5-4

「王太子殿下!」


 スーがジョザイアの左目を傷つけた。

 傷は深く、押さえた手も真っ赤に染まり、地面にポタポタと血が流れた。


「グルゥゥゥゥ……」


 スーの怒りは静まらないままだが、もう一度攻撃を行う様子はない。

 前脚を揃えてジョザイアを見下ろしていた。


 フィルがジョザイアに近づく。けれどジョザイアは残された右目でフィルをにらみつけた。


「ああぁ……近づくな! ……誰も私に……」


 瞳には星獣との契約の証が刻まれている。

 それを失ったら、主従関係はどうなるのだろうか。


 そんなことは星獣に関する文献にすら記されていない。

 おそらく前例がない事態だ。けれどなんとなく、アルタイルがそのままではいられないという予想はできた。


「キュウ……」


 アルタイルが弱々しい輝きを放つ。

 彼の身体が光の粒に変わって、だんだんと透けていった。


「アルタイル、……別れのときが来たよう、だ……。今まで……」


 あとに続くはずの言葉は、感謝だったのか謝罪だったのか、セレストにはわからない。

 アルタイルには伝わっているのだろうか。


「キュ」


 アルタイルはジョザイアに身体を擦りつけるような仕草をした。

 けれど、もう実体を伴わないアルタイルが主人に触れることは叶わなかった。そのままジョザイアに重なりながら、大鷲のかたちが失われていく。



 最後は、まるで流れ星のようだった。



「都の方向? 星の間に帰っていくの……?」


 アルタイルの気配は空に舞い上がり、都のほうへと消えていく。

 ただ実体化が解かれただけでなく、契約そのものが消滅したのだとすぐにわかる。


「スー……」


 セレストは誇り高き星獣の名を口にしていた。


 これが、序列第一位の星獣シリウスが、星獣の意思を無視した者に与えた罰だということはここにいるすべての者が察していた。


「……幕引きくらい自分でしたいもの……だね……」


 ジョザイアはよろよろと立ち上がり、落ちていた剣を拾う。そのまま刃を自身の首に添える仕草をした。

 彼がなにをするつもりなのか、考えるより先にセレストは術を放っていた。

 ジョザイアの剣が水に包まれ、一瞬で凍りつく。


 セレストは、ジョザイアの剣から、剣としての殺傷能力を奪ったのだ。


 フィルも、スーも、セレストの行動を止めなかった。

 ジョザイアは凍った剣を握りしめたまま、倒れ込んだ。


「うぅっ、……なぜ邪魔を? 君は……私を恐れ、嫌ってきただろう……ずっと」


「私はっ、私はあなたが嫌いです! ……それで……だから……」


 セレストは自分でもどうしてこんなことをしているのか、わからなくなっていた。


 自分のせいでねじ曲がった二度目の世界に対する責任か、それともアルタイルのためか――。

 ジョザイアの中に最後に残されたのはプライドだけで、セレストの制止は彼の心を救わないとわかっていた。

 それなのに、どうしても身体が動いてしまう。


「私は、あなたを許しません。そう……嫌がらせで……嫌がらせでやってるんです!」


 自分の中にもいろんな理由が渦巻いていて、うまく説明できなかった。

 わかっているのは、誇り高い彼が同情を望まないということだけだ。どんな理由なら、彼が思いとどまるのかだけを考え、咄嗟に思ってもいないことを口走っていた。


「嫌がらせ……か」


「どうして私があなたの願いを叶えなきゃいけないんですか!」


「……君は、いつも正しく優しい子……だから」


「王太子殿下は、スノー子爵がずるいとおっしゃっていました。一度目の世界では悪人だったのに、二度目の世界ではそれを忘れて生きている……と……」


 ジョザイアの気持ちなど、セレストは理解できない。

 けれど、少なくとも二度目の世界では、ほかにもっとやりようがあったのだ。

 フィルと敵対しない道もあったし、敵対するなら徹底的に残酷な手段を用いる道もあった。

 ノディスィア王国の民を巻き込み、一般の兵を盾にされたら、こちらは身動きができなかった。


「それは……」


「私の死も……王太子殿下の罪も……あの日、スピカが全部消してしまったんです。少なくともあなたはこの世界では誰も殺めなかった」


「詭弁だね」


 セレスト自身が、一度目の世界で起こった出来事を忘れていない。ジョザイアに対する恨みと恐怖心は、七年以上経過した今でも残っている。


 それでも、この世界はスピカが消滅寸前まで力を使い果たして巻き戻した世界だ。

 セレストが今の生を受け入れるのならば、一度目の世界の死に対する復讐をするべきではない。


 そういう世界だと、フィルが教えてくれた。


「邪法を使い、星獣たちを弄んだ罪を……償ってください。決して軽い罪ではありません」


 彼はこれから、たった一つの譲れない自分の存在理由だった王位継承権を失う。それでも生きろというセレストはきっと優しい人間ではない。正義だとも思わない。


「……そうか、それはずいぶん重い罪になりそうだ」


 ジョザイアが小さく笑い、握りしめていた剣を放した。

 直後にミモザが飛んできて、ジョザイアの目を癒やしの力で治す。左目の傷がみるみるうちに消えていく。

 それでも、再びアルタイルとの契約の証が浮かび上がることはなかった。



 こうして、戦いは幕を閉じた。

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