3-3

 イクセタ領の中心部であるイクセタの町は、大きな湖に面していて、漁業が盛んな活気のある町だ。

 南側には森が広がり、町との境界には砦がある。森の奥には沼があり、そこから魔獣が湧き出るという。

 魔獣の生息域は基本的には森の中だ。

 弱い魔獣は、森の外が彼らにとって危険であると理解しているから簡単には出てこない。

 原理は解明されていないが、なにかの影響で強い魔獣が大量に発生してしまう時期がある。

 人間にとっての脅威は、積極的に森から出て人を襲う強い魔獣だ。

 それが起こるのは不定期だから、こういった場所には監視と凶悪な魔獣の駆逐のために砦がある。


「……危険な場所にこんなに大きな町があるのは、なんだか不思議です」


 なぜわざわざ危険な地域に住むのだろうか、とセレストは疑問に思う。


「発想が逆だ。最初に魔獣の住まう森があり、それを監視するために砦があった。するとそこに詰める兵のために小さな商店ができる。……魔獣の被害さえなければこの湖の周辺はすばらしい漁場でもあるから自然と町は大きくなる。実際に小さな被害はあるもののこの町の砦は健在だったろう? ……今までは」


 フィルの説明に納得し、セレストは何度も頷いた。

 彼の言ったことは、なにも魔獣の生息地に限った話ではなかった。たとえば、氾濫があるかもしれないのに人々が川沿いで暮らすのは、農作物に水が必要だからだ。魔獣被害も自然災害もゼロにはできないから、できる限りの対策をして人々はその地で暮らすという選択をするのだ。


 二人は歩いて町の宿屋の前にやってきた。


「ここのはず」


 フィルはメモ書きを見ながら看板を確認する。

 看板の脇には『貸切・灰色グレイ傭兵団ご一行様』という立て札があった。


「灰色傭兵団?」


「退役したじいさんたちばかりで平均年齢が高めだから灰色なんだろう」


 たしかに灰色というのは、その髪の色から老人を表すときに使われる。だからと言って、自ら名乗るのは自虐がすぎるように思える。


(フィル様のお祖父様……どんな人なのかしら?)


