第95話 熱導回路都市ヴァヌーツ(4)

「ご要望通り、近くの奴等を集めました」

「ありがとうございます、ツェンテさん」


 太陽がギラギラ輝くお昼過ぎ。

 ヴァヌーツ都市部の外縁、樹園地帯のその外れ。


 わたしとヴィガリザさまの前には十人弱の男の子やお兄さん、ヴァヌーツの男衆がお行儀よく正座しています。


 ツェンテさんとお会いして気になったことがあり、ヴィガリザさまに具申し、ツェンテさんたち島の男性に集まってもらったのです。近くにいて、まだ起きている男性だけ、という条件で。


「して、アンデュロメイア様。俺らにどのような御用でしょう?」


 わたしはわくわくした様子のツェンテさんに申し訳ない気持ちを抱きつつ、隣に立つヴィガリザさまに相槌を打ちました。


 ヴィガリザさまは、ニコニコ笑顔で座るツェンテさんを冷ややかな目で見下ろし、


「ツェンテ、ちょっと上着脱いでみな」

「え……」


 その要求に、ツェンテさんは驚きのち困り顔。


 猫のように目を細めてしゅんとした後、観念したように立ち上がり、着物を脱ぎました。あらわになったツェンテさんの上半身、見事に引き締まった筋肉。そこに刻まれたものを見て、わたしはやはりと思いました。


 胸元からお腹にかけて、裂けたように走る痛々しい傷跡。その他にも、腕や肩に引きつったような跡がいくつも残っています。


 この世界の男性は女性よりも厚着する人が多く、上半身には必ずといっていいほど着物を羽織っていました。でもそれは、シグドゥとの戦いで負った傷を人目に晒さないためだったのです。


