1-3
その晩セレストは久々に悪夢を見た。
「セレスト・ゴールディング。貴様は怪しき力を使い、星獣を不当に使役した罪で死罪とする!」
(私はスピカの正当な主人……。それに、今の名前はセレスト・エインズワース……)
「一族の恥晒しはわたくしが始末いたします。……スピカを偽の主人との悪しき縁から解き放ってあげますわ」
(ミュリエル……。違うわ……、スピカと私の絆は悪しきものなんかじゃない!)
きっと昼間、クロフトから氷の針を向けられたのがきっかけになったのだろう。
これは夢だとわかっているのに、暗い牢獄から抜け出せない。
やがて巨大なハリネズミが姿を現した。氷の針をセレストに向けるスピカは禍々しい邪気をまとっていて、セレストの声など届かない。
セレストにとっては、まとう星神力も表情もスピカとはまったく違う生き物だ。
(嫌、……やめて! スピカ……。ヘーゼルダイン、将軍……助けて!)
叫ぼうとしても声にならなかった。
太ももや肩に氷の針が突き刺さる。夢だとわかっているのに、過去の経験と同じ激痛が襲いかかった。痛みなど記憶していなければいいのにと願っても無駄だった。
「ああぁぁっ!」
「セレスト」
「い、痛い……足が……っ、助けて……助けて!」
セレストはうずくまって、激痛に耐えた。
どうして夢が覚めてくれないのか、もしかしたらあの幸せな暮らしこそが夢だったのかもしれない。そんな絶望に支配されていく。
「セレスト。大丈夫だ……セレスト……」
聞き慣れた声が頭に響く。セレストはふらふらと半身を起こし、声の主を探した。暗闇の中で誰かが抱き留めてくれたのがわかった。
彼に抱きしめられただけで、わずかに痛みが和らぐ。
「……助けて、助けて……ヘーゼルダイ……」
一人ではどうにでもならない状況に陥ったとき、まず彼の姿が頭に浮かんだ。もう一度会いたかったし、星獣たちと出かける約束を叶えたかった。
「ああ。君のことは俺が守るから……なにも心配はいらない、セレスト……」
言葉とぬくもりのおかげでセレストはようやく悪夢から目を覚ます。
真っ暗な部屋の中でも、優しくて情に厚い青年の気配がするだけであの牢獄とは違う場所にいるのだと強く認識した。
「……フィル様?」
「ピッピッ! ピッピッ」
スピカもすぐそばにいてくれた。いつもどおりの可愛らしい声で、必死になってセレストを気遣っている。
「……わ、たし……」
「怖い夢を見たんだな? かわいそうに」
「フィル様、フィル様! スピカ……。怖かった! もう痛くて苦しいのは、嫌なの……うぅっ、うっ」
彼は「ヘーゼルダイン将軍閣下」ではなく、「フィル様」だ。
今はフィル・エインズワースという名で、セレストの旦那様だ。彼の名前を繰り返し呼べば、この二度目の世界こそ今のセレストにとっての現実なのだと実感できる。
心はもう大人のはずなのに、甘えていいと言ってくれる相手がいるせいでセレストはまだ子供でいたかった。彼に縋って泣きじゃくっても、十四歳なら許されるだろうか。
フィルはセレストが泣いているあいだ、ずっと胸を貸して背中をさすってくれた。
「たとえ家族でも夜中に異性の部屋に入るのはどうかと思ったんだが……、スピカがどうしてもと言うから」
フィルが聞いてもいないのに言い訳をはじめる。
二度目の世界での彼は、セレストの家族だ。
セレストが本当に彼を必要としているとき、会いたいときには必ずそばにいてくれる。フォルシー山で闇狼と戦ったときもそうだし、そのうち敵となるはずの王太子に出会ったときも、星の間での儀式を行うときも隣にいてくれた。そして、今もそうだ。
彼がいたから、セレストは未来を諦めずに立ち続けることができるのだ。
「ピィ! ピィ!」
スピカが強くなにかを主張している。きっと「僕のことを忘れるな」と言っているのだ。
「ありがとう、スピカ」
セレストは、まだフィルにしがみついたままで手を伸ばし、スピカの鼻先に触れて感謝を伝えた。
