5-1 願い

 強制的にぐっすり眠らされたセレストは、すっきりとした心地で目を覚ました。


「さすがはドウェイン様の術……」


 セレストやフィルとは方向性が真逆だが、ドウェインも超一流の術者だった。

 おそらくドウェインは、セレストが眠っているあいだに疲労回復系の術もかけてくれたのだろう。

 一昨日から何度か泣いてしまったせいで目尻のあたりが荒れていたのに、そのヒリヒリした感覚が消えて、肌がつやつやになっていた。


 食事を済ませると、宿屋の女将が女性用の服を届けてくれた。

 営業時間前だけれど、知り合いの衣料品店に頼んで用意してもらったということだった。

 ドレスしか持っていなかったセレストは、女将の気遣いに深く感謝した。


「旅装束ですね! 動きやすそう」


「よかったな、セレスト」


 シャツとズボン、ベストに女性用の外套。

 セレストが軍の任務以外で剣の稽古をしたり、旅をしたりするときに着用するものとほぼ一緒だった。


 準備が整ってから、一行は都の方向へと進もうとした。


「ガルゥゥル! ガゥ、ガゥ!」


 マクシミリアンがレグルスに跨がろうとしたところで事件が起こる。

 レグルスがマクシミリアンを振り落としたのだ。


「……なんと! おぬし……ワシはフィルの祖父だぞ? 家族だぞ?」


「ガウゥゥゥ!」


「都からここまで乗せてあげたから、今日は勘弁してほしいって言ってるんじゃないの? フィルのおじいちゃん、重いし、硬いし、うるさいのよ」


 昨日一緒に行動をしていたドウェインが指摘する。


 レグルスはスーに近づいて、なにやら話し込んでいる。

 これまで自分のほうが長い時間マクシミリアンを担当したから、今日はスーが彼を乗せるべきだと説得しているのだろうか。


「ガウゥ……」


「ワ……ワン……ワン」


 やがて二体の話し合いが終ったらしく、スーがマクシミリアンに近づいて、その場で姿勢を低くした。

 どこか哀愁漂う雰囲気だった。


(スーは普段小型犬の姿をしているけれど、なんだかんだと言って、星獣たちのお兄さん的な印象なんだよね……。それにしても拒否されるお祖父様って……)


