1-4

「お尻にハート型の痣があると……」


 言った瞬間、ボッと頬が熱くなりセレストは俯いた。


「な! そっちか!?」


「そっち、とは? ……間違っていましたか?」


 この秘密を知ったのはセレストが十六歳の頃だった。

 フィルは昔から他人に裸を見られることを極端に嫌い、公衆浴場などを絶対に利用しないという。

 いたずら好きの星獣使いがたまたま目撃してしまい、それをセレストにも教えてくれた。

 そのときフィルが「家族以外でこの秘密を知った者は一人として生きていない」と言っていた。

 結局、秘密を知ってしまった星獣使いもセレストも、フィルに口封じをされることなどなかった。それでも彼の動揺ぶりから本当にひた隠しにしていたのだと伝わった。


「いや、合っている。……生家の祖父しか知らないはずだ」


「それから動物が大好きで、星獣レグルスを〝レグレグ〟、ペットのスーを〝スー君〟と呼んでいらっしゃるはずです。あと普段は平気なふりをしていらっしゃいますが、タマネギが大嫌いでしょう? ほかに私が知っているのは――」


「もういい! わかった、十分だ」


 フィルが言葉を遮った。

 知らないはずと言いながらも、セレストがわかるのは一度目の世界で彼や周囲の人間から聞いたことだけだ。絶対に誰にも知られていないとは言い切れない秘密ばかりだったため、思いつく限りのことを言ってみようとしたのだ。


「信じていただけましたか?」


「ああ、完全にとまでは言い難いが、とりあえず真面目に考える気にはなった」


「よかった。私も、私の中にある記憶が妄想ではないかと少し不安だったんです」


 この段階では面識のないはずのフィルのことをセレストは知っている。

 その事実は、セレストにとってもあの破滅に向かった一度目の人生が夢や妄想ではなかったという根拠になる。

 よかった、と言いながら不安は増した。あれが妄想ではないのなら、なにもしなければ絶望的な未来が待っていると再認識させられたからだ。


「……未来視か。君の見た未来では、どういう状況で俺の秘密が暴かれるんだ?」


「痣は同僚の方から聞きました。〝レグレグ〟は寝言で、タマネギは世間話です。ね? スー君」


「ワン!」


 レグルスは姿を見せないため、セレストはスーに話しかける。元気よく返事をして〝スー君〟という呼び名が正しいと同意をしてくれた。


「俺と君は、その未来視とやらではタマネギの話をするくらい親しかったということか?」


「はい。タマネギの話をするくらい親しくなりました。……私はその未来で星獣スピカの主人になるんです」


「星獣使いか……。ちなみに、その未来視とやらは何度もできる術なんだろうか?」


「……はっきりとはわかりませんが、二度目がある可能性は低いです」


 もしあったとしたら、再び同じ状況――つまり死んだときではないのだろうか。それではできないのと一緒だ。


 それからセレストは一度目の世界で起こった出来事を、可能な範囲でフィルに伝えた。

 縁談を断ると、当然爵位と将軍職も辞退と見なされること。そのせいで国王の不興を買い、将軍の地位に就くのが数年遅れること。

 二人とも命の危険を伴う任務ばかり与えられること。


 そして、王太子ジョザイアとミュリエルに星獣スピカを奪われてしまうこと。

 この部分は言葉にしただけで不敬罪に問われ、告発されてもおかしくないためセレストはためらった。けれど、今後敵となる者が誰なのか教えずに協力をお願いするのは、不誠実だった。

