5-3
広い平原には雷鳴が鳴り響く。
すでに、リギルの前方の大地は扇状に荒らされていた。しかも最近雨が降ったばかりだったのか、表面は乾いていたのに、荒らされた大地は水分を含みぬかるんでいる。
これでは足下を固めるような術を使わなければ歩けない。
ジョザイアが雷撃の術を放つ。
フィルと二体の星獣は、雷撃を術で受け流しながら、遠距離攻撃を試みる。けれど、ジョザイアに防がれて敵にダメージを与えることが難しい。
(王太子殿下の背後から攻撃したくても、今のままではできないんだ……)
フィルたちが三方向からの攻撃を試みても、リギルが高い壁を築きそれを阻む。
星獣二体を従えるフィルのほうが有利なはずなのに、五分五分かジョザイアがやや優勢に見えた。
もちろんセレストがそうだったように、勝利条件の差による部分が大きい。
また空に雷鳴が鳴り響く。
フィルは頭上からの攻撃を受け流したのだが……。
次の瞬間、彼はなぜか大地を蹴り、横への回避行動をした。
地面を転がり、けれどすぐさま立ち上がった彼は、左肩を押さえて苦悶の表情を浮かべた。
遠くから様子をうかがっていたセレストには見えない攻撃があったのだ。
(見えない攻撃……もしかして風!?)
風の術は攻撃系の術としては非効率とされている。
暴風を起こし、敵を吹き飛ばすことはできるのだが、直接的な殺傷能力はない。
あくまで飛ばされた結果、落下または叩きつけられた衝撃が敵にダメージを与えるのだ。
(でもさっきの術は……見えない刃のようだった……振動系と組み合わせているの?)
フィルが回避行動を取ったのは、ジョザイアから星神力が放たれたと察したからだろう。
予兆はあるが、フィルでさえ避けきれない術――かなり厄介だった。
「グルゥゥゥ」
「ガゥ!」
俊敏な星獣二体にも、容赦なく見えない刃が飛んでくる。
だんだんとフィル側の防戦一方になっていった。
セレストは不用意に近づけずにいた。
(せめて……あの刃が見えたら……)
大気の動きを知る方法があるのだろうか。
セレストはどうにかしなければとはやる感情を抑えながら必死に考えた。
(……風で飛ぶものが宙を舞っていたら、風の流れは把握できるはず。……紙吹雪? 花びら? ……あぁ、そうだ! 雪がいい)
昔、スピカがふかふかの雪を出してくれたことを思い出す。
「スピカ……、あの壁を私が固めるから上から雪を降らせられる?」
「ピィ!」
頼もしい返事が返ってきた。
リギルが築いた壁はもろい。おそらくはリギルの意思で簡単に崩壊する。そんな不安定な場所で術を使うのは無謀だ。
リギルによって掘り起こされた大地は、水分を含んでいる。氷を操れば壁を一時的に強固なものにすることは可能だ。
セレストはできるだけ気配を消して、リギルとジョザイアの後ろにある土壁に回り込む。
星神力を放った瞬間、ジョザイアに気づかれるはずだから、スピカと息を合わせる必要があった。
(スピカ……行くよ!)
セレストは土壁に触れ、スピカに目で合図をしてから一気に壁を氷結させていく。
岩肌のようなおうとつがある崖をスピカと一緒に駆け上る。
「ピィィィ」
上りきったところで、スピカが粉雪を降らせはじめた。
フィルたちの視界を遮らない程度の小雪だった。
「なに……!?」
ジョザイアが異変に気づいたようだ。
(……リギルに壁を壊すように命じたら、リギルはフィル様に背をむけることになる。そのまま戦えば見えない刃は可視化されてしまう。……さぁ、どっちを選ぶ?)
