3-8
午後になってから、セレストはフィルと一緒に買い物へ出かけた。
アンナが「二人とも服を新調するべきです」と言ったからだ。セレストが持参した服は侯爵令嬢だったにもかかわらず上等とは言えなかったし、去年から着ているものだからややきつかった。フィルも一着だけドウェインに用意してもらった服があるのだが、軍服以外は洗いざらしの庶民的な服しか持っていない。
正直、セレストとしては持参金もないし収入もないので高価な服を買ってもらうのは気が引ける。それでも、再興したばかりのエインズワース伯爵家としては、他家からばかにされる要素はできるだけ取り除くべきなのだ。
「俺もそれっぽい服を買わなきゃいけないのか。……面倒くさいな」
「大丈夫ですよ! アンナさんのおすすめでシュリンガム公爵家も贔屓にされているお店ですもの。きっとお任せすれば素敵な服が買えますよ」
貴族の屋敷に長く仕えているアンナは、主人の外出に合わせその場にふさわしい服を選ぶことも仕事の一つだったという。
昼の外出着、夜の正装、それから普段着――何着必要かはあらかじめ店に伝わっていて、二人は今回、採寸したり好きな色を伝えたりするだけでいいという。
「あまり自分の着るものには興味がない。アンナがいてくれて助かったな」
アンナはドウェインからの信頼が厚い。そんな女性を紹介してくれたのだからドウェインがどれだけフィルとの友情を大切にしているかよくわかる。アンナは、これから貴族の社会で生きていくのに苦労するであろうフィルとセレストの助けとなってくれる女性だ。
やがて予約してあるはずの店にたどり着く。
セレストも名前だけはよく聞く有名な仕立屋だった。吊り看板にショーウインドー。店の中には何人かの従業員がいて、綺麗な布を広げたり、トルソーを運んだりしている。
二人が店へ入ると、数人の従業員が出迎えをしてくれる。すぐに奥の商談室へと通された。そこからは採寸をしたりデザインを決めたりと、されるがままになっているとどんどんと服選びが進んでいった。
フィルは本当に自分の着るものには興味がないのだろう。ことあるごとに「地味な色で」、「目立たなければ」を繰り返し、本当にすべてを任せてしまっている。
長身で姿勢のいいフィルは、立っているだけで格好いい。華美な装飾など邪魔だとセレストは感じた。従業員もそれは承知のようで、上質で落ち着いた色の生地をすすめてくれた。
「とてもドウェインが愛用している店とは思えない。なんて常識的なんだ」
ドウェインが派手な衣装を着ていても許されるのは、彼が公爵子息で星獣使いだからだ。
にわか貴族のフィルが同じような服をまとったら、悪目立ちして笑いものになってしまう。最後にそんな感想をこぼし、フィルの服選びは終わる。
次はセレストの番だった。春先に着るものは成長期だからギリギリまで待ってもう一度採寸するという予定で、冬用のワンピースのみを何着か買うことになった。
従業員がいくつものスケッチを見せてくれて、その中から気に入ったものを選ぶ。けれどその度になぜかフィルが口出しをする。
「地味すぎる。なんでそんなに落ち着いた服ばかりを選ぶんだ? ひらひらが多いほうが可愛いし君に似合うはずだ。却下だ、却下」
セレストとしてはフィルが地味な服が好きならば、それに合わせたかった。心が十八歳だから、どうしても華美な装飾のついた服をまとうのには戸惑いがあった。
「私は大人っぽいほうが……」
「これとこれとこれ……色は紺のストライプ、こっちは花柄、あとはこっちのチェックもいいな」
飾ってあるワンピースとして純粋に評価するのなら、装飾がたくさんついているほうが可愛いとセレストも思う。ただ、自分に似合う自信がなかったし、ちょっと恥ずかしい。
それでもフィルは遠慮しているだけだと判断したようで、セレストの服を勝手に選んでしまった。
「では、お嬢様のコートのお色はどのようにいたしましょうか?」
「……グレーで……」
セレストはボソボソとつぶやきながら落ち着いた色を指差した。
「いや、それもだめだ。セレストには青や紫、それから淡い色が似合うはずだ」
即座に否定されてしまった。フィルは自分の服は地味でいいと言い張っていたのに、人にはそれを許さない。けれどお金の払うのはフィルだから、セレストは強く主張できなかった。
「冬に淡い色を着たら、目立ちませんか?」
「子供なんてみんなそんなものだろう」
「ではこちらの淡いグレーはいかがですか? 選んでいただいたどのお洋服と合わせても自然です。襟や袖まわりの装飾が可愛らしいですから地味ではありませんよ」
