2-3

 軍服からドレスへの着替えが必要だったセレストは、城内の控えの間で城勤めの女官の手を借り、支度を済ませた。

 舞踏会用に仕立てたドレスは水色だ。セレストの瞳の色に近いし、軍の礼装のまま参加するフィルとの釣り合いも取れる。

 薔薇のコサージュがついていて可愛らしいが大人っぽい仕上がりだ。


(このドレスでフィル様と……)


 二度目の世界では、はじめて公の場でのダンスとなる。

 パートナーが仮初めではあるものの夫のフィルというのが、セレストには嬉しくて仕方がない。


 部屋を出て、フィルが待っているはずの別室へ行くために回廊を歩く。

 すると突然、バサバサという羽音を響かせながらアルタイルが降り立った。


「どうしたの?」


 めずらしくジョザイアは一緒にいない。

 アルタイルは「キュゥ」と小さく鳴いてから、ドレスの裾をくちばしで咥えて引っ張る。


「だめだよ! ドレスが破れたら困るわ」


 セレストはアルタイルの意図がわからず警戒し、急いでスピカを実体化させた。

 城での行事に参加するのはあまり好きではないセレストだが、今夜の舞踏会ではファーストダンスをフィルと踊る予定だ。

 それだけは楽しみにしてきたのだから、その前にドレスを台無しにされたくなかった。

 アルタイルはドレスを放してくれない。けれど、破れるほど強くは引っ張らないでいてくれる。


「ついてきてほしいということ?」


「キュゥ」


 今のはきっと同意の意味だ。セレストの隣にいるスピカが威嚇していないことからも、アルタイルにはセレストを傷つけるつもりはないとわかる。


 セレストは仕方なく庭園を歩き、アルタイルの導く方向へ進んだ。


(星の間……?)


 そこは先ほど祈りを捧げたばかりの星の間の入り口前だった。

 今夜一晩そのままになっているはずの祭壇の前には、二人の人影がある。


「星獣使いや新月の乙女、名だたる貴族たち……そしてなによりこの私が星神力を捧げたのだ。……リギルはなぜ応えてくれない? スノー子爵!」


「陛下。何度も申し上げておりますが、星獣は人から星神力を吸い上げるために主人のもとに現れるわけではないのです」


 まもなく日が沈む時刻で薄暗くてよく見えないが、会話から一人はヴェネッサの父であるスノー子爵で、もう一人は国王だとわかる。

 セレストは建物の陰に身を隠し、二人の様子をうかがった。


「王太子が序列三位なのだから、国王である私は序列二位のリギルの主人でなければおかしい! それとも私の星獣は行方不明のシリウスなのだろうか? だったら私が主人になれないのは先王のせいだ。ほかの星獣は遠慮してしまったに違いない! 子爵、そうであろう!?」


 先王が魔獣討伐中に行方不明となったのは今から約二十九年前の出来事だ。星獣使いが死亡したら、星獣は星の間に戻る。そうならなかったということはシリウスは力を使い果たし消滅したと推測される。

 星獣たちがどんな基準で主人を選んでいるのか、星獣使いのセレストですら正確には知らない。けれどおそらく、ほかの星獣がシリウスに遠慮して国王の前に姿を現さないということはない気がした。


「陛下……」


 スノー子爵も困惑していた。

 彼はただの研究者で、国王が星獣に選ばれなかったという事実をねじ曲げるような嘘はつけないのだろう。


「貴族ですらない男が星獣を得ているのだぞ! 王族の私が強い星獣を使役できないのはどう考えてもおかしいではないか!」


 たしかに王族が星獣使いとなる可能性はかなり高いが、約束されているわけではなかった。

 歴史上、星獣を得られなくても名君とされた国王はたくさんいる。にもかかわらず国王は星獣にものすごく執着していた。


(だからフィル様に嫌がらせをするのね……)


