し、研究を奪った。
ジョザイアがセレストに邪法を使った理由は、ただの実験。
セレストとミュリエルのあいだで成功したのなら、フィルとジョザイアのあいだでも成り立つと踏んでのことだ。
「それは……、でもフィル様が戦いたかったわけじゃない……のに」
一度目の世界の頃から、フィルはずっとセレストを導き守ってくれていた。
名ばかりの侯爵令嬢で、星獣使いの義務だけを押しつけられていた遠い昔から、彼はセレストにとっての心の支えだった。
戦い方を教えてくれて、時々食事に誘ってくれた。
あの頃のセレストの幸せは、フィルとスピカ、そしてフィルの周りに自然と集まってくる人々によって構成されていた。
二度目の世界でも、そこだけは揺らぐことがなかった。
「シリウスを隠していた罪は、確かに俺にある。だが……」
フィルが腕に込める力を強めた。
離れない、謝罪もしない。きっとフィルは罪の意識を抱えたまま、前だけを見つめていくのだろう。
「今度こそ……今度こそ、君を……必ず幸せに。見守るのではなく、この手で」
「私だって、フィル様を守ります! それに、自分の気持ちをごまかしたりしません。フィル様を好きな気持ちを隠しません」
セレストはようやく顔を上げて、まっすぐにフィルを見据えた。
フィルの瞳からはいつだって、強い意志とセレストに対する優しさが感じられる。
「なぁ、セレスト。……俺は王になるよ」
それは彼がはじめて口にした覚悟だった。
父を陥れた者が誰なのか、一度目の世界の破滅を引き起こした者が誰なのかを知っていても、今まで頑なに望まなかった王位を、はじめて欲しいと望んでいる。
「王の器ではないからとか、考えるのはやめにした。……愛する者を守るために、覚悟を決めた」
「はい。私はあなたがどんな立場になっても、変わりません。離れません」
フィルは、自分のために権力を手にしたいわけではないのだろう。
彼の望みは、愛する者との平穏な暮らしだけだ。
わかっているからこそ、セレストはフィルに彼の望む明日を与え続ける者でなければならない。
いつの間にか震えは収まっていた。
セレストは、これまでのフィルも、これからのフィルも認め続けるという意思を示すために、ギュッと彼の背中に手を回す。
このまま目を閉じたら、幸せな夢が見られる予感がした。
けれど、そうはならなかった。
「一つ宣言しておきたいのだが……」
「なんでしょうか?」
「今夜で最後だからな」
「今夜で最後……?」
むしろ、まだなにもはじまっていない。決戦も、その先にあるフィルとの幸せも。セレストは「最後」という言葉の意味がわからず彼の言葉を復唱した。
「次、俺の忍耐力を試したら。……昔の約束を破っても文句を言うなよ?」
「あの約束は……破っていいと思っています! むしろ破ってください!」
二人で暮らすようになった日に、一度目の世界が終わった十八歳の秋までは保護者でいてくれるとフィルは誓ってくれた。
けれど、あれはそもそもその年齢まではセレストを守るという誓いであって、関係を進めてはならないという決まりではなかったはず。
「震えていた者が言っていいセリフではないな」
押されると引きたくなるのに、遠慮されると腹立たしくなる。セレストは自身はそれなりに素直な人間だと思っていたのだが、それは大きな間違いだった。
勢いよく身を起こして、フィルの肩を押さえつけながら覆い被さった。
「私は……っ、私はもう……遠慮ばかりで自分の気持ちすらわかっていなかった昔とは違います」
一度目の世界での十八歳の頃、この想いが恋心だなんて気づきもしなかった。
年齢も身分も釣り合わず、そして政治的な理由でも、絶対に結ばれることはないのだと最初からあきらめて、尊敬や親愛なのだと自分に言い聞かせ続けた。
それでもセレストの特別は、ずっとフィルだけだ。
セレストは宣言と同時に、フィルの唇を奪った。
なぜかカツンと歯が当たる。とても幼稚で下手なやり方をしたのだと自覚した瞬間、心臓が爆ぜそうになった。
驚くフィルの顔も見ていられなくて、セレストは立ち上がり、先ほどまでフィルが眠っていたベッドに飛び移る。
「……ガゥ」
「……!」
ベッドのあいだに陣取っていたレグルスを蹴ってしまったが、謝ることすらできずに毛布にくるまった。
自分の鼓動しか聞こえなくなるほど動揺したのは人生で何度目だろうか。
「セレスト……そのシルエット、スピカにそっくりだ」
きっと怒っていないし、嫌ってもいない。セレストをからかうその言葉は、おそらく照れ隠しだ。
「ピィ!」
眠れないし、とにかく胸が痛い。
こんなことなら、頑張って普通に寝ていたほうがましだった。
(誰か……誰か助けて……。このかんじ、本当に嫌!)
結局、見かねたフィルがドウェインを呼んで、朝までぐっすり眠れる術を使うことで、セレストはようやく眠りにつけたのだった。
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