1-3

「ヘーゼルダイン様! お願いです、話を聞いてください」


 中からは拒否の言葉すらなく、無反応だ。

 セレストはドンドンと扉を叩きながら、必死に訴えた。


「後悔はさせません。どうか、お話だけでも……お願いです!」


 どれだけ騒いでも返答はない。

 けれどセレストが知っているフィルは真面目な人物だ。きっと完全に無視などできず、扉の前にいるのではないかと予想した。


「わかりました。そちらがその気なら、開けてくれるまでここに居座りますからね。ずっと、ずーっと、ここにいますから」


 今日しか運命から逃れる機会はないのだ。

 セレストは申し訳ないと思いながらも、子供であることを最大限に活かした作戦を実行した。

 エントランスの扉に背を向けて、入り口の階段にちょこんと座った。

 フィルが出てくるまでの根比べだ。

 季節は秋で、日陰だと肌寒い。セレストは手を擦り合わせながらじっと待っていた。


「どうしたんだい、お嬢ちゃん……」


 しばらくすると、道行く老人男性に声をかけられた。


「お兄ちゃんに会いに来たんですが、入れてもらえなくて」


「お嬢ちゃんはヘーゼルダインさんの妹かなにかかな?」


 どうやら近所に住んでいる人物のようで、フィルのことを知っていそうだった。


「いいえ。……でも、大切なお話があってここまで来たんです……」


 嘘のない範囲で、セレストは傷つき泣き出しそうな少女を装った。きっとフィルにとってもいい提案だと信じていなければ、こんな演技はできない。

 老人はエントランス前の階段を上り、ドアノッカーを思いっきり打ち鳴らす。


「この愚か者! 小さな女の子の話も聞かないとはどいうことだ! 開けろ、馬鹿軍人」


 出てくるまでノックを続ける勢いだった。

 これにはフィルも根負けしたようで、やがてゆっくりと扉が開く。外に出てきたフィルはセレストをサッと抱き上げて、すぐに部屋の中へ入った。短い廊下を歩き、リビング兼ダイニングとなっている部屋のソファにポンッ、とセレストを降ろした。


「なんの嫌がらせだ!」


「お騒がせして申し訳ありません。……どうぞ私のことはセレストとお呼びください」


 フィルは相当不機嫌そうだった。ドスンと向かいのソファに腰を下ろし、腕を組む。

 部屋の奥からは、丸くてふわふわの小型犬が駆けてきて、ソファとテーブルの周囲を二周してからセレストの膝の上に飛び乗った。


(スー。……久しぶり……)


 犬の名前はスーという。フィルのペットで一度目の世界ではセレストとも親しかった。

 人見知りをする犬らしいが、セレストにはすぐに懐いてくれた。二度目の出会いでも、彼は全力で尻尾を振って顔をペロペロと舐め、好意を示してくれている。


(たしか、星獣使いのまとう気配が好きなんだっけ……?)


 フィルやセレストと親しかった星獣使いはもう一人いるのだが、スーは彼のことも気に入っているようだった。


「スーがこんなにたやすく懐くとはな。それで……、俺に話とはなんだろうか」


「はい……。私と、それからあなたに関する重要なお話です。……ヘーゼルダイン様は、まもなくご自身に将軍職と爵位が与えられることをご存じでしょうか?」


 これからはじまるのは、運命を左右する交渉だ。だからセレストは姿勢を正し、まっすぐにフィルを見つめた。


「いやいや、ちょっと待て。君はいったい何歳なんだ?」


「えっと……十歳です。少しだけませているかもしれませんが気にしないでください」


「とんでもなく気になるが……。まあ、話が進まないからひとまず置いておこう」


 さすがに十歳らしく振る舞おうとすると、権力者の思惑が絡む話などできそうもなかった。だから、演技なしで進めようとしたのだが、おかしいと思われたようだ。


「恐れ入ります」


「ええっと、昇進の件だったな。……爵位はともかく昇進がなければおかしいのはわかっている。ただ、国王陛下や貴族たちはそれを望んでいないだろう。明日は年に一度の褒賞授与式があるが、私には昇進の内定などなかったよ」


