3-4

 二人はそのままイクセタの町の繁華街を見て回った。

 フィルはずっとセレストを抱き上げたままだ。まだ大人とは言えないセレストだが、抱き上げられたまま歩く年齢でもない。

 長身で眼帯、明らかに体を鍛えているフィルが人目を引くこともあり、二人はかなり目立っている。


「……フィル様、下ろしてください。恥ずかしいから」


 小声で主張してみるが、フィルは聞こえないふりをする。

 よほど父親設定がおもしろくなかったのだろう。


「も、もうっ! 仕方ないじゃないですか! ほかにどう説明したらよかったというのですか?」


 道行く人の中には砦に詰める軍人の姿も多くあった。

 眼帯のフィルは目立つから、正体がバレて軍内部で悪評が立ったら大変だ。けれどジタバタと暴れたら余計に注目を集めてしまうので、セレストはひかえめにしか抗議ができない。


「……では、本心じゃないと?」


「お父様……先代エインズワース伯爵とフィル様が同じだと思ったことなど一度もありません」


 セレストの父は優しくて正義感の強い人だった。星獣使いではなかったが、すばらしい術者だったという。エインズワース領での魔獣被害では自ら兵を率いて戦った強い人だ。

 父親のよいところを言葉で表現すると、フィルとの共通点は多い。

 けれど、フィルと父親を同一視したことなどセレストには一度もない。

 あえて言うのなら、「家族」だから父か兄だと思わなければいけないと自分に言い聞かせているだけだ。

 本当は、血縁者に向ける感情としてはふさわしくないものがセレストの中に宿っているという自覚をするたび、胸が締めつけられている。


「なら、兄――」


「え?」


「いや、大人げないな」


 フィルはそう言ってからようやくセレストを地面に下ろした。


「なにかみやげを買おうか? それからお茶でもしよう」


「ですがフィル様、私たちは……」


 戦いを前に呑気に観光などしていていいのだろうかという気持ちがあり、セレストはためらう。


「領地に向かう途中で、この町に立ち寄っただけという設定だろう? 君が今から緊張していれば事態が改善するのか?」


「いいえ……」


「あのじいさんたちを見ただろう? 戦いになるとは言っておいたが、理由の説明もなしに俺に呼び出されたんだぞ。それなのにちゃんと慰安旅行をしているじゃないか」


 セレストはマクシミリアンたちの輝く笑顔を思い出す。傭兵団の男たちは豪胆だ。

 適度に遊んでリラックスをして、よく食べてよく寝る――戦いの前にすべきことはずっと緊張していることではなかった。


「わかりました! それなら私、今日は目一杯楽しみます」


 二人は並んで歩き、賑やかな通りを見て回った。

 都よりもごちゃごちゃとしている雰囲気で、鮮魚店、釣具屋、みやげ物店、カフェ……と規則性が感じられない並びだからこそ、この先にどんな店があるのかわからず楽しい。

 ふいに、フィルがとある店の前で立ち止まる。


「真珠がある」


 大きなショーウィンドーの高級そうな店構えの一軒は、宝飾品店のようだ。


「綺麗ですね!」


 よく磨かれたガラスの内側にはネックレスや指輪、ピアスなどのアクセサリーが飾ってあった。湖で真珠の養殖が行われているのだ。


「買ってやろうか?」


「あの……」


 フィルがセレストに色々なものを買い与えるのは今にはじまったことではない。

 仕事をしていなかった十歳の頃は当然だが、軍に入って自分のものを自分で買えるようになってからも頻繁にセレストを甘やかす。


「どうした? 君は髪飾り以外、あまりアクセサリーをつけないだろう。普段使いが一つくらいあってもいい。このネックレスなんて君に似合いそうだ」


「私……ネックレスは見えないけれどつけていますし、指輪もいらないんです。……ええっと……だから……」


 セレストは服の上から指輪のある場所を手で押さえた。

 公式行事などでドレスをまとうときは別のアクセサリーを身につけているが、自由にしていいときはいつもフィルからもらった指輪を首からぶら下げていた。


「そうだったな、すまない。忘れていたわけじゃない……貴族の女性は、たくさんの宝飾品を持っているみたいだったからなにか買ってやりたかったんだ」


 セレストはもう一度ショーウィンドーをじっくりと眺める。

 目にとまったのは綺麗な細工の箱だった。


「あ、見てくださいオルゴールがあります。フィル様からいただいたものをしまうのにちょうどよさそうだから、私、あれがほしいです」


 オルゴール付きのジュエルボックスは、複数のアクセサリーが入りそうなわりと大きなものだった。

 セレストはフィルの腕を引っ張って急かすように店内へ連れていく。

 目当てのものを買ったあとに、カフェに行き、皆へのおみやげも買った。

 そしてそろそろ宿へ戻ろうかと考えていた頃、正面から三人の軍人が二人のほうへとまっすぐに歩いてくるのが見えた。


(砦の方よね?)


