2-4

 軍司令部で小隊の隊員たちと合流したセレストは、炎の谷へ向けて旅立った。

 今回は全員騎乗しての行軍ではあるものの、長距離の移動だからその歩みは遅い。何度か休憩を挟みながら進み、二日目の午後、ベースとなる砦に到着した。

 そこで一晩休息を取り、翌日の早朝からいよいよ魔獣討伐がはじまった。


 まずは砦の食堂で隊の皆と朝食を食べ、作戦の最終確認を行う。


「エインズワース隊長、疲れていませんか?」


 皿が綺麗になったところで、セレストの部下であるウィルモットが声をかけてきた。彼は副隊長で、四十歳のベテラン軍人だ。見た目は怖いのだけれど心優しい人物だ。

 そしてセレストと同じ歳の娘がいるせいか、上官への接し方が少しおかしい。


「ちょっとウィルモット副隊長……! 私が隊の皆さんの健康を気にかける立場ですよ」


 ウィルモットの影響を受けているようで、隊全体でそんな雰囲気がある。

 実際セレストは隊員の中で最年少だから、そうなってしまうのも仕方がないのかもしれない。ただ、隊長の威厳を守るため、言うべきときは言わなければならない。


「ですが……私は将軍閣下から『セレストは戦闘に関しては信じていいが、私生活では頼りなくちょっと抜けているうえに自分自身を適当に扱う悪癖があるから注意して見てやってくれ』と頼まれておりまして……」


「元凶があの方だったとは!」


 将軍の公認というより、将軍の命令ならばセレストにはどうにもできなかった。

 セレストは離れた場所から保護者の力を飛ばしてくるフィルに対し憤り、頬を膨らませた。


「ところでエインズワース隊長。髪が乱れていますよ」


 次に声をかけてきたのは、部下の中で唯一の女性エイプリル・ファラー曹長だった。


「え……?」


「ほら、このあたりほつれています。普段どうされているんですか?」


 最悪なタイミングで、私生活が抜けている証拠を提示されてしまい、セレストは真っ赤になってうつむいた。今度の赤面は怒りではなく羞恥心だ。


「……メイドのアンナさんにやってもらっています」


 アンナが髪を結う場合、時間があれば編み込みを入れてくれるし、シンプルに束ねる場合も崩れにくい。

 一度目の世界ではなんでも一人でやっていたはずなのに、セレストの技術は向上しなかった。自分の髪を結ぶとなぜか午後になるとほつれてしまうのだ。

 今日はまだ結ったばかりなのにさっそく崩れていたらしい。

 嘘をついても精度の違いでばれてしまうため、セレストは正直に告白した。


「それなら今日は私が直してさしあげます。戦闘中にほどけて中尉の髪が燃えちゃったら大変ですもの」


 炎の谷はその名のとおり、火を操る魔獣が多いためそんな心配をしたのだろう。

 ファラーは櫛も使わずに指先だけでセレストの髪を整えてくれる。


「中尉の髪って綺麗ですね……めずらしい銀髪で、しかも長いのにツヤツヤで」


「お手入れには気を使っているんです」


「えぇ? 今度なにをしているのか教えてもらってもいいですか?」


「もちろんです。って言ってもアンナさんが用意してくれるクリームを使っているだけなので、遠征が終わったらお裾分けしますね!」


「メイドのアンナさん……気になります」


「アンナさんはすごい人です! 元々はシュリンガム公爵家に仕えていた方で、美の追究に関してはドウェイン様ですら頭が上がらないみたいです」


 出会ったときに「ご……」歳だったため、現在は「ご……」代後半か、「ろ……」代のはずだが、この七年間容姿の変化はない。本当にすごい人だとセレストは思う。


「それはすごいですね! はい、できましたよ中尉」


 鏡がないため、セレストは手で軽く触れてほつれがないことを確認する。


「ありがとうございます。……コホン。それでは、今まで何度も確認してきましたが、私たち小隊の方針について最終確認を行います」


 気持ちを切り替えて隊長らしく振る舞うと、隊員たちの表情も変わる。


「はっ!」


 そのまま食堂で軽い打ち合わせを行う。


「ではウィルモット副隊長。基本方針の説明をお願いします」


「はい。作戦の目的は夏に活性化する魔獣の事前駆除。ここまでは毎年行われているので、皆も知っているとおりだ。エインズワース隊としての目標は隊全体の連携確認である」


 軍内部での訓練では個々の戦闘能力を高めることに重きを置きがちである。

 けれど、実際の戦闘は敵がどこから来るのか、どれだけいるのかわからないのだから、単純に攻撃力だけ強くても意味がない。攻撃を得意とする者、そしてその者のサポートをする者がペアになったほうが結果として長く戦える。

 実際の連携については、ここ一ヶ月ほどずっと確認していた。今日はその成果を実践で発揮するのだ。


「今回の演習においては、個人の魔獣駆逐数は昇進に影響しません。これはクロフト大尉に確認済みですし、ほかの隊にもその方針は伝えられております。皆さんは安心して得意な分野で活躍してください」


 魔獣にとどめを刺すのは、攻撃が得意な者ばかりだ。けれど、その者ばかりが評価されたら、誰も補助の術を学ばなくなる。

 クロフトは公平な人物だから、目立たないが重要な役割を果たす術の大切さを正しく評価してくれる。


「はっ!」


「それから私は緊急事態にならない限り、直接戦闘には参加しません」


 それは部下の力を証明するために、セレストが導き出した答えだった。

 この演習では、作戦司令部が管理する『遠見』の鳥が各部隊に同行する。それで魔獣討伐の成果を記録するのだ。


(本当に、戦果を挙げるための遠征なんだ……)


 比較的安全な狩り場が用意され、昇進の機会が与えられるのが慣例となっているのだから、良家の術者を中心とした部隊がどれだけ優遇されているかわかるだろう。

 セレストはこういうことが嫌いだったし、実力重視のフィルやクロフトもそれは同じだろう。ただ、炎の谷への討伐遠征が必要なことは確かだから、過去の慣例を完全無視することなどできないのだ。

 セレストの部隊に所属する者たちは、自分が選ばれた人間だなどという意識は持っていない、向上心の強い者たちだ。

 個人的な好き嫌いで、出世を望む部下の足を引っ張ることはできない。

 それでも、セレストや星獣の力で出世しても意味がない気がした。


「え……? エインズワース隊長が参加されない?」


 ファラーが不安げな顔をした。ほかの隊員も同様だ。

 セレストがそうしようと思ったのは、バートランドのような者の存在が大きい。


「大丈夫です! 皆さん強いですから。今回私は後衛を務めますので、皆さんは私を信じて戦ってください。私も皆さんを信じています。……どの隊にも負けるつもりはありません」


 セレストが強く宣言すると、隊の雰囲気も和やかになった。


「では最後に、……星獣スピカからひと言いただいてもよろしいでしょうか?」


 ウィルモットがセレストに問いかけた。セレストはそれに応じてスピカを実体化させた。


「スピカ、隊の皆さんを応援してあげて」


「ピッ! ピッ、ピィピィ!」


 素直なスピカは一生懸命声を出し、隊員たちを励ました。

 彼のおかげで皆適度にリラックスできたはずだ。


(毎年の恒例行事とはいえ、相手は本物の魔獣……私の役割は皆に手柄を立ててもらうこと。そして守ること……)


 セレストは小隊を預かる者としての心構えをしてから、戦場へと向かった。

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