3-4
セレストがフィルと暮らすようになってから一週間。セレストは一人で術の鍛錬を行ったり、星獣に関する本を読んだりして過ごしていたが、行き詰まっていた。
今、なにをすればいいのかが見えない状況だ。
この日は伯爵邸に新たな住人が加わる日だった。
友人の家を訪ねるだけだというのにやたらと煌びやかな衣装を身にまとうドウェイン。
その後ろにはメイド服と燕尾服の男女が付き従っていた。
セレストとフィルはエントランスホールで彼らを出迎えた。
「紹介するわ。メイドのアンナと、執事のモーリスよ」
アンナという女性は、三十歳くらいで美しい黒髪をきっちりと結い上げた色気のある人だった。モーリスのほうは灰色の髪をしたやや神経質そうな冷たい印象の紳士だ。年齢は五十歳前後だろう。
フィルがドウェインの腕を掴み、使用人たちから距離を取る。そして小声でささやいた。
「……おい、ドウェイン。俺の親くらいの年齢の使用人を紹介してほしいと言っただろう?」
フィルは使用人のいる生活に慣れていないのだろう。若い女性との同居というのが考えられないから、親くらいの年齢を指定したらしい。
「大丈夫、大丈夫! アンナは若く見えるけれど今年ご――」
「お坊ちゃま。……許可なく女性の年齢を明かすのは、ほめられた行為ではありません」
アンナの声はよく通る。大きな声ではないというのに妙な迫力があり、ドウェインがビクリと肩を揺らした。
「……以後、気をつけるわ」
ほほえむアンナは美しい。とても「ご……」歳を超えているとは思えないが、フィルの希望だった「俺の親世代」という条件に当てはまっている。セレストは、将来こんな女性になりたいとぼんやり考えていた。
「アンナは私の乳母で、四人の息子を立派に育てた女性なの。モーリスはその夫だから、住み込みで暮らすにはちょうどいいでしょう? ……セレちゃんは子供だし、フィルは親代わりにはなれないもん! 母親代わりになってくれる誰かが必要だわ」
「おまえが色々考えてくれているのはよくわかった。……とりあえず『もん』だけやめてくれないか?」
「いいじゃない、べつに誰にも迷惑かけてないもん!」
再び同じ語尾にしたのは、ドウェインの嫌がらせだ。
フィルが苛立ったのが、セレストにもわかった。
「感謝する気が失せるんだが」
「もう、恥ずかしがり屋さんなんだから」
普段はわりと真面目で素直なフィルだが、ドウェインへの態度だけは少し意地悪だ。ただ、二人の仲のよさから来るものだと、聞いている者にも伝わる。本音を言い合える友人がいるということが、セレストには少しだけうらやましかった。
二人の言い合いに気を取られ、まだ新しい住人に挨拶をしていなかった。セレストはアンナとモーリスに向き直る。
「アンナさん、モーリスさん。セレスト・エインズワースです。これからどうぞよろしくお願いいたします」
長い時間、一緒に過ごすことになる相手だから、セレストは彼らとの関係を大切にしたかった。養子先の侯爵家にはたくさんの使用人も、義理の家族もいたが、いつも私室で一人ぼっちだった。もうあんなふうにはなりたくないと思ったのだ。
「これから精一杯、お世話をさせていただきたいと存じます。……奥様とお呼びするには幼くていらっしゃいますから、セレスト様とお呼びしてよろしいでしょうか?」
「はい。そのほうが嬉しいです」
一応書類上では夫婦となっているものの、セレストにとってフィルは兄であり保護者というほうが合っている。だから奥様などと呼ばれたら、居心地が悪い。
「……ほら、あなたも挨拶してください」
アンナに促され、冷たい印象の執事が口を開く。
「旦那様、セレスト様。この度、エインズワース伯爵家の執事の役をお引き受けいたしましたモーリスです。……特技は剣術、弓術、ありとあらゆる暗器の扱いと情報収集、
物騒な言葉の羅列にセレストとフィルは同時に目を見開いた。
「ちょ……ちょっとまて! 今の執事の自己紹介じゃなかったぞ!? 諜報員か暗殺者じゃないか!」
「現在は、執事でございます」
それでは以前はなんだったのかと、心の中でツッコミを入れたのはセレストだけではないはずだ。
(それにしても、戦いの専門家だった人なのね。……剣術、私にもできるかしら?)
