5-6

「大丈夫か?」


「はい、フィル様が一緒だから」


 フィルがそばにいて、手を握ってくれるから安心できる。無様に震えたりなどしたくなかった。


「最強の伯爵家……か」


 一つの家に星獣使いが二人という状況が多くの貴族たちから反感を買う事態であると、セレストもわかっていたし、フィルも警戒している。


「フィル様ごめんなさ――」


「謝るな。君の保護は、俺が自分で決めたことで後悔など一度もしていない」


 巻き込んでしまったことを詫びようとしたが、フィルは最後まで言わせてくれなかった。


「じゃあ、フィル様……いつもありがとうございます」


 謝罪より、感謝を。彼がそういう人だと、セレストはもう学んでいた。フィルは笑って頷いて再び歩き出す。


 星の間の前にはここを管理する神官が立っていて、儀式の説明をしてくれる。セレストにとっては二度目だから、どれも知っている内容だった。


 まずは、二人で星の間の扉の前で膝を突いて、瞑想し、祈りの言葉を心の中で唱える。それが終わるとようやく入室が許可される。

 重たい石造りの扉が低い音を立てて開かれた。

 ゆっくりと暗い空間へと進むと、扉は神官たちの手によって、すぐに閉じられる。


 あとは、星獣が呼びかけに応えてくれるのを待つだけだ。


「本当に真っ暗なんだな。怖くはないか?」


 フィルは星獣使いなのに、星の間に一度も足を踏み入れたことのないめずらしい人だった。本来儀式を行う予定だった貴族の子弟のために扉が開かれたところで、レグルスが飛び出していったからだ。


「はい、怖くありません」


 窓がなく、夏だというのに空気がひんやりとしている。部屋の広ささえわからなくなった。

 今回は一人ではなく、フィルが手を繋いでいてくれるし、スピカに会いたい気持ちが強く、恐怖心はなかった。

 セレストはその場で立ち止まり、スピカの気配を探る。


(スピカ……私のところへ帰ってきて)


 自分の中にある星神力をわずかに放出して、心の中でスピカを呼んだ。


「ピッ」


 微かな鳴き声のあと、小さな光の粒が現れた。それは星のようでいて、一つ一つが星神力でできている。懐かしいスピカの気配だった。


「スピカ……? スピカなの……!?」


 けれど、一度目の世界での儀式と今回では大きな違いがあった。

 最初の儀式のときは、星の間全体が明るくなるほどのまばゆい輝きがこの空間を支配したのだ。今は、フィルの顔がかろうじて確認できるくらいの光しかなかった。


 やがて集まった光は、ハリネズミのかたちになる。

 スピカが実体化すると儀式の間は一瞬だけ真っ暗になった。


 突然、頭上で重たい鐘の音が響くのと同時に、壁際の明かりが灯っていく。鐘は星獣が求めに応じて姿を見せたときに鳴るものだ。


「ピピッ」


 小さなハリネズミの姿がはっきりと見えた。短い足をちょこちょこと動かして、彼はセレストに駆け寄った。


「なぜ、なんでこんなに……」


 フィルがつぶやく。

 小さくて、弱々しい――きっとフィルはそう感じたのだろう。

 セレストの知っているスピカは大型犬くらいの大きさだった。まとう星神力の清らかさは、あの事件が発生する前とまったく同じだ。違うのは、星神力の強さだった。

 この国の歴史書や星学の本にもスピカの大きさは記されているから、フィルが驚くのは当然だった。


「ピッピッ」


 鳴き声は、弱々しいのに一生懸命だった。セレストは冷たい石の床にしゃがみ込んで、スピカを膝の上に乗せた。

 細い鼻先を撫でてやるとスピカはまた「ピッ」と鳴いた。


「ありがとう、私のところに来てくれて」


(ありがとう、私のところに戻ってきてくれて……)


 スピカの力が消滅寸前まで失われている。なぜそんな事態になっているのか、セレストは考えた。


 一度目の世界におけるセレストの最後の記憶は、怒り狂うスピカの咆哮だった。

 もしかしたら、あれはセレストに向けられた怒りではなかったのかもしれない。


 死の間際、彼に思い出してほしくてセレストはありったけの星神力をスピカに放った。

 本当の主人はここにいると示すためだ。


 スピカはちゃんとそれに反応してくれたのではないだろうか。


 ほかの星獣は元気でいるのに、一匹だけ大幅に力を失ったスピカ。

 時間が逆行したのは、誰のためだったのか。


(もしかして、私のため? 私のために星神力を使ってしまったの?)


 考えていくと、スピカがセレストのために時間を巻き戻したという仮説にたどり着く。


 文献にも記されていないが、仮にスピカが時を遡る術を使えたとしたら、力を失った理由に納得がいく。


「私を守ってくれたの?」


「ピ……、ピ……」


 スピカは必死にセレストの言葉を肯定しているように見えた。そのまま体を這い上がろうとする。セレストが手のひらを近づけると、彼はそこによじ登った。


 真相がわかると、涙が止まらなくなった。


「ピ……?」


「大丈夫だよ。嬉しくて泣いているだけだから」


 セレストはスピカを左目の近くまで持っていく。

 瞼を閉じると、スピカがそこへキスをしてくれた。再び光が生まれ、目を閉じているのに痛いほど眩しく、そしてスピカが触れた場所が熱かった。



 この世界でも、セレストはスピカの主人になれたのだ。



 光が収まり、目を開ける。まだ左目がチカチカとしていて、周囲の状況が見えづらい。


「……え、フィル様!?」


 まず目に飛び込んできたのは、瞳を濡らしたフィルの姿だった。左目から頬にかけて濡れたあとがある。


「い、いや……違う。泣いてるんじゃない! 眩しくて、目をやられただけだ」


 フィルは必死に否定し、セレストに背を向け、服の袖でゴシゴシと顔を擦った。


「そうでしたか。びっくりしました。……眩しいですからね」


 一度目のスピカとの契約時とは比べものにならない弱々しい光だったが、フィルは油断していたのかもしれない。

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