 フィルは子供相手だからと言ってうやむやにせず、淡々と質問に答えてくれた。


「いいえ、明日……国王陛下から直々に、私との縁談とエインズワース伯爵家の再興、それから将軍職への昇進という褒賞に関するお話があるはずです」


「本人は事前に通達するのが慣例だ。……そんなはずはない」


「ヘーゼルダイン様がご存じないことにも理由があります」


 それからセレストは、養子先のゴールディング侯爵についてと、断絶したエインズワース伯爵家についてかいつまんで説明をした。


 まずフィルとエインズワース伯爵家には縁があること。

 だから星獣使いであるにもかかわらず貴族ではないフィルに爵位を与えるのなら、断絶した伯爵家が適当であること。

 けれど、それらは建前であり、本当はわざと釣り合わないセレストをあてがい、フィルが自ら辞退するように仕向けたいというのが上の者たちの意図であること、などだ。


 内定があるはずの昇進について彼がなにも聞かされていない理由は、フィルに考える余裕を与えないためだとも付け加えた。


「縁談……、十歳の子供と!? たしかなのか? 根拠は? 軍の上層部や政に関わる者たちがそんな情報をもらすなんて世も末だな」


 フィルは顔をしかめる。王侯貴族の政略結婚ではありえることだが、やはり彼には受け入れがたいようだ。そして、どこから得た情報なのか不明だから信憑性を疑っている。

 セレストは彼が納得するような根拠を示さなければならない。


「この先に起こる出来事を見る術があると言ったら、ヘーゼルダイン様は信じてくださいますか?」


 たとえば間者のような者を使って得た情報だと言っても、このあとの話と矛盾してしまう。侯爵家から虐げられて抜け出したいと願っている子供が、そんな者を雇って、軍の機密事項にあたることまで調べる力を持っているというのはおかしい。

 セレスト自身も、一度目の世界で起きたことが現実ではなく夢だったのではないかと思うことがある。スピカの針で貫かれた傷が跡形もなく消えた今では、あの光景を揺るがない事実として他人に語るのは難しい。


 星神力を使った術で未来の光景を見たというのが、嘘とはならない範囲でもっともらしい説明だ。


「にわかには信じがたい。遠視の一種か……? いや、そんな術は政の中枢では使えないし、未来視というのは聞いたことがない」


 星獣ほどではないにしても、星神力を持っている人間は術が使える。

 炎を操ったり、水や氷を操ったりというものだ。フィルの語る「遠視」というのは、耳や目の代わりとなるものを術で作って飛ばすというものだ。


 たとえば鳥のかたちを模した身代わりを、相手に送り情報を得る。よい使い方だと伝令の役割で、悪い使い方だと盗聴ということになるだろう。

 ただし、城や軍の施設内では決められた手順を踏まないと遠視は使えない。敵から送られてきたものは弾かれ、送り主を探知する術が建物全体にかけられているからだ。


「未来視、というのが一番近いです。……明日、この話が本当だったと知ってももう手遅れなのです」


「未発表の術――それを俺に無条件でそれを信じろと?」


 慎重なフィルが簡単に信じないのは当然だ。

 セレストはここに来るまでの時間で、フィルに信用してもらえる方法を考えていた。

 時が戻ったせいで、フィルはセレストのことを覚えておらず、信頼関係は成り立っていない。ならばどうすればいいか――。


「たとえば、誰も知らないあなたの秘密を私が知っていたとしたら、どうでしょうか?」


 未来のことを言い当てて信じてもらう時間はない。だとしたら、セレストが知るはずのない情報を知っているという証明をするほかなかった。

 そうすれば、少なくともセレストには特別な能力があり、褒賞に伴いフィルの周囲でよからぬ思惑が渦巻いているという情報に信憑性が増す。


「俺の秘密だと? ……たしかに、もしそれを君が言い当てたならば、少なくとも君にはなんらかの力があると信じられるだろう」


「では、あなたの身体的な特徴で誰も知らないはずのことを」


「身体的な、か……面白い。言ってみるといい」


 フィルが片目を細めた。鋭く突き刺すような視線だった。

 過去、二人は同じ星獣使いで師弟のような関係だったから、好意的でない態度を取られたのははじめてだ。年上の軍人ににらまれると身がすくむが、セレストは引き下がるわけにはいかなかった。


「……その、お……お……」


 セレストも実際には目にしていないのだが、フィルと親しい星獣使いから聞いたことがある彼の特徴を口にしようとした。


「お……?」





「お尻にハート型の痣があると……」


 言った瞬間、ボッと頬が熱くなりセレストは俯いた。

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