 星獣にとってただの人間を運ぶことなど造作もないはずだ。

 そして、マクシミリアンは星獣たちに嫌われているわけではない。それでも背中に乗られるのは嫌だという。

 術が使えるほどの星神力を持たないのに、体術と剣術で魔獣を狩るマクシミリアンという人のすごさが浮き彫りになっている。


「ふむ、では出立じゃ!」


 マクシミリアンとドウェインはスーの背に乗り、セレストたちはレグルスに乗せてもらうというかたちで、都の方向へ向かって走りはじめる。


「フィル様、王太子殿下は……私たちを捕らえに来るのでしょうか?」


「おそらくは。ジョザイア本人が戦わない限り、あちらに勝機なんて少しもないだろうからな」


 セレストは頷いた。


 ジョザイアは、自身では追わず、大軍を向かわせるという方法も取れる。

 じつはセレストとフィルには、一般の兵をできるだけ傷つけたくないという思いがあるため、その方法を取られたらかなり厄介だった。

 現在、ジョザイア側にいる者も、ノディスィア王国の民なのだから。


 けれど同時に、ジョザイアがその手段に出る可能性が低いこともわかっている。


 一般の兵からしてみたら、ただ所属している組織の命令に従っているだけの状態だ。

 フィルやセレストと敵対するという行為のどこにも、その者の意思や目的が入り込む隙間がない。


 本来、国を守るという志があるから、人は命をかけて戦えるのだ。


 序列一位のシリウスを筆頭にした四体の星獣と敵対することに、疑問を持つ者は多いだろう。フィルの説得で、差し向けた兵が丸ごと寝返る事態をジョザイアは警戒するはずだ。


 そもそも不当に使役しているという部分を信じ、星獣使いを攻撃する者がいたとしても、星獣を傷つけるために術を使うなんてこの国の民にはできはしない。


 だからどうあっても、ジョザイア、ミュリエルが前に出るしかない。


 あらかじめ見当をつけていた平原までたどり着く。

 セレストは戦いに備え、スピカを実体化させた。


 ドウェインが遠見の鳥を数羽放つ。

 これはジョザイアを発見するためでもあるのだが、ジョザイアにこちらの居場所を知らせるためでもある。

 おそらくジョザイア側も同じようにしているため、奇襲作戦など互いにできる隙がない。

 一時間ほど待ったところでドウェインが頭上を見上げた。


「王太子殿下がいらっしゃったみたいよ」


「兵力は?」


 ドウェインはしばらくどこか遠くを見つめていた。

 遠見の鳥の目を借りているのだ。


「リギル、アンタレス。……アルタイルだけ見当たらないわね。それから騎乗した軍人が百人くらいかしら? まぁただの軍人なんて戦力にならないけれど」


「俺たちを倒したと仮定して、連行する役割とか、旅人がこのあたりに入り込まないようにするとか……そういう役割だろうな」


 それからさらに一時間ほど待ったところで、ジョザイアとミュリエル、二体の星獣が現れた。同行していたはずの兵たちの姿は肉眼で確認できる範囲にはいない。

 フィルの予想どおり、周囲を警戒しているのだろう。


(アルタイル……)


 昨晩の様子からすると、戦える状態ではないのかもしれない。

 これで戦力に大きな差が生じ、こちらが有利になったのだが、あの哀れな星獣のことを思うと、セレストは素直に喜べなかった。


「ピッピ!」


 寄り添うスピカがなぐさめてくれる。


「そうだね……、アルタイルの願いはわかっているつもり」


「ピィ」


 主人の意に反して、セレストを逃したアルタイルは、ジョザイアの暴挙を止めようとしていた。

 止める方法は、スノー子爵が示してくれている。

 セレストの任務は、偽の主人の意識を奪い、星獣たちを解放することだ。


 やがて声が聞こえる位置まで進んだジョザイアたちが、その歩みを止めた。


「やぁ、エインズワース将軍。……それとも叔父上と呼んだほうがいいのだろうか?」


「呼称など、どうとでも」


 フィルの声は普段より低く、セレストが怒られたわけでもないのに鳥肌が立つくらいの迫力だった。

 人に対し、こんなふうに嫌悪感を隠さない彼を見たのはいつぶりだろうか。


「将軍が感情を剥き出しにしてくるのはめずらしい」


 対するジョザイアは、どこか楽しげだった。フィルから感情を引き出せたことが嬉しい――そんな様子だ。


「ここまで追ってきたということは、方針を変える気はないということだろう? 今更、対話など不要だな」


「それもそうだね。それではフィル・エインズワース。ノディスィア王国の宝である序列第一位の星獣シリウスを不当に所有している罪で捕らえさせてもらおう」


「アーヴァイン・ノディスィアの意志を継いで……なんてことは言わない。ただ、星獣たちを解放する。それがシリウスの望みであり、俺の使命だからな」


 ジョザイアの横にいるリギルが、前脚で何度も地面を蹴る。

 そのたびにドン、ドン、と大気まで振動している。


(なんて力なの……?)


 セレストは術者であり、星獣使いだ。けれど身体的には弱い。術が使えなければ簡単に死んでしまう存在だと、今回の件で十分に思い知った。

 だからこそ、リギルから放たれる胸のあたりが揺さぶられるほどの振動に、恐怖心を抱く。


「ワォォォン!」


 リギルの威嚇に対抗して、シリウスが吠えた。

 大丈夫だと言っているように、力強い。セレストはそれに励まされ、敵をまっすぐに見つめた。

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