フィルと同じようにスピカもセレストの希望だ。強い意志で邪法から逃れ、セレストを守ったのは間違いなくスピカなのだ。
「水でも飲むか?」
フィルがセレストの背中を撫でるのをやめ、離れようとしていた。
「いりません。……フィル様いなくならないで!」
せっかく落ち着きはじめた心が、またざわざわと不安定になる。
セレストは彼のシャツをギュッと掴んで縋りつく。
「あぁ、わかった。……君が眠るまでそばにいてやる」
「ずっと一緒に……。一緒に寝たらだめですか?」
きっと彼は本当にセレストが眠るまでベッドの横で見守っていてくれるに違いない。けれど、明日も職務があるのに、彼の睡眠時間を削るのはよくない。だから同じベッドで一緒に眠ってくれたら効率がいいとセレストは考えて、提案してみた。
「……それは、なんの試練だ」
ボソリ、と低く小さな声は聞き取りにくい。
「試練? 模擬戦闘のことですか?」
それならば昼間に終わっている。今さらどうして蒸し返すのかと、セレストは首を傾げた。
「い、いや。なんでもない」
「やっぱり、だめですか……?」
都合のいいときだけ子供のふりをするのは卑怯だという自覚がセレストにはある。
それに二度目の世界でもセレストはもう十四歳になっているのだ。その年齢で兄や親と同じベッドで寝る者などほとんどいない。
けれど今夜はどうしても、フィルと一緒にいなければ悪夢を見そうで怖かった。彼が困惑しているのがわかっているのに、セレストは彼を離してあげられなかった。
「わ……わかった。家族だし、べつにかまわない。ただ、君のベッドだと狭いな」
フィルはセレストを抱き上げて、隣の部屋へ移動した。彼の私室には大きなベッドがあるからそこで一緒に寝ようというのだ。
フィルと一緒に眠るのは、フォルシー山のベースキャンプ以来だ。そしてあのときフィルは仮眠を取っただけであまり眠っていなかったらしい。
自分で泣きながら懇願していたというのに、彼に抱きかかえられて移動しているあいだにセレストは冷静になり、発言を後悔しはじめた。
それでも今更一人で大丈夫だなどと撤回できない。
やがて丁寧な手つきでベッドの上に下ろされた。そのまま肩が押され、体がシーツに沈み込む。バサリと毛布がかけられた。
フィルは立ったまま左目を閉じた。
「レグルス」
星獣の名を呼んでから目を開く。契約の証が浮かび上がり、レグルスが実体化した。
「ガウ!」
「おまえはここでセレストを守れ」
ポンポンと彼が指し示したのはベッドの中央だった。
「ガゥ?」
レグルスは状況がよくわかっていなそうだが、とりあえず主人の
スピカはもちろん、ソファーで眠っていたスーも目を覚まし、仲間はずれにするなという態度でベッドの上にやってきた。
窮屈になるとレグルスの体が一回り小さくなった。皆で寝るための気遣いだ。
「俺は良識のある大人だからな。一緒には寝てやるが隣はだめだ。……さあ、おやすみ。レグルス、スー、スピカ……それからセレストも」
セレストがわがままを言った結果、家族で過ごす時間が増えた。
フィルらしい行動がおかしくて、もう恐怖も不安もどこかに消えていた。
「おやすみなさい。フィル様、皆……」
「ピ!」
「ガゥ」
「クゥゥ」
リネンはセレストの部屋にあるものと同じように洗っているはずなのに、シーツからはフィルのにおいがする気がした。レグルスに隠れて姿が見えなくても、彼の気配ははっきりわかった。
(そう言えば、フィル様って眠っているときも眼帯をしたままでかぶれないのかな?)
睡魔に襲われながら、セレストはぼんやりとそんなことを考えた。
顔にどんな傷があっても気にしない、などとセレストが言ったところで、なんの慰めにもならない。家族だからこそ、フィルが話したくないこと、見せたくないものがあるのならそれを尊重するべきだと思っていた。
セレストも、フィルにこの世界が巻き戻ったという事実を話せていないのだから。
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