従業員が生地とデザイン案のスケッチを見せながら提案してくれたコートは、襟が大きめでレースの縁取りがある。ボタンや袖回りも女の子らしくて素敵だった。暗い色はだめだというフィルの希望にも、できれば地味な色がいいというセレストの要望にも沿っている。
「可愛い……フィル様、これがいいです」
「そうだな。俺もそう思う」
選んだ服は出来上がり次第、屋敷に運んでもらうことにして、店を出る。
「せっかくだからお茶をして帰ろう」
フィルはセレストに手を差し出した。賑やかな通りではぐれないように、手を繋いでくれるというのだ。セレストは恥ずかしかったが、同時に嬉しくもあった。
どんな店でお茶をしようかと考えながら二人並んで歩く。しばらくして、セレストは見覚えのある人物の姿を見つけた。
「あれ、スノー少尉じゃ……?」
黒縁眼鏡をかけた女性が大きな袋を抱え、すぐ近くの店から出てくるところだった。
「こんにちは、スノー少尉」
セレストが声をかけると、ヴェネッサがびくりと身を震わせた。
「ひゃっ! ……エインズワース将軍閣下!? それに奥方様。このような場所でお目にかかれるとは思いませんでした」
彼女はいったいなぜそんなに驚いたのだろうか。セレストには、警戒される覚えはなかった。
「奥方……はやめてください。セレストでお願いします!」
「セレストさん。それでは私のこともヴェネッサとお呼びください」
非番の彼女は子爵令嬢だ。流行のジャケットとくるぶし丈のスカート。そこから見え隠れする革のブーツ。秋らしい服装のヴェネッサは素敵なレディだった。
さすがはおしゃれなドウェインの婚約者である。
「ヴェネッサさんもお買い物ですか?」
「はい。明日から演習ですから、必要なものが多くて」
ヴェネッサが抱えていた袋を持ち直す。すると上部から小さな箱が落ちて地面に転がった。
「あ、あぁぁぁっ!」
ヴェネッサは焦った様子で転がった箱に手を伸ばし、結果として別のものを地面に落としてしまった。三人は慌ててしゃがみ込み、急ぎ散らばった品物を拾い集める。
「……プレゼント?」
ヴェネッサが最初に落とした箱には紫色のリボンがかけられていた。紫――なんとなくドウェインを彷彿とさせる色だ。
「あ、あの……これはっ! 演習に必要なものじゃな、なななく、こっ、個人的な……。いつも色々くださるから、親しき仲にも礼儀がありますし……お返しをするのは当然で」
ヴェネッサは立ち上がり、箱を袋の中に隠す。セレストには彼女が恥ずかしがる理由がよくわからなかった。
ただ、落ち着いた性格の女性だという第一印象を覆すような言動には親近感を覚えた。
「婚約者同士なんだから別に恥ずかしがる必要はないはずだろう? 俺だって今日はセレストに贈り物をしたぞ。……な?」
フィルがそう言って、セレストの頭をポンポンと撫でた。
「フィル様……?」
ヴェネッサとドウェインは想い合う婚約者同士だ。
肩書きとしては、フィルがセレストを引き合いに出すのは間違っていない。ただ、セレストを本当の妻として扱っていなければ今の言葉はおかしい。
ヴェネッサがじりじりと後ずさりをしているように見えるのは、セレストの気のせいではないのだろう。ヴェネッサは、フィルの言動にドン引きしているのだ。
「……え、あ……。そうですよね、新婚ですものね。ハハハ……」
そこでようやくフィルは疑惑を向けられていると気づいたらしい。身振り手振りを交ぜながら否定する。
「スノー少尉。俺にとってセレストは事情があって結婚した相手であり、妹のようなものだが、家族なんだ。いいか? 家族ではあるが、……そういう関係じゃない。つまり……俺は断じて変態じゃない!」
「……え、ええ。将軍閣下を幼女趣味の変態だなどと思ったことは、一度もありません」
「絶対に、絶対に違うからな……!」
フィルはただ動物と子供を放っておけない心優しい青年だ。
最初に会った日に、セレストは疑惑を持たれてしまう可能性を指摘し謝罪した。本人も気をつけているはずだが、気が緩んだのだろうか。
「それでは将軍閣下、セレストさん。私はこれで」
「ああ、ドウェインによろしく。道中、気をつけて」
ヴェネッサはペコリと頭を下げてから、セレストたちに背を向け歩き出した。
彼女の後ろ姿を眺めながら、セレストはなんだかすっきりとしない気分だった。
なにか重要な見落としがあるような――そんな気がしたのだ。
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