 近づくと、一人は士官で階級章から大佐だとわかる。あとの二人は大佐の部下で護衛役だと思われた。


(大佐……? たしか砦の司令官だったはず)


 戦いに赴く前にイクセタの砦については予備知識を頭に叩き込んでいる。一度目の世界では、フィルやセレストが援軍に駆けつける前に負傷していたので顔を合わせていないが、実戦経験の豊富な人だと聞いていた。


「失礼ですが、エインズワース将軍閣下でいらっしゃいますか?」


「そうだ」


 大佐とその部下は敬礼をした。大佐は三十代後半くらいのがっしりとした体つきの男性で、上品な口ひげを生やしている人だった。


「やはり……! 眼帯の男性が銀髪の美少女とイチャ……銀髪の女性を伴ってこのあたりを見て回っているという噂を聞きつけまして。申し遅れました、私はイクセタの砦を預かっております、ケレット大佐であります」


 要するに眼帯の男と銀髪の少女がイチャイチャしていたため、エインズワース将軍とその妻であるとすぐにわかったと言いたいのだろう。


(フィル様のせいです! もう、恥ずかしい……)


 セレストは思わずフィルをにらんでしまった。


「わざわざありがとう。……フィル・エインズワースだ。こっちは妻のセレスト・エインズワース少尉」


 フィルは一瞬だけ気まずそうな顔をして都合の悪い部分を聞き流すことにしたようだから、セレストもそれに倣う。


「はじめまして、今は休暇中なので敬礼はなしとさせていただきます」


 フィルは敬礼で、セレストは敬礼の代わりに淑女の礼でそれぞれ挨拶をした。


「これはご丁寧にどうも」


 ケレット大佐は恐縮している。都では、成り上がり貴族だと嘲笑されることがあるフィルだが、実戦部隊からは尊敬されているのだ。

 彼は星獣使いになる前から素晴らしい剣技と術の両方を持つ軍人で、エインズワース領の魔獣被害を鎮めた立役者なのだから当然だ。


「それで私たちになにか用でもあるのだろうか?」


「はい、差し出がましい提案ではございますが、もしまだ宿が決まられていないようでしたら、砦への滞在をおすすめしようと思い、馳せ参じました。星獣使いのお二人がいらっしゃったとあらば、砦の兵の希望となりますので」


 大佐も、その部下も、フィルやセレストに眩しいほどの笑顔と期待を向けてくる。星獣使いは一般の軍人にとって特別な存在だと再認識させられる。


「ご配慮感謝する。だが、この町には私の祖父や祖父が率いる傭兵団も来ていて、夜は宴会の用意を滞在中の宿に依頼してあるんだ。だから……」


「エインズワース将軍閣下の御祖父様といえば、あの猛者ぞろいの灰色傭兵団!?」


「あぁ、そうだ。久しぶりに祖父に会えたし、料理を無駄にするわけにはいかないからな」


 その言葉を受けて、ケレット大佐はしょぼんとうなだれた。かなりわかりやすい性格をしている。


「だが、もし迷惑でないのなら、明日挨拶にうかがわせてもらいたいのだが……?」


「本当でございますか? ぜひ、ぜひ! よろしくお願いいたします」


「傭兵団のじいさんたちも手合わせできる相手を探しているみたいだ。よければ最前線で民を守っている砦の方々と互いの剣技を教え合えたらと思う」


「なんという! では、私は砦に戻りまして、我が部隊の猛者に召集をかけましょう!」


「明日の昼過ぎにうかがう。……よろしく頼む」


 トントン拍子に話が進み、ケレット大佐一行はもう一度敬礼をしてから人混みの中に消えていった。


「フィル様……」


「どうした?」


「フィル様って本当にすごいですね! これで任務でもないのに、堂々と砦に入る理由ができました。お祖父様たちまで連れていけますし、武器の携帯をしても許されます。ただ観光を楽しんでいただけではなかったんですね!」


 当初の想定では、密かに森の中か砦の付近に潜伏して翼竜を迎え撃つというつもりでいた。

 それでも問題はなかったのだが、砦で待ち構えることができるのなら、それが一番安全だ。

 司令官からのお誘いがあったという事実も、そこにいた不自然さをうまく消してくれる。


「まぁな。ケレット大佐との面識はないが実直で剣技や術を磨くのに熱心な人物だと知っていた。さっきから砦の兵と何回かすれ違っていたからあるいはと……」


「私のこと、公衆の面前で抱っこしてわざと目立ったのはそのためだったんですね! 言ってくださればよかったのに。でもフィル様って本当にすごい……! 強くて優しいだけじゃなくて頭もいいなんて」


 もちろんフィルが知略に優れていることは、一度目の世界から付き合いの長いセレストだから当然知っている。

 それでも、言葉にして伝えなければという焦燥感が募る。

 セレストとの関係を周囲に誤解されてしまうのは嫌なはずなのに、彼はいつもセレストの安全のために進んで誤解されるように演技をしてくれる。

 今回の作戦も、フィルの自己犠牲の上に成り立っているのだ。


「そうだ、な……」


 フィルは頬を掻き、照れくさそうにしている。

 セレストの旦那様は謙虚で、とにかくすごい人だった。

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