4-5
「はぁ? フィルったら、なにを言って……」
「ゴホン、……夕暮れになってもセレストが戻らないから、山で遭難しているのかもしれないと考えて、俺はレグルスの力を借り、急いで駆けつけた。――以上だ」
それ以上詮索するな、という意味だ。
ドウェインはフィルとセレストをじっと見つめた。それから一度だけ大きく息を吐いた。
「わかったわ。……セレちゃんはたまたま山にいたのね。魔獣の咆哮を聞きつけて、窮地のヴェネッサに加勢してくれた。フィルは帰りの遅いセレちゃんのお迎え……それでいい?」
魔獣が出現し、怪我人も発生している。ドウェインやヴェネッサはこの件で報告書を書く必要がある。対外的にはそう説明すると言っているのだ。
「助かる」
「こちらこそ、恩人を困らせるようなことはしないわ。……モーリスもいいわね?」
ドウェインが、ずっとやり取りを見守っていた執事へと視線を向けた。
「職務上知り得た主人の秘密を他者にもらすのは、仕事における私の主義に反します。……前職でも、現職でも、そこは共通しております」
モーリスの前職がなんだったのかは謎のままだが、さすがは一流の執事だとセレストは感じた。
ヴェネッサがドウェインの抱擁から逃れ、セレストの目の前までやってくる。
「あの……私、セレストさんが来てくれなければ確実に死んでいました。士官としての義務であの場にとどまりましたが、打つ手がありませんでしたから」
「無事で、よかった……本当に……。ミモザも嬉しそう」
ヴェネッサとは出会ってから日が浅いし、ひと言ふた言会話をしただけの関係だ。それでも一度目の世界で親しくしていたドウェインの大切な人をどうしても救いたかった。
セレストは、叶うならば優しい人たちが幸せになれる道を歩み続けたいのだ。
「さあ! そろそろほかの兵も戻ってきてしまうわ。……ほら、巻き込まれた一般人のセレちゃんは、ふりでもいいから怯えていなさい」
遠くに、術を使わず徒歩で下山中の兵の気配が迫っている。
フィルは氷の術が得意ではないから、セレストが術を使ったことまでは隠せない。けれど報告書には「巻き込まれて咄嗟に使った」と控えめな活躍で記載してくれるのだろう。
フィルは軍服の上着を脱ぐと、それをセレストの頭にかぶせ、包む。抱き上げて、ほかの者に顔を見られないようにしてくれた。
もうまもなく日が落ちる。これから屋敷に帰るのは危険だと判断し、今夜は保護された一般人として、ベースキャンプに泊まることになった。
テントの一部は魔獣によって破壊されている。戦闘のあった場所にそのままとどまるのは誰だって恐ろしいから、安全を確保しやすい別の場所に移動する必要があった。
この訓練には、新兵が多く参加している。その中にははじめて大型の魔獣を見たというものもいた。また魔獣が出るかもしれない……そんな恐怖で震える者、泣き出す者が現れた。
「フィルがいてくれなければ、パニックになっていたかも」
設営が終わってから、ドウェインがそんな感想をこぼした。
非戦闘系の術についてはドウェインが専門家だ。彼が厳重な警戒の術を周囲に施し、フィルとレグルスがいざというときに戦ってくれる。そういう安心感がなければ、兵たちは休息すらままならない。
セレストは軽い食事をもらってから、テントの中でスーと一緒に眠りについた。
今夜はフィルがずっと一緒にいてくれるという。心が十八歳のセレストとしては、男性と一緒に眠るのに抵抗があるのだが、家族だから仕方がない。
ドキドキしていたのはほんのわずかな時間だった。全力で術を使ったせいで疲れている。
横になったらすぐに抗いがたい眠気に襲われた。
「今日はよく頑張ったな。テントの内側に遮音の術を使っている。……少しだけ聞いてもいいか?」
フィルはだいたい予想しているみたいだが、今回の一件でセレストがここに来た理由について、詳しく知りたい様子だった。
「はい」
セレストは目を擦ってから返事をした。
「まず君は魔獣の出現を予期していたのか? 以前とは別の未来視ができたってことなんだろうか?」
「いいえ違います。私の見た未来では、ドウェイン様のそばにヴェネッサさんがいなかったんです。それからドウェイン様の幼馴染みが訓練のための遠征で……その……。そういう話を聞いていたのを思い出しました」
亡くなったという言葉をセレストは使いたくなかった。
「そうか……」
「今回の遠征中に魔獣が出現するかは私にもわかりませんでした。でもミモザの態度がおかしかったのはそのせいなのかもしれないって。……ごめんなさい、もっと早く思い出していればよかったのに」
ドウェインの婚約者であるヴェネッサにはじめてあった日に思い出していれば、フィルと対策を練れたはずだった。怪我人は出たもののミモザの力で回復し、誰も死なずにすんだ。結果としてそれで十分かもしれないが、セレストは他者に説明できない不審な行動をしてしまった。
「いや、心配はしたが誇らしくもある」
怒っていないと示すために彼はセレストの頭を撫でてくれた。
それで安心したのだろうか。セレストはうっかりあくびをしてしまい、慌てて口元を隠す。
「すまない、……話はこれくらいにしよう。疲れただろう?」
長距離の移動も、星神力の使いすぎも、十歳の体にはこたえる。セレストは小さく頷いてから目を閉じた。
「フィル様、……私……まだ星神力が安定していなくて、思いどおりに術が使えないみたいです。もっと強くならなきゃ……」
「君の一生懸命さは、時々俺を不安にさせる。ほら、今は寝るのが仕事だ」
「ずっとそばにいてくださいね。……疲れちゃったみたい……。おやすみなさい、フィル様……」
「おやすみ」
この日、セレストは確かな手応えを感じた。
セレストの中にある記憶は、きっと未来を変える力になる。
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