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ジョザイアに誘われて、セレストは大庭園に来ていた。五月――春の花々が咲き誇るその場所は、一年で最も色鮮やかな姿を見せてくれる。
「そう言えば、最初に王太子殿下にお目にかかったのはこの大庭園でしたね?」
沈黙が気まずいため、セレストは無難な話題を振った。
「……そう、だった……かな?」
めずらしくはっきりとしない言葉だった。
セレストにとっては簡単に言葉を交わすことのできない高貴な相手であり、因縁のある相手でもある。それに対してジョザイアにとってのセレストは、数多くいる貴族の令嬢の一人に過ぎなかったのだから、覚えていなくても当然なのかもしれない。
「フィル様と私の婚約が決まった褒賞授与式の日でした」
「そう言えば、そうだったかもしれないね。父上や君の伯父上のしたことが気に入らなかったから、セレスト殿の姿を探したんだった」
「はい」
「……君の伯父上はあの頃から変わらない。社交の場にあまり出ていない君の耳には入ってこないのだろうけれど、ゴールディング侯爵もミュリエル嬢も、君や将軍の批判が大好きなようだ」
ジョザイアは相変わらずゴールディング侯爵など、自らの地位をひけらかし、実力が伴っていないのに他人を貶めることばかりに執念を燃やす者を嫌っている。そしてミュリエルに対しても好意的ではなかった。
これはセレストにとっては意外だった。親しくなければ邪法の件で結託しようなどとは思わないはずだ。
「私もフィル様も、一応そのことは把握しております。……良識のある方なら軍での実績と矛盾するとわかるでしょうから、放っておいていいと思っていたのですが……」
軍内部にもフィルやセレストを気に入らないものがいることは知っていたが、さすがに将軍職にあるフィルに貴族的な立場からの中傷を直接ぶつける者はいなかった。
常に将軍と一緒に行動することが多かったセレストも、あからさまに嫌う者に接する機会が少なかったのだ。
人事異動で独り立ちした結果、それが変わった。バートランドは中尉で貴族としては侯爵子息という立場だからすべてがセレストより上だ。
フィルの保護下から抜けたらさっそく洗礼を浴びた――という状況だろう。
「人は、自分がこうであってほしいと思うものを見るために、どこまでも盲目になれる生き物なんだ。ゴールディング侯爵も、バートランド侯爵子息も」
「そうかもしれません。……改めまして助けてくださってありがとうございました。次からは私一人でも対処できるようになりたいですが、まだまだ未熟なようです」
セレストはぺこりと頭を下げた。
「優しいね。……本当は、君の伯父上は君の才能をわかっていて不当に扱っていたんだろう? 私の主張に乗っかれば、バートランド侯爵子息の言葉を論破できただろうに……わざわざあの子息のプライドを守ってあげるなんて」
話をしながら歩いていると、見事な紫色の花を咲かせたライラックの木の前にたどり着いた。ジョザイアは立ち止まり、その花を見つめている。
「……優しいのではなく、臆病なんです」
敵を作って、自分の力を知らしめても高位貴族から警戒されるだけだ。それがよい方向に作用するならばいいが、そうはならないとセレストは思う。
適度に侮られていたほうが安全ではないのだろうか。そうは言っても、星獣使いとして、多くの部下を従える者としての義務があるから、手抜きはできないのだが。
「炎の谷は、それぞれの小隊ごとにどれだけの成果をあげられたかの勝負になるみたいだ。まるで武勲を立てるための狩り場だね。だからバートランド中尉も必死なんだと思う」
ほかの術者にとって星獣使いの能力は、ずるをしているのに等しいものなのだろう。
炎の谷でセレストが多くの魔獣を駆逐してしまったら、ほかの者は目立てなくなってしまう。だからバートランドはあんなにもセレストにきつく当たるのだ。
「難しいですね。私が手抜きをすると、指導役だったフィル様や、実績を残したい部下に迷惑をかけてしまいます。……でも、高位貴族と敵対する気もないんです」
「敵対する気はない、か。……そうそう最近、貴族たちのあいだでは……やはり星獣使いが一つの家、しかも一度断絶した伯爵家に集中している状況はよくないという話が再燃しているよ」
「お言葉ですが、王太子殿下。エインズワース伯爵家は、星獣の力を民のため、ノディスィア王国のために公平に使っているという自負がございます」
そういうアピールのために、セレストは軍の任務に限っては、フィルと距離を置いているのだ。
「それはわかっているつもりだ。私ではなく、高位貴族の中でそう思っている者は結構多いということだよ。……シュリンガム公爵家やクロフト伯爵家……君の周囲にはわりとエインズワース将軍や君に好意的な者が多いから、見えていないだけだ」
「本音を言うことが許されるのであれば、大人はずるいですね……。七年前、私を利用して……その結果に満足いかなかったから不満を言うだなんて」
「そうだね。……ねぇ、セレスト殿」
ジョザイアは花のついた枝を軽く持って、鼻先をそこに近づけた。ライラックの花は甘い香りがするからそれを楽しんでいるのだろう。
「セレスト殿はもうすぐ十八歳のはず。立派な大人だ。だからもう過去に縛られる必要はないし権力者や自称保護者を語る者に流された結婚など、無効にしていいんだよ?」
「それは、どういう……」
権力者が誰を指すのかはすぐにわかる。けれど自称保護者とは誰のことだろうか。
素直に受け止めれば、フィルとの縁談が持ち上がったときやセレストが星獣使いになったときに保護者面をしていたのは、ゴールディング侯爵だ。
けれど、なんとなく自称保護者にフィルが含まれている気がするのはセレストの思い過ごしだろうか。
ジョザイアはライラックの枝を一本手折った。
花のついた枝を胸のあたりで弄びながら、彼は話を続ける。
「ねぇ。君は……フィル・ヘーゼルダイン将軍を愛しているんだろうか?」
ジョザイアがわずかに顔を上げてセレストを見つめてくる。
花を手にした王子様――おとぎ話のような光景であるというのに、セレストはまだ彼を恐れていた。
好意的なようでいて、本心がまったくわからない。彼の真意も、質問の意図も、なにも理解できなかった。
「あ……愛、という言葉は使ったことが……ありません。フィル様にも告げたことはありません。……本人より先に、誰かに打ち明ける気もありません……。でも、私にとってフィル様は特別な方です。幸せな未来を……望んでいます」
ジョザイアの持つ雰囲気に圧倒され、セレストはまるで自白させられているような気分になりながら、素直な想いを口にしていた。
(これは間違った発言じゃないはず、よね……? フィル様だってずっと二人の仲がいいことを周囲にアピールしてきたんだから)
セレストが星獣使いになったばかりの頃は、引き離されないための演技――そうフィルは言っていた。けれど今は違うとセレストは信じている。
最近は二人きりのときのほうが、もっと甘い雰囲気になる気がしていた。
「そう。……私が、君に選ばれる隙はない?」
「え?」
「いや、いいんだ。私が言いたいのは、特権階級の一部の者は今でも君とエインズワース将軍を引き離すことをあきらめていないから気をつけるように、ということだ」
「ご忠告、感謝申し上げます」
「うん。……私はもう行くよ、さようならセレスト殿」
セレストは軍人らしく敬礼をしてジョザイアを送り出した。
彼のいた場所には、ライラックの枝がポツンと落ちていた。
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