2-1 炎の谷
セレストは上官であるクロフトと一緒にノディスィア城に来ていた。
毎年行われるこの遠征では、慣例で王族から直々に命令書が手渡されることになっているからだ。
訓練を兼ねているとはいえ、炎の谷への討伐遠征への参加人数は百名を超えていて、規模としてはかなりのものになる。
しかも星神力を用いた術が使える者を中心に編成された特別な部隊が参加する。
普段の任務ならば、軍の司令部で上官にあたる者から命令書を受け取るのだが、炎の谷への討伐遠征は国王の勅命という体裁を取っているため、このような儀式が必要になる。
仰々しく送り出すことによって、術が使える貴族の自尊心を満足させておこうという王家の意図もあるらしい。
今回の任務の責任者のクロフト、そしてセレストを含めた四人の小隊長が玉座の前に跪く。命令書を読み上げているのは王太子ジョザイアだった。
ここのところ、国王は体調を崩しがちでジョザイアが公務を行うことが増えている。
王妃も以前から政には無関心だ。
国王の病は「怠惰」ではないか、というのがもっぱらの噂だった。
これは一度目の世界でも同じだった。星獣使いであり、人望も厚いジョザイアに政務を丸投げしているというのが、大方の予想だ。
(王太子殿下……)
ここ数年で、ジョザイアはどこにも隙のない立派な青年になっていた。
一見、親しみやすい印象でありながら、王族としての威厳もある。国王とは違い、自分に利益をもたらすものを重用するのではなく、国全体の繁栄やバランスを考えて政務を行う人だという。
命令書を読み上げる声も堂々としていて、風格はすでに一国の王だった。
だからこそセレストは、彼が恐ろしかった。あの真っ暗な牢獄の中でセレストを見下ろし笑っていた彼と今の姿がぴったりと重なるからだ。
「――将来起こるはずの魔獣被害を未然に防ぐためのこの遠征に、誇りを持って望むべし! マーティー・クロフト大尉。前へ」
「はっ!」
クロフトは立ち上がり、ジョザイアの前まで進む。
「そなたをこの度の遠征の責任者に任命する」
「勅命、慎んで遂行いたします」
クロフトはきびきびとした無駄のない動きで命令書を受け取ると、完璧な敬礼をしてから元いた場所に戻った。
たったこれだけの儀式だが、なんとなく気合いが入るというのはセレストにも理解できた。
儀式が終わり、セレストはクロフトに続いて退室した。
このあと文官との打ち合わせの予定があるクロフトは別行動となる。セレストはほかの小隊長たちと一緒に軍司令部へ戻ろうとしたのだが……。
「おい! エインズワース中尉」
突然、背後から肩を掴まれた。
「どうなさいましたか? バートランド中尉」
振り向くと、赤い髪の青年が不機嫌な表情を浮かべていた。
イアン・バートランドはバートランド侯爵家の三男で年齢は二十二歳。今回の遠征に参加する小隊長の中では、セレストと一番歳が近い。
将来を期待されている術者ではあるのだが、自分が名家の出身であるというプライドが高く、セレストとはそりが合わない。
「あまりでしゃばるなよ?」
「でしゃば、る……?」
バートランドは皮肉を込めて笑う。
「星獣スピカに力を底上げしてもらっているだけのくせに、それが自分の力だとはき違えるなと言っているんだ!」
「え……っと」
「なんだ? 反論もできないのか?」
ただ驚いて、彼の意図を理解するのに時間がかかっただけだ。
セレストはもう、理不尽に耐えるだけの子供ではなかった。
相手が誰であれ、立ち向かう心を持っている。
「素質のある者が星獣に選ばれるのですか? それともたまたま星獣に選ばれた者に術者としての素質までもが与えられるのですか?」
もちろん、前者であるとセレストは信じている。
ただ、ほとんどの者が十一歳で星の間での儀式を行うため、他者との差がわかりにくい。
そして星獣の主人になると、星神力とはなにかという真理のようなものを体と心の両方で知っていくような不思議な感覚を味わうことは確かにある。
スピカの影響を受けて、術者としての才能が開花するという可能性はあるのかもしれない。