 フィルの存在は、星獣使いに対し劣等感を抱く国王にとっては脅威なのだ。彼が力を発揮するだけで、国王は自分が選ばれた者ではないと自覚させられるのだろう。

 国王の怒りは収まらず、スノー子爵に八つ当たりをしている。するとそこへ誰かの足音が聞こえた。


「父上、子爵が困っていますよ」


 現れたのはジョザイアだった。

 そもそもなぜアルタイルは主人のそばを離れているのだろうか。セレストは感情の読み取りにくい大鷲の金色の瞳を覗き込むが、彼は微動だにしない。


「事の深刻さを理解していない者が口出しなどするな! もし今後、王族以外の者にリギルが奪われたらどうなると思う? 王家は権威を失うのだぞ」


「ここで騒ぎ立てることのほうがよほど権威を失う結果に繋がるでしょう」


「なんだとっ! そもそもお前が序列三位に甘んじておるせいで――」


「父上」


 ジョザイアの声が低くなり、国王が押し黙る。


「星獣とその主人の絆を理解できるのは、同じ星獣使いだけです。……アルタイルを愚弄するのなら、私とてなにをしてしまうかわかりません」


 隠れて彼らの話を聞いているだけのセレストまで咎められている気分になる。ジョザイアの言葉は、丁寧だが他者を威圧する力を持っていた。


「ジョザイア……おまえは……っ」


「さあ、もうすぐ舞踏会がはじまりますよ。父上は国王としての役割に専念していただきたい。……それこそ、王家の権威を守るために……ねぇ?」


 それきり、会話が聞こえなくなる。

 代わりに足音がして、二人の人物が星の間の前から去って行くのが見えた。


「アルタイル、そこにいるね? 出ておいで。……それから、隠れている君も」


 建物の陰に隠れていても、星獣使いであれば契約している星獣の気配くらい察知できる。隣にセレストやスピカがいることもきっと彼は見抜いていたのだ。

 気まずい話を聞いてしまったが、セレストはなにも悪いことはしていない。だから堂々と建物の陰から出た。


「王太子殿下、お久しぶりでございます」


 ドレスの裾を摘まんで淑女の挨拶をした。

 彼とは公の行事の際に何度か顔を合わせていたが、一対一で会話をする機会はほとんどなかった。


「隠れていたのはセレスト殿だったのか……。アルタイルは城内の見回り中だったはずだが、どうして君が一緒に?」


「アルタイルに誘われました」


 セレストがアルタイルに同意を求めると、彼も控えめな声で「キュゥ」と返事をしてくれた。


「そう。やはり君は星獣に好かれているんだね。……それにしても今日のドレス大人っぽくて素敵だ。少し早めの社交界デビューおめでとう」


「ありがとうございます」


「なぜそんな顔をしているんだろう?」


 そう言いながら、ジョザイアは扉の前からセレストたちがいるほうへ歩いてくる。

 セレストとしてはできるだけ心を悟られないようにしたかっただけだが、不自然な振る舞いだったようだ。

 フィルがいない状況でジョザイアと顔を合わせるのは不安だ。それに、このドレスを一番に見せたかったのはジョザイアではなく、フィルだ。

 なんだかもやもやと嫌な気持ちが拭えない。


「フィル様に……ちゃんと見せていなかったのです」


 ドレスはいつもの仕立屋でフィルと一緒に選んだから彼もデザインは知っている。けれど髪飾りやネックレスと合わせた完璧な状態ではまだ見せていなかった。


「あぁ、一番に見せてほめてもらいたかったんだ。それはすまないことをした。君って軍でも真面目に職務に励んでいるみたいだし、実年齢よりもしっかり者だと思っていたけれど、年相応な部分もあるんだね」


「……そう、かもしれません」


 半分はジョザイアへの警戒心だったが、子供だからという理由で不敬な態度を許してもらえるのならそれでかまわない。


「ところで父上とスノー子爵の話を聞いていたんだろう?」


 一気に心臓の音がうるさくなる。故意ではないし、アルタイルが聞かせようとしたのだからその責任はジョザイアのほうにこそあるのではないだろうか。


「聞こえてしまいました……ですが……」


「ここは立ち入り禁止の場所ではないから、咎めているわけじゃない。恥ずかしいところを見せてしまったね。……あの人は星獣使いに猛烈な劣等感を抱いているんだ」


「星獣使いとしてはとても残念に思います」


 あまりに遠い存在だったので、セレストは国王の人となりについて深く考えることはなかった。

 あえて言うのなら、伯父のように王族や貴族の血筋にこだわり、フィルに嫌がらせをしている者たちの一人という程度だ。そういう人物だとわかっていたが、国のトップが星獣に対しあそこまで歪んだ執着をしていることが、セレストにはショックだった。


「だろうね。……父上は星獣に選ばれなかったことを何十年経っても認められない、悲しい人なんだ。気をつけて……今はいいけれど、君とエインズワース将軍はいずれ引き離されるよ」


 星獣使いの二人が真の夫婦になって、子供が生まれたらどうなるのだろうか。その子も星獣に愛される子となる可能性はかなり高かった。

 国王は自身が星獣使いになれなかったことを認められず、同時にジョザイアが序列二位のリギルの主人でないことも不満らしい。

 王家と無関係の家に王家より強い星神力の持ち主が生まれる可能性があったら、フィルとセレストを引き離すのだろう。

 今はスピカとセレストを守る者が必要だから「保留」になっているだけだとジョザイアは言っている。


 まっとうな忠告だが、セレストはその言葉を素直に受け入れられなかった。

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