4-6

「キュルル……」


 セレストは、アルタイルの攻撃によって命を落とす終わり方を想像した。

 けれど、そんなはずはないとすぐにわかった。

 今のセレストは星獣の力など使わなくても、簡単に死んでしまう。もしジョザイアがその気ならば、先ほど実行していただろう。

 それに、アルタイルの瞳の色は澄んでいて、敵意などみじんも感じない。


 この世界で再会してからずっと変わらない。アルタイルの瞳は、落ち着いていてどこか寂しげな色だ。


「キュ」


 彼はくちばしの先を上下に動かして、なにかを催促してくる。


「撫でてほしい?」


 窓を開けて、鉄格子の隙間から手を伸ばすが、アルタイルはさわらせてくれなかった。

 むしろ、さわるなと主張するように、激しくくちばしを動かし続ける。


「逆なの? ……どいていろ?」


 ピタリと動作が止まった。

 こちらが正解のようだった。

 セレストが数歩下がると「もっと」とでも言いたげに、アルタイルが再び頭とくちばしを動かす。

 結局セレストは、部屋の隅まで追いやられてしまった。


「キュゥゥ!」


 アルタイルは飛翔し、一度窓から距離を取る。

 そのままセレストのいる部屋に突進してきた。頑丈な石でできているはずの壁は、空飛ぶ星獣の力でたやすく崩壊する。


「アルタイル、どうして?」


 セレストは壊れた外壁に近づいた。

 アルタイルはセレストに背を向けて、姿勢を低くした。まるで、ここに乗れと言っているようだった。


「キュ……」


 どう考えても、これはジョザイアの命令ではない。

 むしろ、主人に対する敵対行為に思えた。


 セレストはアルタイルの過去の行動を思い起こす。

 彼は、三年前の星祭りの日に――。


「アルタイルは……、国王陛下とスノー子爵の会話を私に聞かせたかったの?」


 星獣たちは、明らかに一度目の世界の記憶を持っている。

 アルタイルもそうだったとして、星祭りの日にセレストをあの場所に導いた行動には、きっと彼なりに意図があったのだ。


(スノー子爵は一度目の世界で、率先して邪法を研究していた。……それが本当なら、あの日……本来ならもっと悪い話をしていたのかもしれない)


 セレストは星祭りの日に国王の劣等感を垣間見た。それにつき合うスノー子爵に対しては、権力者の無茶な要求に振り回される苦労人という印象を抱いた。

 もしかしたら、一度目の世界ではあの日、具体的な邪法についての話が聞けたのかもしれない。


「アルタイルは、邪法が再び生み出されないようにしてほしかったんだ……」


 けれど、ヴェネッサの死を回避した影響によって、セレストが国王のくわだてとスノー子爵の研究について知ることはなかった。

 そしてアルタイルの予想を超えて記憶を取り戻したジョザイアにより、再び邪法が生み出されてしまったのだ。


「ごめんね……、ごめんね、アルタイル。あなたの願いを叶えてあげられなかった!」


「キュ、キュ……」


 アルタイルはいいから乗れと催促してくる。

 セレストは促されるままに彼の背に飛び乗った。


(主人の意思に逆らった星獣はどうなってしまうの?)