元々その真理に近づく才能を持った者が星獣使いになれるのか、それとも星獣使いになった者がその心理に触れるのかは本人ですらわからない。
けれど、セレストには星獣に選ばれたというプライドがある。
また星獣使い全員に共通する部分ではあるが、星獣使いに選ばれたら将来に備え、まだ子供のうちから戦闘技術を身につけるために厳しい訓練を課される。指導役だったフィルは過保護だが、訓練では容赦のない部分もあった。
一般的な十代前半の貴族の娘よりも、様々な面で努力をしてきたという自信があるからこそ、自分自身を卑下できない。
「どう考えたってたまたまだろう!? 中尉は落ちこぼれだったと貴族なら誰でも知っているぞ」
彼はきっと、ゴールディング侯爵家と繋がりがあるのだろう。だからそんな偏った見方をするのだ。
セレストは困ってしまった。事実ではないことは絶対に認めないのが今のセレストのプライドだ。けれど、彼が一方的にそう思っているという認識そのものを改めてほしいとまでは思っていない。
思うのは自由で、嫌いなら関わらないでほしいだけだった。
「へぇ……そうか、私やシュリンガム公爵子息もたまたまなんだ……」
突然、背後に人の気配を感じた。振り向くとそこにはジョザイアが立っていた。
「王太子殿下! そ……それは……」
バートランドの顔色が一気に悪くなる。
「バートランド侯爵子息だったね? 君」
「さ、さようでございます、殿下」
「……君は知らないかもしれないが、私の記憶が正しければエインズワース伯爵令嬢は小さな頃から高い星神力の持ち主だと言われていたはずだよ」
エインズワース伯爵令嬢――それは先代エインズワース伯爵が存命中のセレストの身分だった。
「ですが、ゴールディング侯爵家のミュリエル嬢に比べたら……」
「セレスト・ゴールディングと名乗っていた二年間だけが不自然だと私は思うけれど? セレスト殿は十歳のときに闇狼四匹を倒している。もちろん星獣使いになる前だ」
ジョザイアがピシャリと言い放つ。
ただ、セレストは素直に喜べなかった。体の成長は十歳だったが、知識は十八歳だったという裏事情があるためセレストとしては胸を張って実力だとは言えない部分があった。
実際に一度目の世界で同じことができたかと言われたらできなかっただろう。
一度目の世界では星獣使いになってから本格的に術を習いはじめた。
伯父に学びの機会を奪われていたとはいえ、本来のセレストなら、あんな無謀な行動はしない。術が使えるかどうかという以前の問題で、魔獣に立ち向かうなんて怖くてできなかったはずだ。
「あの……バートランド中尉」
セレストはなにも言い返せずにいるバートランドに言葉をかけた。
「なんだ!」
「私がゴールディング侯爵家にお世話になっていた時期は、実父を亡くして環境が一変した頃でした。伯父様やいとこのミュリエルがそう考えていてもおかしくはないと思います。当時の伯父様のお考えは、私にはわかりかねますが……」
穏便に済ませるのなら、この主張が一番いいとセレストは思っている。
伯父から嫌がらせを受けていたという話を広めても、セレストにとって得はない。侯爵家が姪を不当に扱っていたという事実については、切り札としてドウェインが証人を確保しているが、それを使うのはバートランドに対してではない。
「でも、……私にはスピカと心を通わせる力があります。それに私自身の能力を否定することはほかの星獣使いを否定することに繋がりますから到底できません」
「くっ!」
ジョザイアのいる前で、これ以上星獣使いの資質を問い続けるのは無理だった。
バートランドは悔しそうな顔をして、セレストをにらみつけた。それからジョザイアにだけ敬礼をして去っていった。
「不毛な話だね。……セレスト殿、少しいいだろうか?」
「仰せのままに」
どんなに理想的な王太子であっても、セレストはジョザイアが恐ろしかった。
けれど立場上どうしても彼を拒絶できないし、親しくなることは破滅を回避する手段となるかもしれなかった。
だからセレストは大人しく彼の言葉に従った。
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