4-3

「……」


 答えはなかった。まだ承知していないという意味だ。


「ドウェイン様やヴェネッサさんに危険が迫っているかもしれないと言っても、モーリスさんは動くなとおっしゃるのですか?」


 モーリスは先日までドウェインに仕えていた。そして、モーリスの妻であるアンナはドウェインの乳母だ。危険が迫っている根拠は説明できないが、モーリスがかつての主人を思う気持ちに賭けた。


「……ドウェイン様に、危険が……?」


「詳しくはお話できません。術を使って知った……ということで納得していただくしかありません。でも、どうしても行かなきゃだめなんです! ドウェイン様たちに会うだけでいいから……お願いです、モーリスさん!」


 ちゃんと理由を言えないのに、信じろというのはかなり都合のいい話だとわかっていた。

 それでもセレストは、モーリスを頼る以外の手段を持っていないから、必死だった。もし、心と同じように体も十八歳だったら、星獣使いとしての公の地位があったなら――時間が巻き戻ってから何度も考えて、嘆いた。それでも今はこの小さな体で足掻く。


「……わかりました。今はセレスト様に従います」


 二人を乗せた馬が進路を変えた。

 北へ向かうために道を曲がる。中心部から離れ、人々の往来のない場所まで出てからスピードを上げる。


 そのまま走り続け、フォルシー山に近づいたときにはもう日が傾き、空がオレンジ色に染まる時間だった。

 たどり着いても、まだ安心できない。まず、訓練を行っている山中で軍関係者に見つかれば、当然追い払われてしまう。

 貴族で将軍の妻という立場を使えば、門前払いにはならないかもしれないが、訪問の理由を説明する必要がある。

 誰もが納得できる言い訳が思いつかないから、忍び込むしかなかった。


 セレストたちは馬を下り、適当な木に手綱を繋いでから徒歩で山の中へ入った。


「……気配を消す術を使います」


 セレストは、光の屈折を利用した術を自分とモーリスの周囲にかけた。

 ノディスィア王国は星獣という特別な力を持つ国だ。城にも軍の施設にも機密事項がたくさんあって、諜報員が入り込むのを妨害するための術が使われている。

 そういった場所では部外者が立ち入ると察知されてしまう。姿を認識しづらくする術に意味はないし、むしろやましいことがあると言っているようなものだ。

 けれど、広い山中で行われる訓練ではそういった術は使えない。

 まず、人と動物を術で見分けるのが難しい。仮に術を使ったとしたら、高頻度で野生動物を検知してしまうから意味がないのだ。


 セレストは一度目の世界で星獣使いとして軍の訓練に同行した経験から、気配を消す術はこの場で有効だと判断した。


 しばらくモーリスと山道を進む。

 術には声を遮る効果はないから、互いに無言だったのだが――。


「……なにか、聞こえませんか?」


 木々のざわめきや小鳥のさえずりとは別の音を最初に感じ取ったのは、モーリスだった。すぐに音のするほうへ走り出す。セレストは術を解いてから彼の後を追った。


 ――ゴォォォ。


 不協和音のような叫びは、セレストも知っている魔獣の咆哮だった。もう誰かに姿を見られないように、などという余裕はなかった。


「セレスト様。馬を繋いだ場所にお戻りください……と言って、聞き入れてくださいますか?」


 走りながら、モーリスは問いかける。おそらく彼は、セレストがこの事態を予期していたことまで察しているだろう。答えなど言わなくてもわかるはずだが、一応最終確認なのだろうか。


「まさかっ! 私は術が使えるから……大丈夫です。モーリスさんこそ……術が使えないのですから……はぁっ、無理は……しない……、はぁっ、はぁっ」


 全力疾走のせいで息も絶え絶えになりながらそこまで言ったところで、セレストの体がふわりと浮き上がった。

 モーリスがセレストを脇に抱え、全力疾走をはじめた。


「大人しいお嬢さんかと思っておりましたが、見当違いだったようだ。……そのくせ口のわりに体力がなさすぎる」


 抱えられているせいで彼の表情はよく見えない。なんとなく執事として仕えている主人に対する言葉ではないのはセレストにもわかった。


 魔獣が出没したと予想される場所に急ぐと、途中で人の悲鳴が聞こえてきた。


「なぜベースに……っ!」


「戦える者はいないか!?」


「だめだ、今頃山頂だ」


 魔獣の襲撃があった場所は、訓練のための拠点となるベースキャンプだった。補給や医療班などの補助を担う者のうちの一部がここにとどまっている。戦闘能力が高い軍人たちは訓練で山の頂上付近に行ったまま、まだ戻っていないという状況らしい。


「ここは私が守ります。あなた方は本隊との合流を目指しなさい」


 凜とした女性の声が聞こえた。――ヴェネッサだ。

 ヴェネッサは術を使って透明な防御壁を築き、魔獣の接近を防いでいる。

 魔獣は真っ黒な狼――闇狼えんろうと呼ばれている種類が八匹だ。彼らは群れで行動し、連携して人や動物を襲う。かなりの強敵だった。

 ヴェネッサの命令で非戦闘員と思われる者たちが一斉に逃げ出す。

 中にはこの場の警備を担っていたと思われる者もいた。ただ、重傷で歩くことすらままならず、非戦闘員に抱えられ、一緒に離脱する。


 残ったのはヴェネッサ一人――ただし、救護部隊所属の彼女は魔獣との戦いの専門家ではない。


 ここはそもそも強い魔獣が出没する地域ではないはずだった。だから、ベースキャンプには非戦闘員ばかりでまともに戦える者は残っていなかったらしい。

 ヴェネッサがしているのも、味方を逃がすための時間稼ぎだけだ。

 このままでは、術が破られて彼女が闇狼の餌食になるのは時間の問題だった。


「ヴェネッサさん!」


 セレストは自分の足で地面に立ち、ヴェネッサのいるほうへ駆け寄った。


「えっ?」


 ヴェネッサが目を見開く。


「協力します!」


「どうして!? あなたは一般人で、……そもそもなぜここに!? 早く逃げてください」


 焦ったせいでヴェネッサの集中力が途切れる。パリン、と音を立てて透明な壁に亀裂が入った。

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