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二月の新月の夜。この世界に星神力という恩恵を与えてくれる星々への感謝を込めて、
ただし、厳かな祭事だったはずの星祭りは長い歳月をかけて賑やかなものへと変わった。
今ではひっそりと祈るよりも楽しい祭りがメインになっている。
町には多くの屋台が出て、人々は星のかたちのランタンを手に外へ繰り出す。
貴族と神官は日中に星の間の前で祈りを捧げるものの、夜は盛大な舞踏会で盛り上がる。
「フィルだけ地味じゃない? 星獣使いなんだから改造しても許されるのに」
軍に所属する星獣使いの三人は儀式前に城の一室に集まっていた。副官のヴェネッサとクロフトも一緒だ。
星獣使いの三人は華やかな軍の礼装に身を包む。フィルは黒、セレストは青、ドウェインは白――とそれぞれ異なる服装だ。三人の中で正規の軍服を身につけているのはフィルだけである。
ドウェインはフィルの軍服の地味さが気に入らないらしい。
ちなみにセレストは、軍に入った当初年齢も身長も入隊基準に達していなかった。そのせいでそもそも支給品の軍服が存在しないので、ドウェイン監修の改造軍服を着ている。
「俺のことは放って置いてくれ」
「私が監修するのなら、色は黒でいいけれど肩をモリモリにして格好よくしてあげるのに。それからマントも黒で、もっと長くするわ」
「肩をモリモリ? ってそれ……悪役みたいだぞ。俺は普通がいい」
セレストはなんとなく、肩が盛り上がった黒の甲冑に長いマント姿のフィルを想像してみた。
お芝居に出てくる魔王や残虐な君主などが、そんな装いをしていそうだ。
眼帯と相まって、たしかにフィルに似合いそうではある。けれど、似合えばいいというものではないだろう。
「ドウェイン様、黒い軍服を一番格好よく着こなしているのはフィル様ですよ! ね? スピカたちもそう思うでしょう?」
セレストは儀式のために実体化している星獣三体に問いかける。
「ピ!」
「ガウ!」
返事ができないミモザもクルクルと周囲を飛び回り、セレストの言葉を肯定してくれていた。
黒の軍服、左肩に青いマントをかけているフィルは凜々しくて本当に素敵なのだ。背が高く立ち姿が美しい彼に華美な装飾は必要ない。
「セレちゃん、それは身びいきというものよ。この子たちはセレちゃんのことが大好きだからなにを言っても同意するに決まっているわ。ほら、うしろの副官君のほうが一般的には美男子なのよ」
引き合いに出されたクロフトは心底嫌そうな顔をした。
確かにクロフトは目が合うだけで気絶する女性が現れるくらい格好いい――らしい。そしてドウェインも中性的な印象だが、驚くほど整った顔立ちだ。それに比べてフィルは平凡だと言うのだろう。
(背が高くて、……優しいし強いし真面目だし。フィル様が一番に決まっているのに!)
そもそも黒の軍服が似合うかどうかという話だったはずなのに、セレストはそんなことはもうどうでもよくなっていた。クロフトに罪はないとわかっているのに敵視するような視線を送ってしまう。
「私を巻き込まないでください、シュリンガム中佐」
クロフトがため息交じりに抗議した。
シュリンガム中佐というのはもちろんドウェインのことだ。この三年ほどのあいだで昇進し、ドウェインは中佐、ヴェネッサは中尉になっている。
「ドウェイン様、ご自分が一番だと誰も言ってくれないからって年下の女の子をいじめるのは大人げないですよ」
ヴェネッサが指摘すると、ドウェインは年甲斐もなく頬を膨らませふてくされた。
「はいはい。そこは『私にとってはドウェイン様が一番です!』くらい言ってくれないのかしら? ……本当にネッサは照れ屋さんね」
「はぁ? あなたをほめたら調子に乗って面倒くさいから嫌ですよ。……それよりセレストさん、今年の〝新月の乙女〟役はゴールディング侯爵令嬢らしいですよ」
きっとヴェネッサは半分照れ隠しで話題を変えたかったのだろう。唐突に新月の乙女について話を振った。
「ミュリエルですか……。たしかに、家柄と年齢を考えると順当なところかもしれません」
新月の乙女というのは、儀式のときに星の間の前で王族とともに祈りを捧げる貴族の代表だ。
毎年、十四歳を迎えた貴族の令嬢から選出される。その年齢で、もっとも優秀な娘が選ばれるということになっているが、実際にはほぼ家柄で決まる。
一度目の世界では、この年の新月の乙女に選ばれたのはセレストだった。星獣使いを差し置いてほかの者がその役割を担うというのは無理だったようだ。
二度目の今、セレストはすでに既婚者だったので最初から候補から除外されている。
(新月の乙女は王族の誰かとダンスをするのが慣例になっているけれど……)
貴族の令嬢の社交界デビューは一般的に十五歳か十六歳となっている。
けれど新月の乙女に選ばれるとその日だけ特別に大人の集いに参加できる。真っ白なドレスを着て、王族とのファーストダンスが約束されているのだ。
貴族の令嬢にとってこれほどの名誉はない。
一度目の世界で、セレストはジョザイアとダンスを踊った。
彼のくわだてによって命を落としたという認識でいるセレストにとってはぜひとも避けたい展開だった。
だからフィルとの結婚のおかげでそれを回避できたのはよかったのだが……。
(ミュリエルと王太子殿下が近づくのは警戒したほうがいいわね)
ただ、どれだけ警戒しても王家や侯爵家のやることにセレストたちは介入できない。