 フィルは時々相づちを打ち顔をしかめたり、驚いたりしながらも最後まで話を聞いてくれた。


 セレストの目的は、星獣スピカと一緒に穏やかに暮らしたいというただ一つだ。


「星獣を不当に操る……? それが本当なら許しがたい」


 フィルは星獣や動物を愛する人だった。だから、セレストは彼の優しさに期待した。


「ただ……君は一つ、大きな勘違いをしている」


 最後まで話を聞き終えたところでフィルがそう指摘した。


「勘違い、ですか?」


 なぜそんなふうに言うのかわからないセレストは首を傾げる。


「君は、明日言い渡されるはずの縁談を受け入れれば、この先俺が苦労をせずに生きられると思うか?」


 問われてはじめて、根本的な認識が間違っているのだと知った。


 一度目の世界での彼はたしかに、二人が結婚していた場合にあった未来を考えていた。

 セレストも、そんな選択の先になにがあったのか知りたいとあのとき思ったのだ。

 だから最悪の結末を迎えてすぐ、フィルを頼ってしまった。

 けれど、一度目の世界で不幸になったのはセレストだけだった。フィルは将軍だったし、殺されてもいない。


 セレストは彼に幸福を約束してあげられない。


「……私の知る未来では、あなたは苦労をされながらも将軍になれました。少なくとも三十歳まではお元気そうでした。……ご、ごめんなさい。勝手なお願いでした」


 この選択は、もしかしたら彼を不幸にしてしまうかもしれない。セレストは指摘されてようやくそのことに気づいた。


「はっきり言って、君の提案は平等な取り引きとは言い難い。……そういうとき、どうすればいいのかわかるか?」


 セレストは、もうこの場にはいたくなかった。

 これから敵対するのは、ゴールディング侯爵と王族だ。これはかつて親しくしていて、恩のある人に願うべき内容ではなかった。


「巻き込もうとして、申し訳――」


 スーを膝から降ろして、セレストは立ち上がる。そのまま立ち去ろうとしたところで、フィルに腕を掴まれた。


「違う!」


「……?」


 テーブルの向こうから手を伸ばし、セレストの手首が掴まれている。大きくて、ゴツゴツしている温かい手だった。

 フィルはもう一度座るように促した。


「助けてほしい、守ってほしいと素直に言いなさい。……子供なら、許されるはずだ」


 フィルの声は落ち着いていて、聞いているだけで安心できる。

 本当は自分の身になにが起きたのかも正確にはわからず、ただ恐ろしくて、助けてくれる誰かを求めていた。

 それを自覚した瞬間、ポロポロと涙がこぼれた。


「私……っ、私は……! あの家から抜け出したい。穏やかで、幸せな未来がほしい。……そのためにあなたの力が必要です。お願いです、助けてください……ヘーゼルダイン様」


 子供だから許されると彼は言ってくれたが、セレストの心は十八歳だ。身の危険が伴うことに誰かを巻き込むのは後悔が伴った。


「わかった。もし明日、君の言うとおりの出来事が起こった場合、俺は君を信じ縁談を受け入れよう」


「いいんですか!? 本当に……?」


「……じつは星獣がそうしろと言っている気がするんだ。だから、君を放っておくことはできそうもない」


 フィルは星獣レグルスとの契約の証が宿る左目を軽く押さえた。

 星獣はこの世界とは違う次元にいて、主人に呼び出されるまでそこで過ごしている。主人が星獣を見ようとすると、この世界で実体化するのだ。


「星獣が……?」


「君は星獣に信頼されているみたいだ」


 セレストは、自分だけが一人、時間が巻き戻ったことを知っているのだと感じていたが、それは間違いだったのかもしれない。別の次元で暮らす星獣もなにかを感じていて、だから主人に訴えてくれているのだろうか。そうだとしたら、こんなに心強いことはない。


「ありがとうございます。……だったらあなたには、私の知識も、特別な力も、爵位も全部あげます。……ですが、ごめんなさい」


「なぜ謝るんだ?」


「その代わりに、幼女趣味ロリコン認定されてしまうのは我慢してくださいね」


「……そこが問題だ」


 フィルが頭を抱え大きなため息をついた。


「本当にごめんなさいっ!」


「……まあいい。まずは明日になってみないとわからない。よろしく頼む、暫定婚約者殿」


 フィルが手を差し伸べて握手を求めた。セレストは涙を拭ってから両手で彼の大きな手を握った。

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