3-2

『ねぇねぇ、フィルってば、なにしているの? ひとり言ブツブツ……気持ち悪ーい! あぁ……もしかして遠見の術かしら?』


 急に陽気な声が響いた。口調だけでドウェインだとわかる。


『わかっているのなら邪魔するな』


 遠見の術には色々と種類がある。

 まずは飛ばした鳥が拾った景色と音を使用者が感じ取るというのが大前提だ。

 その景色と音を使用者だけが見たり聞いたりできるのか、周囲の者にもわかるようにするのかで術の複雑さが変わってくる。

 フィルは今回、どうやら本人だけが感じ取れる術を選択していたようだ。

 その場合、周囲にいる者たちにはセレストの声が届かないため、フィルはひとり言をつぶやいて楽しそうにしている人物に見えてしまう。


『相手はセレちゃん? セレちゃんよね? フィルがむっつり笑顔になる相手ってセレちゃんだけだもの!』


『うるさい、出ていけ』


 ガタン、ガタン、と雑音が響く。なんとなくドウェインがじゃれついて、フィルが拒絶している様子がセレストの頭の中に浮かんだ。

 相変わらずの悪友っぷりだった。


『もしもし、セレちゃん? 元気!? ……私も今までネッサと愛ある遠見の術でお話をしていたのだけれど……』


「愛ある遠見の術……?」


 遠見の術に込められた愛とはいったいどんなものだろうか。

 さきほどのやり取りからしてドウェインにはセレストの声は届かないはずだ。だから彼はセレストの疑問には答えず、話が続いた。


『……それでね? 新婚早々、夫が職務で都を離れたのがとーっても寂しいみたい。あなたの休日に合わせて遊びに行きたい様子だったからよろしくね?』


「フィル様。ドウェイン様に、わかりましたと伝えていただけますか? こちらからお手紙を出します!」


『あぁ、わかった。……ドウェイン。セレストのほうから手紙を出すと言っている』


『ありがとう! ネッサに会ったら様子を聞かせてね? ネッサったら絶対に私に弱音を吐かないじゃない? 夫が恋しくて泣いていた……みたいな報告がほしいわ』


 セレストはその発言に違和感を覚えた。


「え……? ヴェネッサさんは寂しがっていたんでしょうか? 弱音を吐かないのでしょうか……なんだか矛盾しているような……?」


 ドウェインに聞こえていないのをいいことに、セレストはツッコミを入れてしまった。

 弱音を吐かないタイプなら愛ある遠見で寂しがっていたというのはおかしい。


『寂しいみたい・・・だから、矛盾していない。……実際には寂しいとは言っていないが、ドウェインがそう思いたい、というだけのことだろう』


 フィルが小声で補足してくれた。


 なんとなくの予想ではあるのだが、ヴェネッサと会うと、楽しくおしゃべりをして一日が終わる予感しかしなかった。

 けれどドウェインは、ヴェネッサが彼に会いたがっているという報告がほしいらしい。

 寂しそうではありませんでしたという話は求めていないだろうし、ドウェインに会いたくて泣いていたなどと言ったら、そのうち嘘がバレそうだ。


「ヴェネッサさんの様子を……お伝えできればと思います」


 結局、無難な返事でごまかすセレストだった。

 もちろん今の言葉はドウェインには届かない。


『ドウェイン。……新婚だからって妄想で人を困らせるな、とセレストが言っている』


『セレちゃんがそんなこと言うわけないでしょう!?』


 それから二人の声が入り混じり、会話がよく聞き取れなくなった。


(本当に二人は仲よしなのね……)


 一応言い争いをしているのはわかったが、本気ではないのも察せられた。

 スピカとスーもきょとんとして、オオルリから聞こえてくる諍いの声をしばらく聞いていた。


『用が済んだら出て行ってくれないか?』


『はいはーい。私一応、書類を届けに来たのよ。ここに置いておくわ』


 ガサゴソと物音がした。

 しばらくするとドウェインの声は聞こえなくなる。


『セレスト』


「はい」


『イクセタ領については、俺とドウェインに任せておけ。絶対に、自分のせいで……なんて思うなよ? 俺たちはそのときできる最善を選んでいく。ただそれだけだ』


 常にこの世界をやり直した責任を忘れたことのないセレストだ。

 完璧ではないのかもしれないが、やり直しなどしなければよかったとは絶対に思ってはいけない。

 一度目の世界の記憶を持っているフィルも、責任の半分を背負っている。

 やり直しを否定すると、スピカの献身とこれまでのフィルの努力を否定することに繋がる。


「はい、フィル様」


 帰ったら、ああしたい、こうしたい、こうしてほしい。――セレストの中でいくつもフィルにしてもらいたいこと、セレスト自身がしたいこと、皆でやりたいことが浮かぶ。

 今の二人は家族で、フィルはセレストのちょっとしたお願いならすぐに叶えてくれる人だ。


 けれど、一つも言葉にできなかった。


 一度目の世界で、最後にした約束を思い出してしまうからだ。

 あの頃は夫婦ではなかったし、セレストは彼への気持ちを自覚していなかった。

 それなのに、自分の死を悟った瞬間に思い浮かんだのはフィルと星獣たちと過ごす穏やかなひとときだった。

 同じような約束をしたら、同じ結果になってしまうような気がして怖かった。


『寝坊はいいが、脚や腹は出すな……風邪を引く』


「お腹なんて出していません!」


『そうか?』


 彼の言葉に少々腹を立てながらも、フィルも同じ気持ちでいるのだとセレストは感じた。

 約束ができないから、言いたいことが言えないから、結局いつもの過保護な忠告になったのだろう。


『じゃあ、そろそろ……』


 もうすぐ遠見の術が解かれてしまう。

 セレストは焦燥感に駆られた。


「フィル様、あの……えっと……」


 約束はしたくない。

 けれど、フィルとこんなに長い期間離れるのは不安で仕方がなかった。

 少しでもその不安を取り除ける言葉をセレストは探した。


『どうした?』


「大好きですよ!」


『……』


「私、フィル様が大好きです」


 フィルがいつまで経っても無言だったから、セレストはもう一度大きな声で堂々と気持ちを伝えた。

 しばらくして聞こえてきたのは大きなため息だった。


『あのな! ……こっちが言えないとわかっていて不意打ちで告白なんてしてくるな』


 生真面目な彼は、少なくともセレストが十八歳になるまでは保護者であり続けるつもりらしい。


「フフッ」


『なにがおかしいんだか』


 声だけで、フィルが動揺し、困り果てているのが十分に伝わった。

 それがなんだか嬉しくて、セレストはつい笑ってしまっただけだ。


「フィル様の自制に、私までつき合う必要なんてないって気がつきました!」


『そんな悪い子に育てた覚えはない! ……それではそろそろ術を解く。いい子にしていろよ』


「はい、フィル様。お気をつけて」


 彼を困らせていることがわかっているのに、セレストはこの上なく気分がよかった。

 本当に悪い子になってしまったのだと自覚はあるのに、やめられそうにない。


 セレストはめずらしく、悪い子のままでもいいと思っていた。

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