3-5

「ミュ……リエル……どうして……?」


「フフッ。セレストお姉様。大きな荷物を抱えて、どこかに行かれるの?」


 真っ赤な唇が弧を描く。

 けれど目は笑っていない気がした。

 この表情は、一度目の世界の最後の日にセレストが見た義妹の姿そのままだった。


「お久しぶり、です。星獣使いになったんですって? ……驚いたわ、おめでとう」


 間に合わなかった。

 また同じような結末を迎えてしまう。――そんな動揺をひた隠しにし、セレストはミュリエルの出方をうかがった。

 ひとまずヴェネッサを庇う位置まで歩み、ミュリエルと対峙した。


「お姉様は序列四位の星獣使いなのよねぇ。……少々不満ですわ」


「序列なんて、どうでもいいじゃない」


 やはり、なにかがおかしい。

 ミュリエルのまとう星神力は以前よりも格段に強くなっている。けれど、単純に力が増したという雰囲気ではなさそうだ。


(こ、怖い……)


 やはり彼女は敵なのだと確信するしかなかった。

 王家とも、ゴールディング侯爵家とも敵対する道しか、もう選べないのだとセレストは悟る。


「ところでお姉様。どこへ行かれるのか先ほど質問いたしましたのに、お答えいただけないのかしら?」


「じつはフィル様のお祖父様がご病気なの。……そのお見舞いに」


「ふーん、逃げるのね? ……フフッ、王太子殿下のおっしゃったとおり」


 王太子殿下――という言葉で、セレストは益々警戒した。


「逃げる……って、お見舞いだから」


 いったいジョザイアはなにを知っているのだろうか。

 この二度目の世界でも、セレストがジョザイアに殺されなければならない理由は一つもないはずだった。


「セレスト・エインズワース。わたくし、あなたを捕らえに来たのよ」


 ミュリエルの左目が一瞬だけ光ったように見えた。

 直後に巨大な黒いサソリが姿を現した。

 星獣との絆は目に見えるものではないけれど、感じ取ることができる。

 それは本来、清らかであたたかいものでなければおかしい。

 けれどミュリエルとアンタレスのあいだにあるものは違っている。禍々しく、まるで鎖で繋がれているようだった。


 こんなものは真の星獣使いではなかった。


「アンタレス……」


 彼の大きさはエンズワース伯爵邸のエントランスに収まるものではなく、玄関扉と壁の一部が破壊された。

 そこから望める伯爵邸の庭には多くの兵が待機していた。

 ジョザイアが差し向けたものだろう。


「グルルゥゥゥ」


 いつの間にかセレストの足下には子犬のままのスーがいて、ミュリエルとアンタレスに威嚇をはじめた。


 アンタレスの尻尾のあたりから、なにか光る縄のようなものが発生している。

 それが予告なく伸びて、セレストに向かってくる。セレストは咄嗟に自分の周囲に壁を築いた。

 けれど、アンタレスの縄は自由に動き回り、セレストの防御壁に触れる寸前に湾曲した。縄に捕らえられたのはヴェネッサだった。


「キャァァッ!」


 彼女はそのまま引きずられて、アンタレスの目前で拘束された。

 大きく反り返って、尾節の針がヴェネッサの首元に迫る。


「ヴェネッサさんを放して! 彼女は関係ないわ」


「うるさいお姉様ですこと……。スピカを実体化させる素振りを見せたら、その瞬間にアンタレスの毒がこの者を殺すわ」


「……なん、で」


 どうして簡単に人を殺すなんて言えるのだろうか。

 戦が行われていた時代ならいざ知らず、軍人であるセレストですら、人を殺めたことがない。時々ならず者を捕まえた経験はあるのだが、圧倒的な星神力を武器に、どんな凶悪な者でも殺さずに無力化するのは簡単だった。


 甘やかされて育った侯爵令嬢に、自分の手を血で汚す覚悟などあるだろうか。


(はったりだと高をくくって、ヴェネッサさんを奪い返す? だめだわ。アンタレスの速さがわからないし、ミュリエルならやりかねない……)


