3-3

「……君は正気アホなのか?」


 フィルの目が据わっていた。料理で術を使用したことを咎めているのだ。


「だって! 料理ははじめてだったんです。私、とても不器用で手を動かすより術のほうがずっと正確なんです。術の鍛錬にもなって一石二鳥かなって」


 セレストも、そんな術の使い方をしている者はいないとわかっていたが、ほかに方法がなかったのだ。だから必死に言い訳をする。


「今はいいが、俺が一緒のときは包丁を使う練習をしような? ……もし君の予想どおり、君がスピカの主人になったとしたら、ときには星神力を温存しておかなければならない場合もあるから」


「はい」


 彼の言うことはもっともだ。家事や料理で星神力を使うと、いざというときに本気で戦えない。星獣使いになって、国のために働くようになったら無駄に術を使っては身を滅ぼす。真面目で優しい人だからこその忠告だった。


「だが、感心した。星神力の高さも精度もセレストは一流だ」


 そう言って、フィルは今日もセレストの頭を撫でてくれた。また子供扱いだ。

 小さくカットしてあるチキンはすぐに焼き上がる。グラスやカトラリー、パンを用意して夕食がはじまった。


「……うまいな。包丁を使ったことがない者が作った料理とは思えない。正確にカットされた野菜のおかげで舌触りがいいし、塩加減も完璧だ」


 術を使った料理は意外にも好評だった。

 野菜のかたちを揃えると、食感がよくなりおいしく感じられるから、あの試行錯誤は無駄ではなかったのだ。


「私、もっと色々なことを頑張りたいです。早くフィル様のお役に立てるようにお料理とかお掃除とか、それから術ももっと学んで誰にも負けないようにしたいんです」


 セレストは自分で思っていたよりも不器用な人間だったらしい。けれど、それなりに真面目だから勝手なアレンジをしなかったことが功を奏した。


「だから! ……あんまり気負うなと何度も言っているんだが」


 フィルは半分怒って、半分笑っていた。


 食事が終わると二人で食器を片づけた。セレストはこの屋敷に来てからフィルとキッチンで話をする機会が多いことに気がついた。

 スポンジを使って皿を綺麗にするのがフィルの仕事で、セレストは水気を布巾で拭き取るのが仕事だ。


 破滅を回避するまでの仮初めであったとしても、家族と過ごす時間というのがセレストには新鮮だった。


「食事のあとは、しばらく休息を取るのが日課だ。セレストもやるか?」


 食器の片付けが終わると、そんな提案があった。


「それなら紅茶を用意してきます」


「いや、そうじゃない。……獣をもふもふすることで一日の疲れを癒やすんだ。レグルスとスーどっちがいい? 特別に選ばせてやろう」


 セレストはてっきり食後のティータイムだと思ったのだが、違うようだ。

 一瞬だけフィルの左目に光が宿り、視線の先にレグルスが現れた。


「じゃ、……スーとは昼間いっぱい一緒にいたので、レグルスでお願いします」


「そうだな。俺も昼休みにレグルスの毛繕いをしたからちょうどいい」


 フィルはソファに横たわる。するとスーが彼の上に飛び乗って胸の上で伏せの姿勢を取った。


「はぁ……。癒やされる」


 うっとりとしたため息をついてから、フィルはスーを撫ではじめた。


(こういうこと、毎日していたんですね……フィル様……)


 訓練や遠征の休憩中に、木陰などでフィルや星獣たちと過ごした経験が何度かあった。

 あのおぞましい事件が起こる直前、フィルとは星獣たちが喜びそうな場所へ一緒に行く約束もしていた。

 星獣たちとのんびり過ごすのは星獣使いにとっては当然のことだが、日課にするまでの深い愛情を注いでいるのはフィルだけかもしれない。

 セレストの星獣スピカはハリネズミなので撫でにくい。安全な場所であればセレストにはお腹をみせてくれるし、そこに触れるとだらんとくつろいで心地よさそうにしていたのだが。


「レグルス……よろしくね?」


 レグルスはセレストが近づくと絨毯の上にごろんと横になり腹を見せた。大型のライオンだが、とても賢い子だし、一度目の世界で慣れている。セレストはためらわず彼の顎の下に手を伸ばした。