セレストは一度目の世界とは違う自分で二度目の十八歳を迎えたかった。
同じ力しか持っていなければ同じ結末を迎えるような気がしていた。前より強くなれば、彼女自身も、巻き込んでしまったフィルも、そしてスピカも守れる可能性が高まるかもしれない。
「いいでしょ? セレちゃんの護衛もしてくれるし。ちなみに領地の管理は彼の弟に任せるつもりでもうエインズワース伯爵領に行かせたわ。こちらとの連携もばっちりよ」
ドウェインが片目をつむってみせた。そういう仕草が似合うのはセレストの知り合いでは彼だけだ。
「ドウェイン様、たくさん考えてくださってありがとうございます」
「どういたしまして。フィルもセレちゃんを見習って素直に感謝してちょうだい。……来週は北のフォルシー山中での演習があって、行動計画作成やらなんやらで忙しいの。有能で美しい私じゃなかったら他家への使用人斡旋まで手が回らないわよ」
軍の職務が忙しいのにエインズワース伯爵家のために頑張った。だからもっと、誉め称えろと言うのだ。
「有能はともかく、美しさは関係ないだろうに」
「まぁいいじゃない。雇用契約関係の手続きをさっさとしてくれる? 領地についても色々と説明しなければいけないことがあるから」
「わかった。じゃあ書斎に移動しよう」
「ええ。……そうだ、セレちゃん。しばらくミモザを預かってくれるかしら? なんだかあなたのことはお気に入りみたいなのよ」
ドウェインがすぐにミモザを実体化させた。緑色の葉がドレスのようで可愛らしい癒やしの力を持つ星獣は、ぷかぷかと宙を漂いセレストの頭に乗った。
「喜んで。……フフッ、可愛い」
星獣にはそれぞれ意思があるのだが、基本的に主人と親しい者に対しては好意的だ。そして星獣使いが他人に相棒を預けるのはかなり特別な行為だ。信頼されているという証だった。
「じゃあ、レグルスも一緒に」
フィルも自分の星獣を実体化させる。
大人たちが書斎へ向かったあと、セレストは星獣たちとお気に入りの庭で過ごすことにした。スーも加わって一人と三匹になった。
まだ子供のセレストは、大人たちの相談事には混ぜてもらえない。少しさびしかったが、星獣たちのお世話係に任命されたのでよしとする。
カエデの木の下に敷物を敷いて座ると、レグルスがすぐそばに横たわる。また枕にしていいと主張しているみたいだった。
「ここは天国……? 眠らないように注意しなきゃ」
以前レグルスに寄りかかって横になったとき、あまりの心地よさに眠ってしまい、フィルにベッドまで運ばれてしまうという失態を侵したことがある。今日は絶対に目を閉じないようにしようとセレストは自分に誓いを立てた。
スーはセレストの膝の上、ミモザはセレストの目の前に浮いている。
「あれ? ミモザ……どうしたの? 調子が悪いの?」
ミモザは声を発しない星獣だからほかの子よりも感情が読み取りにくい。けれどなんだか元気がない気がしたのだ。セレストの言葉に反応し、ミモザは体をわずかに揺らす。
けれどそれが肯定なのか否定なのか、伝わらなくてもどかしい。
「ソワソワしている? 困っている?」
ミモザが「困っている」という言葉に強く反応しているような気がした。
(言葉が通じないから、なにを言っているのかわからないよ。ドウェイン様に相談してみよう)
星獣と特別な繋がりがある主人なら、もっとミモザの言いたいことがわかるはず。セレストはとりあえず大人たちの相談事が終わるのを待つことにしたのだが――。
「……あの、失礼ですが、こちらはエインズワース将軍閣下のお屋敷でしょうか?」
突然、正門のほうから声がかけられた。そこには軍の関係者と思われる女性が立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます