第3話 お母さまのつみれ汁(2)

「材料を集めてきました」


 夜闇を切って着地する、小麦色の見事な筋肉。

 両腕にわんさとお魚を抱えたお母さま。


 お屋敷の裏庭、草木がうっそうと茂った夜の森。わたしはお屋敷の柱に背を預け、土の地面に足を投げ出して座っています。


「ごめ、なさい……。わざわざ……」

「謝る必要はありません。弱き者に分け与えてこその、強き者。それに、今は非常時です」


 強き者は弱き者に与えて当然。


 弱き者に求められたならば、強き者はその望みをつつがなく叶えなければならない。それがこの世界の常識、強者の在り方。頭の中の記憶とは、強者の理論が全く違うのです。


 お母さまは抱えていたお魚を地面に置き、


「言われた通り魚は血を抜いてきました。しかし、いいのですか? 血は力になるのですよ?」

「はい……。まずは、作業台を……」


 わたしがお母さまに伝えたのは、お料理のやり方。


 頭の中の記憶のことを話して、もし嫌われてしまったら。でもそれ以上に、死んでしまうのが恐い。今のわたしには、他に手段が無いのです。


 しかし、食材は揃っているようですが、それを調理する道具が無いような。しっかり説明したつもりだったのですが、やはりこの世界の環境とお母さまのお脳には難しいことだったのでしょうか。


 わたしが疑問に思っていると、お母さまが帯からじゃらりと何かを取り出しました。それはお屋敷の灯りになっている、親指の先くらいの平たい石。しかし、色が赤だけではないような……。


 不思議に思ったわたしの目の前、


「っ……?!」


 突然、石がふわりと宙に浮きました。赤、青、黄、白、灰色。お母さまの右手を中心に、五色の石がまるで衛星のようにゆっくりと廻り始めたのです。


「始めます」


 お母さまが黄色い石をかざした瞬間、ずずずとせり上がってくるお庭の地面。


「お、お母さま、それは……?」

「アン、それよりも今は指示を」

「はい……」


 お母さまが手で均すと土の表面がツルツルに、一瞬で作業台が出来上がりました。どういう原理なのでしょう、今ではその材質が土ではなく石に変わっています。


 五匹のお魚とほんの少しのお塩。お母さまは材料を台の上に置き、右手に青と灰、二つの石を纏わせました。


 すると、灰色の石は鋭利な刃物に変形し、青い石からは大きな水球が出現。お母さまは刃物でお魚の腹を裂き、内臓を取り出し、水でその肉を洗っていきます。


「直接火に当ててはいけないのですね?」


 わたしは頷いて肯定。本当は熱湯をかけて霜降りをしたいところなのですが、今はその時間すら惜しい状態。もう声を出すのも限界になってきたのです。


 次に、お母さまは魚の骨、アラと呼ばれる部位に赤い石を近付けました。よく分かりませんが、魚の焦げた香りがするので、確かに炙られているようです。


 それが済むと、お母さまは残った切り身を徹底的に切り刻み、塩をふり、拳で殴打。粘りが出てきたところでひと口大に丸め、どんどんお団子にしていきます。


「次は壷を火にかけて、熱する……」


 お母さまが呟くと、右手の刃物が一瞬で膨張変形。寸胴鍋に姿を変えました。質量保存の法則とかどうなっているのか気になりますが、わたしには今その余裕が無いのです。


 指揮者のように動く、お母さまの右腕と指先。その動きに従うように、台の上に浮いていた水球が鍋に吸い込まれていきます。お母さまはお魚のアラを鍋の中に投入し、宙に浮いた鍋と台の隙間に赤い石を滑り込ませました。


 しばらくすると、鍋から湯気が上がり、裏庭にお魚の香りが漂い始め、


「沸騰したところで弱火にし、肉を……」


 お団子を入れ終えたお母さまの指先に浮かぶ、白い石。お母さまが指をくるくるまわすと、石から糸のようなものが生まれ、紡がれ、何かを形作っていきます。


 それは絹糸のような光沢を放つ、白い匙。


 その匙でアクをすくい、お母さまは地面に捨てました。最後に、鍋に少しだけお塩を入れ、


「肉に熱が入ったようです。これで完成ですか?」

「はい……。完成、です、お母さま……」


 お母さまに作ってもらったのは、アラ出汁のシンプルなつみれ汁。わたしがこの世界にあると知っている物で作ってもらった、今のわたしの限界のお料理。


「さあ、アン」

「いた、だきます……」


 白いお椀に盛られたつみれ汁。お母さまからそれを受け取ろうとして、わたしは愕然としました。


 腕が上がらないのです。


 それを察したお母さまは手ずからすくい、匙を差し出してくれました。


「あり、が、ございます……」


 わたしは匙に口を付け、ズズッと口にし、


「えほっ! えほっ!」


 咳き込んでしまいました。「落ち着いて」と、もう一度差し出された匙を、今度こそとゆっくり口に含み、


「ふ、わぁー……」


 口内に流れ込む、熱を伴った液体の感覚。じんわり舌に染み込んでいく、いい感じの塩気。口の中に広がるお魚と海草の風味。海の香り。


 この世界の食べ物がマズイとかじゃありませんでした。わたしたちの舌がおかしいとかじゃありませんでした。生臭くない、食べにくくない。身体が嫌がらない。


 そう、これが、


「おいしいです……」


 ちょっとクセがありますが、立派なすまし汁。


 わたしの胸巻きに腰巻きに、ぼたぼたと落ちて染みを作る大粒の雫。涙に鼻水にヨダレに、わたしの顔面がありとあらゆる液体を放出しているのです。わたしは頭の中の記憶にある料理と言う情報を、生まれて初めて体感出来たのです。