セレストの今の役割は、リギルが土壁の破壊に動いた場合にスピカを守ることと、リギルかジョザイアがこちらを攻撃してきた場合にそれを防ぐことだ。
セレストはジョザイアとリギルに警戒しつつ、壁の上に留まったまま氷結の術を使い続け、大地の深い場所に根を張るように足下を強化した。
ジョザイアは見えない刃をフィルたちに放ち続ける。けれど、刃はフィルに届かない。
粉雪の舞い上がる様子から風の流れが把握できるようになっていた。
「厄介な! リギル」
リギルが壁のほうへ向き直る。
セレストとスピカを排除するつもりだ。
ゴォォォ、と地震のように大地が揺れ、セレストが固めた壁がミシミシと音を立てる。
セレストは基礎となっている部分が壊れないように星神力を注ぎ続けた。
スピカも粉雪を降らせながら高い位置から氷塊を落とし、リギルとジョザイアの集中力を奪おうと奮闘する。
このチャンスをフィルは見逃さなかった。
リギルの力で隆起した大地を、跳躍の術を使いながら駆け、接近戦に持ち込んだ。
距離が近づいてしまえば、互いに強力な術は使えない。
フィルとジョザイアが剣を抜き放ち、すぐに打ち合いになった。
セレストと星獣たちはリギルがこの戦いに介入しないように、牽制した。
リギルが動く予兆を感じ取ると、小さな術で気を逸らし、ジョザイアからの命令を実行させないように手を打つ。
ジョザイアに余裕が失われはじめると、リギルへの指示がなおざりになっているのか、動きが鈍くなった。
「王太子殿下……」
セレストはジョザイアの本気の戦いをあまり見たことがなかった。
勤勉だったはずの彼は、フィルに引けを取らないくらい強かった。
互いに、打撃の合間に小さな術を使い、ダメージを負わせることを繰り返す。
フィルもジョザイアも怪我をして、服の一部が破れている。血を拭う隙すら与えない戦いだった。
「消えてくれ! フィル・エインズワース……。あなたがいると、私は理想の王にはなれない……」
「くっ!」
ジョザイアから放たれた渾身の一撃で、フィルがよろめいた。
「他人の存在程度で揺らぐ理想など、知ったことか!」
踏みとどまったフィルが反撃に出る。低い位置からの強烈な一振りがジョザイアの剣をはじき飛ばした。
そのまま敵の懐に飛び込んだフィルが、剣の柄で相手のみぞおちをついた。
「……がはっ、……ぐっ、あぁぁ……」
ジョザイアは後方に吹っ飛び、低いうめき声を上げながらうずくまる。
彼は一度立ち上がろうと試みるが、すぐに座り込み、あきらめたのか空を見上げた。
「リギルが……」
リギルの動きが止まり、だんだんと気配が弱々しくなっていく。姿が揺らぎ、わずかに輝きだした。
ジョザイアの集中力が途切れ、実体を維持できなくなっているのだ。
セレストとスピカは壁から下りて、リギルのそばへ駆け寄った。
スーとレグルスも、もうそれ以上の攻撃はせずリギルが消えていく様子を見守っている。
光が段々と弱くなる。先ほどまでの荒々しい雰囲気がどこかへ行ってしまった。
「……どうか、今度はリギルが本当に信頼できる主人を選べますように」
セレストが哀れな星獣にしてあげられることは祈ることだけだった。
リギルの実体化が解かれただけではこの戦いは終らない。
フィルがジョザイアを拘束するために動く。
けれどなぜか、スーがその邪魔をした。
「グルルル……」
スーからは静かな怒りが感じ取れる。
ジョザイアがそんなスーの様子に、小さく笑った。
「……アルタイル、出てきてくれ……」
弱々しい呼びかけのあと、彼の左目が一瞬輝いた。
せっかくリギルの実体化を解いたのに、次はアルタイルと戦うことになるのだろうか――セレストは一瞬身構え、けれどすぐにそうではないと理解する。
ジョザイアからは完全に戦意が喪失している。
やがて現れたアルタイルは昨日と変わらず、まともに立っていられない状態だった。
主人に寄り添うだけで、なにもしない。
スーと目を合せて無言のままなにか意思の疎通を図っているように見えた。
「スー……? シリウス……」
セレストが問いかけるが、返事はなかった。
スーがゆっくりとジョザイアに近づいて――そして、鋭い爪を持つ前脚を一気に振り下ろした。
「ぐっ、がぁっ、あああぁぁぁっ!」
悲鳴があがるのと同時に、ジョザイアの左目付近が真っ赤に染まった。
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