 ノディスィア王国の歴史の中に、そんな例があったという記録は残されていない。

 セレストの不安などおかまいなしに、アルタイルはバサバサという羽音を立てて飛び立った。


 城が破壊された音と衝撃、それから浮遊する大きな影。城を守る兵たちはすでに非常事態に気がついていた。

 セレストの耳にも、混乱する兵たちの声が聞こえてくる。

 けれど、普段から城の周りを自由に飛び回っている大鷲を攻撃しようと考える者はいない。

 アルタイルとセレストはそのまま外側の塀付近まで飛んでいった。


「キャァァァ!」


 突然、落下がはじまった。

 セレストは歯を食いしばってアルタイルにしがみつくことしかできない。ドンという衝撃音のあと、日が陰りはじめた空が見えた。

 草と土の匂いがして、落下地点が花壇であることをセレストは知る。


「アルタイル……、アルタイル……!」


 セレストはとにかく急いで身を起こした。アルタイルもすぐそばに落下していたが、明らかに様子がおかしかった。

 ビクビクと体が痙攣し、苦しそうだ。セレストは彼に触れられる位置まで近寄って怪我をしていないか確認する。

 流血している部分はない。それでもうめき、もがいて、明らかに普段の彼ではなかった。


「もしかして……これが、主人に逆らった罰……?」


 アルタイルは額のあたりを押しつけるようにしてセレストの体をドン、と押した。

 これ以上近づくなと言いたいのが伝わってくる。


「アルタイル、置いていけないよ」


 遠くから兵がこちらへ向かってくる様子が見えた。

 それでもセレストは、アルタイルから離れることができなかった。


「セレスト!」


 呼びかけと同時に、周囲が明るくなる。セレストとアルタイルが落ちた花壇を青白い炎が取り囲んでいた。


「フィル様……。スー?」


 青い炎は星獣シリウスの力だ。

 セレストを傷つけるものではなく、兵が近づくのを阻害するためのものだった。

 やがて炎を飛び越えるようにしてフィルと本来の姿のスーが現れた。


 フィルの姿を目にした瞬間、セレストは安堵からかその場にへたり込んだ。

 両脚に力が入らなくて、もう立てそうになかった。

 フィルが眼帯を取ったのと入れ替わるようにして、今度はセレストの片目に眼帯が巻かれている。

 それが皮肉めいていて、まだ敵陣の中だというのにおかしくなってしまった。

 おかしい、と感じているはずなのに目の奥が熱くて視界がにじんでいった。


「セレスト、よかった。……また……またあのときと同じ思いをするかと思った」


 フィルが膝をついて、セレストを引き寄せかき抱く。

 よく知っているフィルのぬくもりを感じた瞬間、眼帯をしていないほうの瞳から涙があふれた。


「フィル様……でも、……アルタイルが……」


「キュゥゥ……」


 か弱い声で鳴いたのはアルタイルだ。


「アルタイル……一緒に、一緒に行こうよ」


 セレストは必死に手を伸ばす。

 主人を捨てろとは言えない。それでもセレストは、どうしても彼とは戦いたくなかった。


「キュル……」


 アルタイルは翼を震わせながら、よろよろと身を起こす。けれど、セレストのほうへは来てくれなかった。

 背中を向け翼を何度も羽ばたかせ、空に飛び立とうとするがうまくできていない。

 こんなに弱々しい彼の姿など、一度目の世界でも、二度目の世界でも見たことがない。


「アルタイル!」


 アルタイルはそのまま、歩いてセレストから距離を取った。


「……すまない、セレスト。アルタイルは一緒には連れていけない。彼は……ジョザイアを裏切ったわけじゃないんだろう」


「だったら……どうして、どうして私を連れ出したの? アルタイル!」


「愛する者が罪を犯すのを止めたかったのかもしれない。仲間を……星獣を傷つけてほしくなかったんだろう……」


 星獣が主人の命令を無視することは時々ある。

 けれどそれは表面上だけの話だ。

 例えばセレストが怪我をして自分を見捨てろと言っても、スピカは応じない。星獣は主人の言葉に従うのではなく、魂に従っているからだ。


 主人と星獣は、似た心を持っているからこそ惹かれ合う。ジョザイアは本来、高潔な人ではなかったのだろうか。


 けれど、人の心は些細なきっかけで変わってしまう。


 本質的な部分に関わる絆が揺らいでしまったから、アルタイルは一気に力を失ったのだろうか。


「アルタイル……待って……お願い……」


 セレストは腕を伸ばす。

 けれど、より強い力でフィルに引き寄せられて、アルタイルには近づけなかった。


「だめだ、セレスト。アルタイルの願いを君が無視するな」


 アルタイルの願いは、セレストがフィルのもとへ戻ること。そして、ジョザイアが星獣を傷つけるのを阻止することだろう。

 ここでセレストが再び捕まったら意味がない。


「……アルタイル」


「彼のためにも、今はジョザイアのそばに」


 フィルのほうがよほど冷静だった。

 アルタイルを無理矢理連れていっても、セレストにできることなどなに一つなかった。


 主人であるジョザイアだけが彼を救えるのだ。


「スー! ジョザイアが来る前にここから離れよう」


「……ワン」


 スーにもきっとためらいがある。それでも姿勢を低くして、ここを離れる準備をする。

 フィルはセレストを抱え、スーに跨がった。

 途中、どうしていいのかわからず立ち尽くす兵たちの合間を通り抜ける。建物の二階以上の高さがある塀を悠々と跳び越えて、都の町中を疾走する。


「ワォォォン!」


 地響きを伴うほどの咆哮。

 しばらくすると遠くから別の獣の咆哮が聞こえた。


「レグルスの返事だな。……もうすぐこちらに合流するだろう」


 フィルの言ったとおり、レグルスとマクシミリアン、ドウェインはすぐに合流してくれた。一行はある程度距離を稼いで、完全に日が落ちたところで小さな町に入り宿を取った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る