 お母さまは腰に挟んであった布でわたしの顔を拭い、


「さあ、肉も食べねば」


 肉をすくった匙を差し出してくれました。


 グスッと鼻をすすり、わたしは食事を再開。ほふほふ、と口全体で熱を感じながら、つみれにかぶりつきます。もちっとした舌触りとむっちりした歯ごたえがわたしのお脳を刺激し、またも涙腺が崩壊。


「おいしいでしゅ、ありはほうほさいまふ。ありはほうほはいはふ、ほはあさま……」


 これが食事。これが肉を食べる喜び。噛めば噛むほどお魚の味がしみ出して、塩気がおいしくて、何より温かくて……。


 気付けばわたしは自分の手で匙を使い、つみれ汁を頬張っていました。


 夢中でかきこんで、顎を動かして、飲み込んで、またかきこんで。汁をすすり肉を噛んで、また汁をすすって。お椀いっぱいのつみれ汁は、あっと言う間に無くなってしまいました。


「ご馳走さまでした、お母さま……」

「よかった、もう大丈夫のようですね」


 涙でぐしょぐしょになった腰巻きの上にお椀を乗せ、わたしはぐでんと脱力。そんなわたしを見て、お母さまはほっとひと息。


 じわじわと身体に満ちていく温かな感覚に、わたしはうっとりと浸りました。本当に生まれて初めて、満腹感を味わったのです。身体もある程度回復したようで、やはり食事は偉大なのです。


「お母さま、お母さまも食べてみてくださいますか?」


 少し回るようになった頭で、わたしはお母さまに提案しました。お母さまがお料理を気に入ってくれたら、無駄なものではないと判断してくれたら。そして何より、このおいしさをお母さまと共有したいのです。


「ええ、せっかくです。私もいただきましょう」


 お母さまは優しく笑って立ち上がり、台の前へ。鍋から汁を匙ですくい、興味深そうに眺め、それから口を付けました。


「海水、ではありませんね……。きれいに魚の味だけがします。生臭さの無い、純粋な……」


 やっぱり……! この世界の人間は味覚が崩壊しているのかもと不安で仕方なかったのですが、それを知らなかっただけで、感覚はあったのです。


 匙を手に何かを考え始めたお母さまに、わたしは顔を上げ、


「うまあじです。お母さま……」

「うまあじ……」


 うまあじの余韻に浸っていたのでしょう、しばらく動かなかったお母さまが、今度は肉をすくい、口に入れました。


 もぐもぐと肉を咀嚼し、やがてその動きが緩慢になり、ぴたりと停止。お母さまの手からするりと滑り落ち、こつーん、と台の上に落ちる白い匙。


 瞬間、お母さまが鍋に頭を突っ込みました。


 そのまま鍋を抱え込み、たまに顔を出し、腕を使ってつみれ汁を口の中に詰め込んでいきます。リスのようにめちゃんこ頬を膨らませて、とにかく鍋の中のものをガブガブとかき込んで。


 うぅわ、ワイルド。


 お母さまは中身全て飲み干すように鍋を持ち上げ、あー、もうあれ被っちゃってますね。鍋からはみ出た髪の毛がぶるんぶるん揺れてますので、間違いなく舐めてます。


 もう中身が無くなったのでしょう、お母さまは鍋から顔を出し、ほぅと、ひと息。


 寸胴鍋を抱きしめ、お母さまは夜空を仰ぐような姿勢で硬直。辺りはもう真っ暗ですが、何故だかお母さまの周囲だけキラキラ輝いているような、そんな雰囲気が漂っています。


 しばらくして、はっ、と我を取り戻したお母さまが、


「しまった! 私としたことが! アンの食べる分が!」

「わたしはもう大丈夫です。そんなにたくさんは食べられませんから……」


 わたしの返答に、お母さまは安心したように微笑んでくれました。直後、感情を切り替えたように真剣な眼差しで鍋の底を睨み、


「殺した魚をわざわざ解体して、正直、何の意味があるのか疑問でしたが……」


 お母さまは食べたばかりだと言うのに、口の端からだらっだらヨダレを垂らしながら、


「口の中が温かく、とても楽しい。これは、いいものですね」







「ありがとうございます、お母さま。ご馳走さまでした……」


 自室に運ばれたわたしは、改めてお布団の上でお礼を言いました。お母さまは枕もとに正座し、かけ布の上からわたしのお腹を優しく撫でて、


「明日の朝、またあれを作ります。たくさん食べて、たくさん強くなるのですよ」

「よ、よろしいのですか?」

「強き者は弱き者に与えて当然。それがこの世の倣いです。それに、私はあなたの母親です」

「お母さま……」


 よかったです、勇気を出して打ち明けて。お料理も気に入ってくれたようですし、本当によかったです。あと鍋に頭を突っ込んだおかげでお母さまからめっちゃお出汁の匂いがするのでお風呂してきた方がいいと思います。


「時に、アンデュロメイア」

「はい」


 わたしがほっとしていると、お母さまは姿勢を正し、


「あなたはどうやってあの方法を知ったのですか?」



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