2-7
「はい、こっちはセレちゃん。こっちはフィルのぶんよ」
「ありがとうございます。……えっと、中身は……?」
セレストが開けようとすると、フィルに止められた。
「これを持って、自分の部屋で着替えをしてくるといい」
そう言って、フィルがセレストの背中を軽く押す。彼はどうやら箱の中身がなにかわかっているらしい。
「……でも、お客様が来てくださったのにいなくなるのは」
訪ねてきてくれた人へのおもてなしができないままでいいはずがなかった。
フィルはそれでも首を横に振る。
「いいから、早く」
事情がわからないのはセレストだけという状況のまま、とりあえず二階にある私室へ向かう。セレストはさっそく箱の中身を確認した。
「真っ白のワンピース? これって……」
十歳の子供にふさわしい可愛らしいワンピースが箱から出てくる。レースがふんだんに使われていて、ふんわりとしたシルエットの一着だ。
きっと贈り主であるドウェインに見せるために、着替えが必要だったのだ。
セレストはさっそくワンピースに袖を通し、姿見で何度も自分の格好を確認した。
侯爵家の養女となってからずっと、表向きは侯爵令嬢であったものの貴族の令嬢としての扱いなど受けてこなかった。最低限、公の場に出るときだけ必要なものは与えられていたが、好意からではないとわかるから嬉しくもなかった。
ドウェインの贈り物の理由はセレスト個人に対する好意ではないが、友人であるフィルの家族に対する思いやりだとわかった。
「支度はできたか? ドアを開けるぞ」
扉の向こうから声をかけてきたのはフィルだった。
「はい! 大丈夫です」
返事をするとゆっくりと扉が開かれた。廊下に立っていたフィルも先ほどまでの普段着ではなく、貴族の青年らしい姿になっていた。
「うん、よく似合っている」
「フィル様も……軍服でも普段着でもないのが新鮮です。格好いいです!」
彼に一番似合う服装は軍服だ。先日の軍の礼装は凜々しくて最高に格好よかった。けれど美意識の高いドウェインが選んだ服を着たフィルも、いつもより優しそうな印象で素敵だった。
「ありがとう。なぁ、セレスト。……君の悪夢は何歳まで続いたんだろうか?」
セレストは時間が巻き戻ったという本人の認識をそのまま伝えずに、未来視だと説明していた。その未来では十一歳でスピカの主人に選ばれることや、その主人が変わってしまった事件、そしてジョザイアとミュリエルがその事件に関わっていることまでは説明していた。けれど、スピカの針で刺されてからの詳細については、フィルに告げていない。それでも、きっと予想はついているのだろう。
「……十八歳の秋のはずです」
「そうか。ちょうど八年後だな」
「はい」
「わかった。……ドウェインたちが待っているからおいで」
フィルはセレストの手を引いてくれた。二人で向かったのは、屋敷で一番大きな部屋であるリビング――そこから続くサンルームだった。
「え……?」
先ほどまでなにも置かれていなかったのに、サンルームは白いバラとリボンで飾られている。ドウェインの胸ポケット、スーの首輪、レグルスのたてがみ、そしてミモザの頭の上にもバラとリボンがついている。
セレストとフィルが到着すると、ドウェインは拍手で、ミモザは飛び回って、残りの二人は尻尾で歓迎を示した。
「君は、俺のために結婚式になど興味はないと言ったんだろう? ……結婚というか、まぁ……家族になる日だからこれくらいしてもいいと思ったんだ」
照れくさそうにしながら、フィルが真相を教えてくれた。ワンピースやフィルの服はドウェインが贈ってくれたものだが、発案者はフィルというところだろうか。
「家族……」
セレストの家族は亡きエインズワース伯爵夫妻だけだった。養女になって書類上は親だとしてもゴールディング侯爵家の人々は、家族ではない。
名前が戻ってきたのと同時にセレストは再び家族を手に入れたのだ。
フィルがポケットの中を探って、なにかを取り出す。
セレストの前に広げられた手に乗っていたのは指輪だった。青い石のついた銀色の指輪にチェーンが通してある。
「八年後。この指輪がぴったりになった頃に、先のことを考えよう。それまで俺は君の保護者で協力者だ。仮初めだとしても家族だよ」
フィルはチェーンの留め具をはずして、セレストの首にかけてくれた。
今のセレストはこの指輪をつけられる年齢ではないし、フィルとも釣り合わない。けれど、これからいくらでも成長できるのだと教えてくれている気がした。
八年後の悪夢を乗り越えたら、この指輪をはめてもいいのだろうか。それともどうにか離婚をして、それぞれ別の道を歩むのだろうか。今はまだわからないし、決められない。
セレストは胸のあたりで光る指輪にそっと触れた。
「ありがとう、……ございます……。私の、家族……」
もちろん真の夫婦ではないけれど、フィルとレグルスとスーが家族になってくれた。
そしてドウェインやミモザとは、以前よりも早い時期に出会え、また親しくできる。
セレストは信じられないほどの幸せで満たされて、つい感情が昂ってしまう。涙がポロポロとこぼれると、フィルがそれを優しく拭ってくれた。
「さあ、ダイニングにごちそうが用意してあるの。……って言っても、そのへんで買ってきたものばかりだけれど」
そのあとは三人と三匹でお祝いをした。
星獣たちの栄養は自然界にある星神力だ。食事をする必要はないのだが、食べようと思えば食べられる。レグルスは骨付き肉、ミモザはクッキーをそれぞれ頬張り、パーティーに参加してくれた。
(あとはスピカ……あなたがいてくれれば……)
死因に深く関わっていたとしても、セレストの中にスピカを恐れる気持ちは少しもなかった。恐ろしいのは彼ではなく、彼を操った力だ。
フィルとドウェインはその日の遅くまで酒を楽しんでいたが、セレストだけは夜になったら早々に退席を促された。まだ子供だから、早寝早起きを心がけろというのだ。
セレストは新しい家の私室でカーテンを開け、星を眺めながら眠りについた。
十一歳になったら会えるはずのスピカのことを思いながら……。
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