 彼女は自分より身分の低い者を見下し、人とも思わない部分がある。それに痛い思いをした経験があまりなく、だからこそ人の痛みをわかっていない。

 綺麗な世界で暮らしてきた無知な令嬢だからこそ、ためらいもなく他人を攻撃してしまう危険性が高い。

 一度目の世界でも、彼女はスピカの力をセレストに向けたのだ。


 アンタレスの針がヴェネッサに刺さる前に、敵を無力化できる確証が持てなかった。


「わたくしは王太子殿下のご命令で、お姉様を捕らえにきたの! お姉様とあの平民には反逆罪の嫌疑がかけられているわ」


 せっかくクロフトが知らせてくれたのに、ジョザイアのほうが上手うわてだった。


「……私が大人しくしていたら、ヴェネッサさんを解放してくれる?」


 セレストはこの時点で敗北を認めて、自分以外の者を守ることを優先しはじめた。


「考えてあげてもいいけれどぉ……。あ、でも……お姉様は罪人でわたくしがお姉様のお願いを聞いてあげる必要なんてないの。どうしようかしら?」


「グルルゥ……」


 こんなに憤ったスーの姿ははじめてだった。

 普段の小型犬の姿のまま、気配だけはシリウスそのものになっている。


「スー……お願い。動かないで」


 序列が上であっても、アンタレスに攻撃の機会を一切与えないままヴェネッサを救えるという確証がなかった。

 スーが敵視しているのは、明らかにアンタレスではなくミュリエルだった。

 やはり以前のスピカと同じように、無理矢理従わされていることをスーも悟っているのだろう。


(今、スーを戦わせてはいけない……)


 スーにとってアンタレスは仲間だ。

 それに、ここには自分の身を自分で守れない者がいる。星獣同士の戦いに巻き込むのは危険すぎた。


「まずはこれ。……目隠しをしなさいよ。お姉様が大人しくしていたら、お友達や使用人は殺さずにいてあげる」


 ミュリエルが黒っぽい布のようなものを取り出した。

 よく見るとそれは眼帯で、布地の部分には刺繍がされていた。けれどおしゃれのためではなく、おそらくなんらかの術をその場に留めておくための細工だろう。

 明らかに星獣使いとしての力を封じる仕掛けがあるとわかる。


「……わかったわ」


「セレストさん、だめ……! 私のことはいいから……ひっ!」


 ヴェネッサが必死に訴える。けれど、アンタレスの尾節が彼女の首筋に触れて、言葉を封じた。


 ミュリエルが外に待機させていた兵に合図を送る。

 一人が屋敷の中に入ってきて、眼帯を受け取り、セレストの背後に回った。

 これをつけてしまったら、きっとセレストの対抗手段は失われるとわかっていたが、どうにもならない。


(この眼帯……スピカだけではなく、私の星神力まで封じる効果があるみたい……)


