1-2

(氷結のクロフト……闘いづらい相手だわ……)


 対戦相手を選んだのはおそらくフィルだ。彼は真面目でセレストの成長を望んでいるからこそ、不得意な部分ばかりを突くような試練をセレストに与える。


 セレストが最も苦手にしているのは炎の術を使う相手だった。

 炎の使い手といえば筆頭がフィルで、セレストは一度目の世界で彼に勝ったことがない。星獣の序列はスピカのほうが上だが、人間相手に本気の術を使えるはずもないから破壊力の高い術がどれだけ使えようが、模擬戦闘の勝敗には左右しない。


 模擬戦闘の場合は純粋な力ではなく、技を繰り出す速度や作戦などの技術力が試される。もちろん星獣に選ばれる者は術者としての才能がずば抜けているから、一般の術者に負けることは滅多にない。

 星獣使い同士の闘いでは人が勝手に定めた序列はあまり意味がないといったところだ。


 そして二番目に苦手としているのが今回の対戦相手である氷の術に長けた者だ。

 互いに特性をよく理解しているから攻撃が当たりにくく、激しく消耗する。


(一度目の世界では、クロフト大尉と手合わせをしていないのよね……)


 わかっているのはかなりの実力者だということだけだ。


 広い訓練場の中央まで歩み出て、セレストはクロフトと対峙する。

 星獣使いの闘いが見られるとあって、訓練場には多くの軍人が集まっていた。


「クロフト大尉。よろしくお願いします」


「ええ、こちらこそ」


 クロフトがまた笑った。


(やっぱり怖いです……)


 一度目の世界でも彼はフィルの副官をしていたから、セレストともそれなりに接点があった。

 フィルはクロフトのことをかなり信頼していて、それは一度目の世界でも二度目の今も変わらない。

 怖いのはクロフトの人柄ではなく、単純に術者としての彼だ。

 笑みの裏側に星獣使いと手合わせをして実力を試したいという闘争心のようなものがみなぎっているからだろう。


 立会人はフィルで、実体化したレグルスが彼の横にぴったりと寄り添っている。


「危険だと判断したら、俺とレグルスが止める。その時点で勝負は終わりだ。それから、クロフト大尉は手加減などしなくていいぞ。責任は俺が取るから思う存分やってくれ」


「私だって、子供相手だと多少の罪悪感は覚えますよ。ですが、将軍閣下からの命ですから全力でやらせていただきます」


 セレストには「やらせて」が「らせて」に聞こえた。


(フィル様が私を一人前と認めてくれているからこそ、手加減なしでかまわないと言っているのだから、期待に応えなきゃ)


 セレストは大きく深呼吸をして心を落ち着かせてからスピカを地面に下ろした。


「では、始め!」


 二対一で、セレスト側は星獣と星獣使いという特別な存在だから、勝っても栄誉は与えられない。

 負けたら恥となる厳しい条件での闘いだ。


 まずはクロフトが一気に距離を詰めてくる。体術では絶対に敵わないから、セレストは接近戦だけは避けなければならない。

 術を使って地面を凍らせ壁を築く。そのあいだにスピカを迂回させて挟み撃ちにするという作戦だ。


 クロフトも挟み撃ちになる可能性は予測していたのだろう。背後からの攻撃をはね除ける壁を築いて逃れる。

 スピカは氷の針で壁を打ち砕こうとしたが、時間がかかっている。

 クロフトはそのあいだにセレストを倒すつもりなのだ。


(氷なら、術の複数同時展開とほぼ同じ効果が得られるのよね……)


 複数の術を同時に使うのはかなり高度な技術だ。

 氷の壁を作るという一つの術を使う場合、大気から水を取り出し、移動と位置の固定を行ってから温度を奪うという複数の作業を行う必要がある。

 これと同時にまったく別の術を使うのは相当難しい。例えるのなら、両手でピアノを弾いている最中に別の楽器で違う曲を演奏するようなものだ。


 セレストは一応できるのだが、星神力を余計に消費してしまうため危機が迫らない限り使わない。


 それに、氷には一度凍ったら、星神力を使わなくても一定時間効果を維持できるという特性がある。


 たとえば以前ヴェネッサが使っていたような純粋な星神力で作った防御壁は、術者が星神力を消費し続けなければ消滅してしまう。

 氷の場合は、同じ耐久性の壁を築くのに多くの力を消費する代わりに、溶けるか砕かれるかのどちらかとなるまで効果が維持できるのだ。


 だから術の複数同時展開ができない者であっても、防御と攻撃を同時に行うことができる。


 クロフトはセレストへの攻撃をすると見せかけて、身を反転しスピカに向けて術を放った。


(分断されてしまった!)