「グルル……」


 レグルスは目を細め、うっとりとしている。もっと撫でろとでも言いたげに顎を擦りつけてくるのが可愛らしい。


「本当に君は星獣に好かれているんだな。……いいか、セレスト。レグルスは頼られるのが好きなんだ。枕にしてもいいぞ」


 勧められたらそうしなければいけない雰囲気だった。

 セレストははしたないかもしれないと気にしながらも絨毯の上に膝をついて、レグルスに寄り添った。

 星獣は星神力を糧に生きる存在だ。セレストからもレグルスからも微量の星神力が漏れ出ていて、互いのまとう力を感じるのが心地よい。

 こんなふうにレグルスを枕にして昼寝をした経験は一度目の世界でもあった。そのときは当然スピカも一緒だった。スピカはお腹のあたりをフィルに撫でてもらっていて、ご機嫌だった。


(スピカ……)


 幸せを感じるほど、セレストはスピカに会いたくなった。

 レグルスの態度から推測して、星獣もセレストと同じように一度目の世界の記憶を持ったままという可能性があった。


 出会った頃のスピカにまた会えるのか。

 もし一度目の世界の影響を受けていて、死の直前の正気を失ったままの状態だったらどうしようか。それでもスピカは、再びセレストを選んでくれるのか。


 スピカを恐ろしいとは思わないが、会いたいのに、会うのが怖いとは思っていた。


 はっきりしているのは、現時点ではセレストもミュリエルも星獣使いにはなっていないということだけだ。


 レグルスの尻尾がセレストの体に当たる。

 トントン、と子供を寝かしつけるときの動作だ。


「レグルス……優しいね……」


 セレストの体力は十歳だった。たくさん動けるのに、横になるとすぐに眠くなってしまう。今日は久々に本気で術を使って疲れていたのだ。

 星獣の気配と尻尾によるトントンの心地よさには抗えなかった。


(ちょっとだけ……。きっとフィル様が起こしてくれるわ……)


 まだ入浴をしていないし、着替えもしていない。けれどセレストは、ほんの少しだけ目を閉じて、このぬくもりを感じていたかった。





「ワンッ! ワンッ!」


 耳元でスーの鳴き声がした。すぐに頬のあたりに吐息を感じ、妙なこそばゆさで夢が終わった。セレストは柔らかいベッドの上で身じろぎをした。


「……あぁ、起こしてくれたんだ……ありがとう、スー」


 パンとソーセージの香りがした。窓の外では小鳥のさえずりも聞こえる。今朝は昨日よりもさらに気温が低いようだ。毛布の中があまりに心地よいものだから、セレストは二度寝の邪魔をするスーを捕まえて、毛布の中に引きずり込んだ。


「もふもふ……柔らかいよ、スー。……って、朝!?」


 急に覚醒して、セレストは飛び起きた。昨晩、夕食のあとレグルスを枕にしてうたた寝をしたところまでは覚えていた。

 きっとそのまま眠ってしまったのだ。


(フィル様が運んでくれたの?)


 体力が十歳でも心は十八歳である。

 あまりの恥ずかしさにセレストは身もだえた。けれど落ち込んではいられない。二日連続で、朝食を作るという仕事ができずにいるからだ。

 今日もまた急いで着替えをして、髪を簡単に結ってからキッチンへ向かった。


「おはようございます! フィル様」


「ああ、おはようセレスト」


 ソーセージを皿に盛りつけていたフィルは、一瞬だけセレストのほうを見て挨拶をしてくれた。


「またしても寝坊をしてしまい、申し訳ありませんでした」


「いや、寝る子は育つというから。ギリギリまで眠っていてもよかったくらいだ」


 セレストは調理台周辺を見て、まだ終わっていない作業を探す。

 カトラリーやカップが出ていなかったから、それらを戸棚から取り出し、ダイニングへ運んだ。


「明日こそ、明日こそ絶対に……!」


 けれど決意は虚しく、セレストはその後も三日に一度は香ばしいパンの香りで目を覚ますのだった。

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