 フィルは宿の扉をなかなか開けようとはしない。


「はぁ……、憂鬱だ……」


 あからさまなため息を吐いて心底嫌そうな顔をした。

 彼の予想では、祖父マクシミリアンはフィルとセレストの結婚をあまり歓迎しないはずだという。セレストはなんだか申し訳なく思った。


「フィル様のことは、私がお守りします。……大人っぽくします! それに、お祖父様には丁寧に説明いたします」


「いや、すまない。君のせいじゃないからそんな顔をするな」


「でも……」


 この世界で最初にフィルに会いに行った日、セレストははっきり言われている。この結婚は、フィルにとっては一度目よりもいい結末にたどり着く保証などないのだと。

 わかっていて見ず知らずの少女の手を取ったのは彼の優しさだ。


「行こう、じいさんに君を紹介したい気持ちも嘘ではないから」


「はい」


 扉を開けるとすぐにカウンターがあって、宿屋の女将と思われる女性が立っていた。


「いらっしゃいませ。お客様は傭兵団の方でいらっしゃいますか……? ん? そうではないような?」


 貸切のはずのこの宿に、セレストのような子供がやってきたため女将は首を傾げている。


「団長の孫です。ここで落ち合う約束をしています」


 代表してフィルが答えた。

 彼は、将軍で伯爵だが、見ず知らずの人にはわりと丁寧な態度で接する。こういうところをセレストは好ましく思う。

 女将はなにやら台帳のようなものを確認し、顔を上げた。


「はいはい、お孫さんも宿泊予約が入っていますね! 傭兵団の方でしたら、体を動かしてくるとおっしゃって湖のほうへ行かれましたよ」


「そうでしたか。じゃあ、荷物を置いてから向かってみます」


「はい、お孫さん二名様は二階の角部屋です」


 女将がカウンターの上に部屋番号が書かれた鍵を置く。

 フィルは鍵を手にして奥の階段へと向かった。


「お世話になります」


 セレストも挨拶をしてからそれに続く。

 荷物を部屋の中に放り込んだあと、すぐに湖へと向かった。


 町の中を歩くと、一度目の世界でセレストが目にした壊れた町の様子と重なり、だんだんと不安になってしまう。

 魔獣の襲撃があるのは、セレストの記憶によれば明日の午後のはずだ。

 ただし、一度目の世界では報告書を読んだだけで、最初から実際にその場に居たわけではない。

 うろ覚えの部分もあるので、油断はできない。


「こら、今から無意味に警戒するな」


「わかっています、でも……」


 そうこうしているあいだに湖が見えてきた。

 大きな湖だと風によって波が立つし砂浜もある。まだ春のはじめだから、開けた場所で感じる風は冷たかった。

 湖には人影があった。

 目立っているのは、灰色と白の水着を着た十人くらいの集団だ。彼らは季節を無視して湖の中に入り、水をかけ合って遊んでいる。


「そーれ!」


「ギャハハッ! 三対一は卑怯じゃぞ?」


 水をかけ合うを通り越して、嵐か滝か、という水量になっているにもかかわらず、水着の男たちは輝く笑顔を振りまいて楽しんでいる。


「なにを、これも戦略というやつじゃ」


 年齢は四十代から六十代くらいまで。共通するのはお揃いの水着と丸太のような腕、りっぱな口ひげだ。あえて説明されなくても、彼らが『灰色傭兵団』なのだとすぐにわかる。


「……なんで水着がお揃いなんだよ、気持ち悪いな」


 フィルの言葉には容赦がない。けれど口元がほころんでいるところから推測すると、祖父たちへの愛はあるようだ。


「それよりも、今……三月ですよね……おじいちゃんたちの心臓は大丈夫でしょうか?」


「じいさんたちの心臓なんて、心配するだけ無駄だ」


 二人は、かなり目立っている集団に近づく。

 湖の周囲の砂浜は、少々歩きづらい。


「わっ!」


 案の定、セレストは足を取られた。けれど、それで転倒することはない。フィルが支えてくれたからだ。


「気をつけろ。自称しっかり者」


 視線が交わり、動けなくなる。セレストは転びそうになった恥ずかしさとフィルの笑顔のまぶしさで動揺した。

 顔を上げ、もう一度湖のほうを見ると――。


 水遊びをしていた傭兵団一行が微動だにせず、フィルとセレストのほうを凝視していた。


「今の見たか? あの二人、見つめ合っていたぞ」


「政略結婚だ! 王命だ……! って、何度もしつこく手紙に書いていたのは、やましさの裏返しだな」


「あのフィル坊が……。血は争えん、完全に父親似だな」


「違いない、顔はともかく術だって父親の才能だしな。なにもこんな部分まで似ることはないだろうに」


 ひそひそと耳打ちをしているのに、声がセレストたちのところまで届くのはどうしてなのだろうか。


「フィ……フィィルルルッ!」


 一段の中央付近から一際大柄な老人が姿を表す。顔は老人だが、一切たるみのないすばらしい肉体をしている。湖から上がり一歩進むごとに、ズボッ、ズボッ、と足が砂に深くはまるが、老人の歩みを鈍らせることはできなかった。

 その老人――推定マクシミリアンが鬼気迫る形相で二人のほうへやってくる。

 両肩から湯気が発生しているのは、彼が発熱しているせいだろうか。


「じいさん、落ち着け」


「これがぁ、落ち着いてぇ……いられるか!」


 自身の友人と愛娘が結婚したことを二十年以上根に持っているというマクシミリアンは、フィルに対する怒りをまったく隠さない。


「お祖父様!」


 セレストはフィルを庇う位置に歩み出た。

 二人の関係は、夫婦でも恋人でもなく、保護者と被保護者。そうでないのなら親子か兄妹きょうだいのようなもの。誤解は、原因を作ったセレストが解くべきだ。


「う……うむ……」


 セレストが立ち塞がると、マクシミリアンはピタリと進軍をやめた。


「お初にお目にかかります。私、セレスト・エインズワースと申します。ご挨拶が大変遅くなりましたこと、お詫び申し上げます」


「う、いや……こちらこそ。ご丁寧にありがとう。マクシミリアン・ヘーゼルダインと申す」


「灰色傭兵団の皆様も、お会いできて嬉しいです。しばらくご一緒させていただきますので、仲よくしてください」


 セレストは外套の端をちょこんと摘まんで丁寧にお辞儀をした。


「うぉぉぉっ!」


「ヒュー! 可愛いぜ。おじ様って呼んでくれぇぇ」


「いや、五十過ぎたらおじいちゃんだろう?」


「残念、俺はまだ四十九歳だ!」


 傭兵団の男たちは盛り上がっている。

 陽気でいい人たちなのだとすぐにわかるが、話がまったく進まない。


「お祖父様!」


「むっ?」


「フィル様は、困っていた私を保護してくださいました。私にとってはお父様かお兄様のような方で、術者としては先輩で師匠です。ですからお祖父様、どうか誤解なさらないでください」


 仲はいいが、本当の夫婦ではないとセレストは強く主張した。

 セレストがフィルに恋心を抱いていたとしても、フィルがなんとも思っていないのだから、まったく問題ないはずだ。

 未熟な少女が年上の優しい男性に好意を抱くのはよくあることで、フィルはそれを受け流せる立派な大人だ。


「セレスト殿がそう言うのであれば」


 しぶしぶという様子ではあるものの、マクシミリアンは一応納得してくれた。


「それじゃあ、じいさん。あとで今後の方針について話し合いたいんだが?」


「そうじゃな。だが、ワシらは今、水中での訓練を行っているところだ。作戦会議は夕飯のあとでいいだろう」


「……訓練、なのか? まぁ、それでいい。俺たちは町を見て回ってから宿に戻る。……行くぞセレスト」


 そのとき、セレストはフィルの態度に違和感を覚えた。いつもより声が低く、ものすごく不機嫌そうだった。


(どうして? お祖父様に疑われたから……?)


 セレストはわけがわからないまま、とりあえずフィルの背中を追いかけた。

 すると彼が急に振り返り、セレストに近づいた。


「靴の中に砂が入ると面倒だ。……ほら、お父さん・・・・が抱っこしてやる」


 言うやいなや、フィルはセレストを抱き上げた。

 フィルの機嫌が悪くなった原因は、マクシミリアンではなくセレストにあった。


「ご……ごめんなさい……! 訂正します。お兄様で先輩で師匠です」


「ふーん、兄か」


 今の言葉は間違っていない自信があったのに、フィルの機嫌はまだ直らない。

 砂浜が終わり、町へ入っても彼はそのまま抱っこを続けた。


 これはきっと、二十代の青年を「父」だと言ってしまったセレストへの罰だ。

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