2-1 すぐ近くにある災い

 二月の新月の夜――星祭りの日に舞踏会が開かれる。

 そしてその三日後、セレストはエインズワース領がある南へ旅立つ予定だ。

 エインズワース領は、都から馬車を使って約一週間でたどり着く場所にある。星獣使いとしての職務があるフィルやセレストは、長いあいだ所領を訪れることができなかった。


 今回、かなり強引に長期休暇を取得したのは、遅すぎる新婚休暇――と対外的にはなっているのだが、それは間違っている。


 じつは、主な目的地はエインズワース領ではなく、都とエインズワース領のちょうど中間にあるイクセタ領だった。

 セレストは今から一年前、この先に待ち受ける大きな事件についてフィルに打ち明けた。


「フィル様、来年の春……おそらくイクセタ領で魔獣被害が発生します」


「未来視だな? できるだけ具体的な日時と被害を教えてくれ」


 フィルはいつもセレストの話を真剣に聞いてくれる人だ。

 彼に請われ、セレストは覚えている範囲でイクセタ領で起こる魔獣被害を具体的に語った。


 当然だが、セレストが干渉していない人の動きや自然災害などは一度目の世界と変わらない。

 すべての不幸をセレストが取り払うことはできないし、そんなことをしようとしたらセレストの心が持たない。

 だから普段、セレストは未来視の力はできるだけ使わないようにしている。

 けれど、魔獣被害についてはどうしても動かなくてはならない。

 あまりにも犠牲が大きすぎるし、セレストもフィルも、いずれイクセタ領の魔獣討伐遠征に参戦するのだから。


「三月の初旬。闇狼三十体以上を従えた翼竜が、イクセタの森の奥にある沼地から出現します。最初の被害で砦の兵二十名が犠牲になります。その後、防御壁を築いて防戦一方という状況が続き、星獣使いが到着するまでには死者五十名、怪我人は……数え切れません」


「翼竜か」


 翼竜は空を飛ぶ大型の魔獣で、確認されている中で最も戦闘力が高い強敵である。

 まず、空中からの攻撃がやっかいだ。

 地上からの敵の侵入を防ぐためには防御壁を築けばいい。けれど、空からの攻撃を完全に防ごうとしたら、イクセタの町全体を覆う防御壁が必要となる。町の周囲を取り囲むのと、空まで覆うのとでは必要な星神力が桁違いだ。

 セレストも魔獣被害発生直後の状況は、資料で読んだだけだ。

 砦にいる術者がどれだけ力を尽くしても、防御壁は一日しか持たなかった。その後は翼竜が町や砦に近づくたびに攻撃して追い払うという、いつはじまりいつ終わるのかわからない戦いの繰り返しだったという。


「はい。気まぐれな翼竜は、私たちがイクセタの町に到着するまでの三日間、なんども町を襲撃したそうです。星獣使い三人で共闘し、ようやく倒しました」


攻撃・・が三人か……」


 セレストは頷いた。ここで言う星獣使い三人とは、フィル、セレスト、ドウェインの三人ではない。癒やしの星獣ミモザは戦う力を持っていないし、ドウェインも補助的な術を得意としていて戦闘能力はさほど高くないのだ。