 一瞬だけ、貧血のように立ちくらみがしてセレストの体はふらついた。

 大してきつく締め上げられているわけでもないのに、眼帯は見えない力で目の周囲の皮膚にくっついていて自力では取れそうになかった。

 この手の術は、一度目の世界で捕らえられたときにも施されていた。

 軍人として、犯罪に手を染めた術者を捕らえるときに使ったこともある。術の力を打ち消す星神力を送り込まないと、きっと眼帯は外れない。


 作業を終えた兵は、ミュリエルの後方へと下がった。


「ご心配なさらずとも、お姉様だって力を封じられることくらいわかっているはずですわ。……っていうか、あなたはどなたかしら? 答えなさい」


「私は、……ヴェネッサ……シュリンガム……」


「シュリンガム? あぁ! ではスノー子爵の娘なのね。あなたのお父上にはいつもお世話になっておりますわ。……だからって、余計なことを言わないでくださる?」


 ミュリエルは拗ねた子供のようだった。

 セレストが一緒に暮らしていたあの頃と、あまり変わっていないような気さえした。


「ミュリエル! あなたの目的は私を捕らえることでしょう? 抵抗はしないつもりです。早く連れて行けばいいわ」


「セレスト様!」


 背後から声をかけたのはモーリスだった。


「モーリスさん、お願いです。アンナさんとヴェネッサさんを優先してください。……いいえ、これはお願いではなく、命令です!」


 セレストはモーリスを見ずに、ミュリエルのほうへと歩き出す。

 スーが進路を塞ぐように立ちはだかるが、セレストは首を横に振って、スーの行動をたしなめた。


「ワン!」


「スー……知っているでしょう? ……誰かを犠牲にしてはいけないの。それをしてしまったら、私は……。だからお願い、三人を守ってあげて」


 それはセレストが絶対に守らなければいけない、二度目の世界での信念だった。

 スーは低くうなり声をあげて不満を表すが、セレストの行動を妨げなかった。


 ミュリエルたちのそばまで歩み寄ると、アンタレスから光の縄が伸びてきて、セレストは一瞬で拘束されてしまう。

 入れ替わるようにして、ヴェネッサが解放され、床に転がった。


「ヴェネッサさん!」


「……だ、大丈夫……」


「フフッ、初任務成功ですわね。……じゃあ、あなたたちここにいる者を適当に捕まえておいてね?」


 ミュリエルが兵たちに命じた。


「助けてくれるって……」


「殺さないって言ったのよ。捕まえないなんて言ってないわ」


 それはもちろん、セレストにとって想定内ではあった。

 ミュリエルの性格なら、きっとそうなるだろうと予想できていた。


「スー……、誰も、……アンタレスも傷つけないで……。皆を連れて、フィル様のところへ行って。お願い……」


 セレストはスーの主人ではないが、星獣は永遠に近い歳月を生きてきた存在だ。

 自分で考えて、なにが最善かを選ぶ知性を持っている。


 やがて小さな犬の姿をしていたスーが輝き、輪郭が曖昧になった。


「なに……なんなのこの犬……?」


 スーは一瞬にして白銀の大きな犬に姿を変えた。

 床にへたり込んでいたヴェネッサに覆い被さるようにしてアンタレスと対峙する。

 手を伸ばせば届きそうな距離にスーがいるのに、スーもセレストもそれ以上動けなかった。


 アンタレスがギシギシと床を軋ませながら、屋敷の外へと後退する。


「アンタレス……! 勝手に下がらないでよ。……わたくしがあなたのご主人様なのよ。なんなのあの犬? 魔獣……? でも、そんなふうには……」


 ミュリエルも同じ場所まで下がってアンタレスの勝手な行動を咎めた。

 けれど彼女の脚は震えている。ミュリエルは軍での訓練は受けていないものの、それなりの星神力を持つ者だ。

 圧倒的な力を本能では理解しているのだろう。


「ミュリエル……あの子とアンタレスを戦わせてはだめ。目的は私を捕まえることなのでしょう?」


「め……命令しないでくださらないっ!? わたくしが! わたくしが……決めるんだから」


「星獣使いだというのならわかるはず! あの子と戦わないで!」


 そうこうしているあいだに、スーが壊れたエントランスから外に出た。

 彼の体は、建物から離れるとさらに大きく変化する。その姿は、ノディスィア王国で暮らす者ならば、誰しもが絵画や像で見たことがあるものだった。


「シリウス……」


「シリウスだ! なぜ、ここに……消滅したはずでは……?」


 兵たちが声を上げる。

 神々しく、他者を寄せつけないほどの圧倒的な星神力をまとう存在を見間違えるのは難しい。


「ミュリエル! シリウスを傷つける命令を、あなたは与えられていないでしょう? ……お願いだから、退いて。……退いてください」


 ミュリエルはセレストをにらみつける。

 それからフイ、と顔を背けた。


「お……お姉様に命令なんてされなくてもわかっているわっ! ……あなたたち、目的は達成しました。城へ戻ります」


 セレストは拘束されたまま持ち上げられて、アンタレスの背中に落ちた。

 ミュリエルは、最後までアンタレスの実体化を解くつもりがないようだ。彼女もそこまで甘くなかった。


「スー……、皆……元気で……私は、大丈夫だから!」


 セレストはできるだけなんでもないことのように振る舞った。

 本当は、このまま一度目の世界と同じ結末を迎える可能性が高まって、怖くて仕方がない。認めたら本当にそうなる気がしたから、自分を鼓舞するつもりの強がりだ。


 やがてアンタレスが動きだす。

 拘束された状態で馬より早い速度で移動するものだから、セレストの体はアンタレスの硬い背中に何度も打ちつけられた。


 途中、都の広い範囲に響き渡るほどの咆哮が響いた。

 どこか悲しげなその叫びは、スーのものだった。

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