叶うならば、新月の乙女に選ばれたことでミュリエルが満足し、二度目の世界では邪法には近づかないでいてくれたらとセレストは思う。
ミュリエルが憎くないかと問われれば、憎いと答えるしかない。けれどそれ以上に今のセレストにはフィルや星獣たちとの穏やかな生活が大切なのだ。
もしこの世界ではミュリエルと対立せずに済むのだとしたら、セレストはそちらのほうがいいと思っている。
やがて儀式がはじまる時刻となり、一同は星の間の前に集まった。
扉の前には普段はない祭壇が設置されている。
すでに神官や高位貴族たちが集まりつつある。新月の乙女であるミュリエルもそこにいて、これから祈りを捧げる者たちに百合の花を配っている。
ミュリエルのドレスは清楚な印象の白で、黒い髪には百合の花冠が飾られていた。
セレストもフィルと一緒に彼女に近づいて、花を一輪受け取ろうとした。
「あら、セレストじゃない」
「ミュリエル、……久しぶり。白いドレスがよく似合っているわよ」
「セレストも地味な軍服が似合っていてよ?」
「あ……あのね……、人の目もあるんだからそういう態度はよくないわ。もう少し大人になったほうが……」
ゴールディング侯爵家にはなぜか、自分より下の身分の者は見下しても失礼ではないという教育が深く根付いている。伯父は公の場では自重する常識の欠片を持っていたようだが、ミュリエルは違うらしい。
やるならせめて他人が聞いていないところで――そんな忠告をしたくなる。敵だとわかっているのに、怒りよりあきれる気持ちのほうが強かった。
「一時期侯爵家の養女だったとしてもあなたは伯爵家の人間でしょう!? わたくしにお説教なんてしないでちょうだい」
ミュリエルはキッとにらみつけてから、それでも一応セレストにも百合の花を一輪くれた。
(しおれている……)
セレストの花だけ茎がポキッと折れていて、花の一部は茶色く変色している。
ミュリエルは勝ち誇った顔で笑った。
「ミュリエル……」
いったいなにがこんなに彼女を歪ませるのだろうか。セレストが星獣使いに選ばれたことはもう変わりようのない現実だ。
星獣使いに選ばれる者は貴族の中でもほんの一部だ。
たとえばクロフトのように星獣使いでなくても術者として名を馳せることは可能なのに、それでは満足できないのだろうか。
「ガルルルゥ」
すると、セレストとミュリエルのあいだにレグルスが割り込んできた。
「ひっ!」
レグルスはライオンの姿をしている星獣だ。普段は温厚で、フィルやセレストの枕になってくれる面倒見のいい性格をしていても、星獣の中でとくに攻撃力が高く鋭い牙を持つ猛獣だ。
突然威嚇されたら誰だって恐ろしいはずだ。
ミュリエルはおののき、百合の入っていた籠を落としてしまう。
近くにいた貴族たちもレグルスの異常な様子に気がついて、ざわめき出す。
「レグルス、下がっていろ」
代わりにフィルがミュリエルに近づき、籠を拾った。
「侯爵令嬢……。今のは俺の命令じゃなく、星獣の意思だ。彼らは主人と主人の大切な者を守ろうとする。星の恩恵に感謝する新月の乙女ならば星獣の心を踏みにじるような言動はやめてくれ」
フィルはそう言ってから籠をミュリエルに返した。
「ドウェイン、ミモザ」
ミュリエルに背を向けると、フィルはドウェインたちに視線を送った。
ミモザがゆっくりとセレストに近づいて、頭の上に乗った。
セレストの頭上に小さな光が生まれ、彼女としおれた百合に降り注ぐ。
折れた茎は繋がり、茶色い花びらはみずみずしさを取り戻した。植物に対して癒やしの力を使ったのだ。
「ありがとうミモザ」
ミモザはクルクルと回りながらドウェインの肩へと戻っていく。誇らしげで、主人にほめてもらいたくて仕方がないといった様子だ。
「いい子……」
ドウェインはそんなミモザを指で軽くつついてほめてあげている。
ミュリエルは顔を真っ赤にしてセレストをにらみつけた。
「どうして……どうしてセレストばかり……。わたくしが新月の乙女に選ばれたのに! 特別な日に星神力を捧げる役割を担う者としてふさわしいと認められたのに……なぜ……」
侯爵令嬢だから伯爵家出身のセレストより有能であるはず。
新月の乙女に選ばれたのだから、星獣にも好かれるはず。
彼女はきっと人が勝手に定めた身分や序列が絶対的なものであると勘違いをしているのだ。
(いいえ……、勘違いしているのはミュリエルじゃなくて、ミュリエルを教育する立場の者……)
きっとどんな声をかけても、セレストの言葉はミュリエルには響かない。幼い頃から植えつけられている自分が選ばれた者であるという意識は、彼女が下に見ている者がどれだけ諭しても届かない。
だからそっと彼女から離れ、これからはじまる星祭りの祈りに集中することにした。
誰もが今の騒動を見て見ぬふりだ。高位貴族の令嬢であるミュリエルの行動を咎めなかったし、星獣使いに文句をつけることもない。
なんだかもやもやとした気分を振り払いたくて、セレストは何度も深呼吸をした。
やがて国王夫妻と王太子ジョザイアが到着し、星祭りの祈りがはじまった。
神官の導きに従い、白いドレスを着たミュリエルが百合の花と一緒に星神力を捧げる。王族、神官と続きセレストたちの番になる。
セレストは今はまだ見えない昼の星々に、二度目の世界の先にあるものが誰にとっても優しい未来であるようにと真剣に祈ったのだった。
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