 一瞬にして、スピカの周囲に壁が築かれた。

 しかもその氷には故意に空気が混ぜられていて中の様子がわからない。そうなるとスピカのほうからも敵の位置が把握できないから、遠距離攻撃が不可能となる。


「ピィッ! ピィー!」


 必死に脱出しようともがいている声はするものの、氷の壁が破壊される気配はない。

 スピカが早くも戦力外となると、クロフトはセレストと闘うために頭上に氷の針を出現させた。


 それは、氷属性ではよく使われる基本の攻撃方法なのだが……。


「氷の針……」


 ドクン、とセレストの心臓が大きく跳ねた。急に目眩がして、胃のあたりが気持ち悪くなり、視界が揺れた気がした。


(動揺なんてしている場合じゃない……! 闘いに集中しなきゃ)


 針の先端が自分のほうへ向けられているのを認識した瞬間、セレストの中に恐ろしい記憶が一瞬だけ蘇った。

 鉄格子の向こうから氷の針がセレストに向けて放たれたあの瞬間だ。四年以上経ってもあれは夢だったなどとはみじんも感じない。

 二度目の世界で軍に入ってから三年半のあいだ、セレストも氷の針を使った経験が何度もあるというのに、針の先端が自分に向けられているだけで、一度目の世界での死に際に見た光景と重なってしまった。


 その動揺がいけなかったのだろう。氷の針と同程度の氷をぶつけて相殺しなければならないのにわずかに狙いがはずれた。

 中途半端に粉砕された氷の破片がセレストの頬をかすめる。


「ピッピッ!」


 そのとき、スピカの鳴き声がした。

 彼はいつのまにか壁の上にいた。賢いスピカは壁の粉砕を諦めて、壁面をよじ登ったのだ。

 壁の上で氷の球体を作り、それを後ろ足で蹴って飛ばすという地味に痛い攻撃をはじめた。


(スピカが頑張っているんだから、怖がっていられない)


 セレストはクロフトの頭上に大量の水を生み出した。クロフトはセレストの術に気づき逃げようとするが、背後からいつスピカが本気の攻撃をするかわからないせいで動きが鈍い。

 彼の頭上にある水を落とせば、セレストの勝ちとなるのだが――。


「そこまで!」


 フィルの声が響いた。

 それを受けて、セレストは宙に浮く水の塊を誰もいない場所に移動させてから落とし、地面についた瞬間に凍らせた。

 以前、闇狼を倒した彼女の得意技である。

 もしフィルの制止がなかったら、あなたは氷漬けになっていたと相手に見せつけるための演出だった。


 もちろんこれは模擬戦闘だから、人の上に落とすつもりは最初からなかった。

 クロフトは氷の塊を見つめながらつぶやいた。


「こんな複雑な術を使うとは……さすがは星獣使い。もう少し粘りたかったのですが、完敗ですね」


 セレストの技……名前をつけるなら氷瀑ひょうばくだろう。この術は、水の状態で相手を追尾するという部分が非常に高度だった。

 けれどセレストはほめられてもあまり嬉しくはなかった。


「スピカにある程度術を使わせるというこの模擬戦闘の趣旨に合わせて手加減してくださっていたのはわかります。おかげでいい訓練になりました」


 おそらくクロフトは、今のスピカ程度なら簡単に無力化できた。

 セレストがすぐに思いついたのは、最初にスピカの周囲を壁で取り囲んだあと、天井に蓋をするという方法だ。

 この方法をとられていたら、二対一に戻ることはなかったはずだ。


「それでも結局、エインズワース少尉には勝てませんでしたよ。こちらこそ、学ぶことの多い訓練でした。また手合わせをしたいものです」


 そう言って彼は笑うのだが、「もっと真剣勝負がしたい」と言う好戦的な笑みだったため、セレストはまた戦慄した。

 ぎこちなく握手を交わしてから、セレストは壁の上に留まったままのスピカを回収した。

 それからフィルとレグルスのところへ向かったのだが……。


「……セレスト」


(え、なんか怒ってる?)


 フィルの機嫌が異様なほど悪かった。スピカもそれなりに術を使っていたし、セレストも苦手な術を使ってくる相手に工夫して立ち向かったつもりだった。

 それでもフィルにとっては及第点とはいかなかったのだろうか。


「ひどい怪我じゃないか!」


 頬のヒリヒリする部分に手を当ててみるが、触れた手のひらに、ほんの少し血がつく程度で手当ての必要すらないくらいだ。


「い、いえ……擦り傷だけです……よね?」


 セレストは星獣たちに同意を求めた。


「ピィ」


「ガウゥ」


 二体の星獣はセレストの言葉を肯定している。

 けれどフィルの機嫌は直らない。それどころか周囲に殺気まで撒き散らしはじめる。


「……クッ! 落ち着け、俺。……クロフト大尉に罪はない。本気でやっていいと許可を出したのは俺だ……いくらうちの子が傷つけられたからと言っても殺意を抱くのは筋違いだ。……憎むなら自分自身、そう……己を憎め。責任転嫁など武人として最低だ……っ!」


 フィルとの訓練でも、時々怪我をすることがある。

 その場合、彼はもちろん心配するし、消毒と手当ても大げさなのだが、それだけだ。


(声になっちゃってますけど)


 見学していた軍人たちが巻き込まれる事態を恐れ、サーッと捌けていく。

 いつのまにやら、クロフトの姿も消えていた。


「ものすごく過保護ですよ! フィル様」


 どうせ誰も聞いていないから、セレストはフィルを名前で呼んで抗議した。

 セレストの旦那様は、何年一緒に過ごしてもこれでもかというほどの過保護だった。

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