 つまりこの魔獣討伐にはジョザイアとアルタイルが参戦し、セレストたちと共闘したということだ。


「フィル様……。未来視のことを秘密にし続けるのなら私たちは命令が下ってからイクセタ領へ行くべきだとわかっています。……でも……」


 ヴェネッサ一人を助けたときとは、あまりにも状況が違いすぎる。

 星獣使いは、数日の旅が必要になる場所を許可なく訪れることはできないから、事前にイクセタには行けない。

 すると多くの兵士が犠牲になるとわかっていて、セレストは保身のために彼らを見殺しにするしかないのだろうか。セレストにはきっと耐えられない。


「今から考えれば方法はあると思う。……大丈夫だ、君がすべてを背負う必要などないんだから」


 フィルはそうやって、責任の半分――いや大半を肩代わりしてセレストが罪悪感に呑み込まれそうになる状況から守ろうとしてくれる。


 そして、フィルとセレストはイクセタ領で魔獣被害が発生する時期に「偶然居合わせる」ための計画を進めた。具体的には、所領を訪れるための旅の最中だったという筋書だ。


「でもフィル様、私たち二人だけで大丈夫なのでしょうか? 相手は翼竜なのですよ!」


 前回、星獣使い三人で対処したのだ。今回はフィルとセレストの二人だけで、しかもセレストの星獣スピカは一般の術者並の力しか使えない。

 実質、星獣使い一人で対処するようなものだ。


「翼竜とは星獣使いになる前に戦ったことがある。総合的な強さは星獣の序列ではないとセレストも知っているだろう?」


 フィルが翼竜と戦ったのは、かつてセレストの実父が死亡したエインズワース領での魔獣被害のときだ。あのとき、国王がエインズワース伯爵からの再三の救援要請に応えず、甚大な被害が出た。

 フィルはまだ星獣使いではなかったが、翼竜とそれに付き従っていた多くの魔獣を何体も倒している。


「はい……。でも……」


 今がまさにそうだ。序列四位のスピカを従えるセレストよりも、序列七位のレグルスの主人であるフィルのほうが何倍も強い。

 セレストは、一度目の世界で完全な状態のスピカの主人であった頃から彼には勝てる気がしなかった。常に余裕があり、フィルが戦いの中で本気になっている場面を一度も見たことがない。


 一度目の世界のイクセタ領の魔獣被害では、報告を受けてすぐさま星獣使いが三人も派遣された。これは、かつてのエインズワース領での国の失策が、国民や貴族たちからの反感を買ったからだ。

 王太子が自ら赴いたのも、王族が率先して魔獣被害から国民を守っているというアピールのためだった。だから実際には星獣使いが三人いなければ翼竜に勝てないということではない。

 それでもセレストは心配だった。


「じいさんに協力してもらおうと思う」


 フィルはそんなセレストに、彼の祖父――マクシミリアン・ヘーゼルダインに協力してもらうという提案をした。


 マクシミリアン・ヘーゼルダインは、生きている人の中では唯一フィルのハート型の痣を見たことがある人物だ。

 両親を病で亡くしているというフィルにとっては、たった一人の血縁でもある。

 セレストとしては結婚時に挨拶をしようと思っていたのだが、マクシミリアンは仕事の都合で地方都市から移動できず、フィルも都から離れられなかったので今まで会えずにいた。


 定期的に手紙のやり取りはしていて、セレストとの結婚は一応認めてくれている。

 一応――というのは、マクシミリアンは年齢差のありすぎる結婚を積極的には歓迎していないからだ。

 理由は単純で、フィルの亡き両親が二十歳以上歳の離れた夫婦だったからだ。

 フィルの父親はマクシミリアンの友人で、前妻と死別している独り身の男性だったという。

 そんな人物が、成人したばかりの愛娘と恋仲になったことを未だに根に持っているらしい。

 とは言うものの、フィルが幼い頃は両親も祖父も一緒に暮らしていてそれなりに仲がよかったらしいので、このあたりの人間関係が本当のところどうなのかセレストはよくわからない。


 そして今回、フィルは剣の師でもある祖父に応援を要請した。

 彼は元軍人で退役してからは傭兵団を率いている。

 ここ数十年周辺国との諍いはないので、ノディスィア王国の傭兵の主な任務は魔獣討伐や野盗討伐だ。


 彼らは軍がカバーしきれない場所に赴き、領主や町の代表者からの要請で魔獣を狩る。

 商隊の護衛などをする場合もある。そして大規模な魔獣災害が起こったら、国からの要請で軍と共闘することもある。


「ですがフィル様、お祖父様にはなんと説明するのですか? 未来視のことは……」


「星獣使いの勘……とでも言っておけばいい。依頼主の事情に深入りしてこないのが専門家というものだ」


 そうやってフィルが考えたのが、「フィルたちの休暇に合わせて、祖父率いる傭兵団も慰安旅行に出かけた」という設定だった。

 こうやってセレストたちは魔獣被害が起こる場所にわざわざ「旅行」として出向く計画を立て来たるべき日に備えた。


「まずは星祭りと舞踏会、そして戦いですね……!」


「気負うなといつもいっているんだが。遅い新婚旅行ってことになっているし、最終目的地はエインズワース領だ。そんなに闘争心を剥き出しにして旅をする人間はいない」


「はい……。気をつけます」


 フィルはそうやってセレストの心を守ってくれる。彼の過保護はセレストが成長してもまったく変わらないのだった。

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