「ツェンテ。お前、生きて戻れたのか……」


 ツェンテさんの傷を確認したヴィガリザさまが、震えるような声を発しました。そして、


「他にもいるのか!? 生きて戻ッたヤツは立て!! 今すぐ!!」


 怒りを含んだ命令に立ち上がった男性は二人。一人はわたしより小さな男の子です。


 ツェンテさんは唇を噛み、とても悔しそうなお顔で地面を睨みながら、


「母から頂いた体に傷を付けてしまいました。申し訳ありません……」

「そういうことを聞いてんじゃあないッてえのォ!!」


 ヴィガリザさま、再びの怒声。巻き上がる砂と、ビリビリ震える周囲の空気。それでも男の子たちはケロリとした様子で、


「怒られちゃったなあ」

「俺ら、もうちょい上手くやんなきゃなあ」


 のほほんとした雰囲気の男衆を見下ろし、ヴィガリザさまはワナワナと体を震わせ、


「もういい! お前らは寝ろッ!」


 そう言い放ち、居住区の方に跳んでいってしまいました。筋肉。わたしは背後で待機していたイーリアレの背によじ登り、しょぼんとしたツェンテさんに頭を下げて、


「みなさん、お騒がせしてすみませんでした。もうお休みになってくださいね」







「リガァ!!」

「母様、どうしたの? 怒鳴り声が聞こえたけど」


 ヴィガリザさまの後を追い、わたしたちは急いで居住区に戻りました。イーリアレが幕屋の前に着地すると、ヴィガリザさまが丁度リガニアちゃんを呼び止めていたところで、


「イリギアとレジレッダは何処だ!? アイツらの息子のことで話がある!」

「浜よ」

「分かッた!」


 空に向かって再び跳躍。筋肉。


「ちょっと、ゼフィリア!」


 イーリアレの背中から降りたわたしに、リガニアちゃんがどすどす詰め寄り、


「何があったの? やめてよね! 怒ると何するか分からないんだから、母様は!」

「あ、そのですね……」


 わたしはしどろもどろしながら、リガニアちゃんに事情を話しました。わたしがツェンテさんの傷に気付いてしまったこと。ヴィガリザさまがそれを知ったこと。


 わたしの話を聞いたリガニアちゃんは、ショックを受けた様子で、


「ツェンテにいが……」

「リガニアちゃん……」

「そんな、私、気付かなかっ……」


 震える唇に指を当て、その手をぎゅっと握りしめて、


「母様が怒るのも、無理ないわね……」

「すみません。わたし、どうしても確認せねばと……」

「いいのよ。母様が一番怒ってるのは、母様自身にだから……」


 頭を下げたわたしにリガニアちゃんが初めて見せてくれた、哀しい笑顔。リガニアちゃんは赤色のまつ毛を伏せたまま、わたしにあることを話してくれました。


 それはリガニアちゃんがまだ小さかった頃、リガニアちゃんのお父さま、ヴィガリザさまの旦那さまが生きていた頃のお話。


 ヴィガリザさまは旦那さまが大好きで大好きで大好きで、起きている間はとにかく旦那さまにベッタリの、いつでも笑顔なゴキゲン生物だったそうです。え、マジですか?


 夜寝る時も幕屋で寝ず、旦那さまに我儘を言い、浜で寝ていたそうで。それはこれ以上ないほど、安心する夜の過ごし方だったのでしょう。


 でも必然、その時が来てしまった。


 ある夜、島中に響き渡った悲鳴。リガニアちゃんが飛び起きると、隣で寝ていたはずのヴィガリザさまが大声で泣きながら、沖に出ようとしていた。


 そう、旦那さまが海に向かってしまったのです。


 当然、ヴィガリザさまは何事かと駆け付けた島の人に取り押さえられてしまった。全身を鎖で縛りつけられ、その行動を封じられ、陸に繋がれた。ヴィガリザさまは、それでも叫ぶのを止めなかった。


 ヴィガリザさまの絶叫は、男衆が旦那さまの死を伝えるまで、何日も続いたのだそうです。


「父様が亡くなってからしばらく、母様は私を抱いて離さなかった……」


 大切なものからは、もう二度と目を離さない。


 この世界の人は憤りを覚えた時、他人を責めず、まず自分に向けてしまう。ヴィガリザさまは、旦那さまから目を離した自分を責め続けたのだそうです。


 ヴィガリザさまが気付かなかったのは、きっと安心しきっていたから。旦那さまは海に向かうより、陸で自分と生きることを選んでくれると。そしてヴィガリザさま自身、旦那さまが大好きな自分を信じていたから。


 でも事実、気付けなかった。


 そしてまた、今回も……。


「ごめんなさい。わたし、本当に余計なことを……」


 ツェンテさんたちが隠していた負傷。男衆に入浴の習慣が広まる前は、ヴィガリザさまも気付けていたそうです。でも、ツェンテさんたちが自分たちの身だしなみを徹底したことで、血の匂いが消えてしまった。


 なによりツェンテさん自身、島の人を心配させないよう平静を装っていたのもその理由。


 事は人の生き死に、島の存続に関わることだから。そう思ってしたわたしの行動が、ツェンテさんたちを、ヴィガリザさまを深く傷付けてしまうとは思わなかったのです。


「リガ」

「お帰り、母様」


 わたしが後悔の念で一杯になっていると、ヴィガリザさまが戻ってきました。ヴィガリザさまは憮然としたお顔で腰に手を当て、


「今日はアンタも海に出な。アッタシはこの娘と話があッから」

「分かったわ、母様。じゃあね、ゼフィリア」


 言い付け通り、リガニアちゃんは海の方へ。筋肉。


「ふー……」


 ヴィガリザさまは大きく息を吐き、それから橙色の瞳でわたしを睨み、


「アンタの考えてること、ちッがうか。アンタの思想、詳しく話しな」







 火込め石の灯りに照らされる、幾何学的な紋様の織物。

 所狭しと床に散らばっている、ふかふか大きい白いクッション


 ヴィガリザさまの寝起きする幕屋。

 わたしは床に敷かれた絨毯の中心に正座し、話を終えました。


 ヴィガリザさまは大きなクッションに深く身を沈め、足を組んだ姿勢で、


「よッく見て、よッく考えてる。レイアの娘とは思えないくらいね」


 ヴィガリザさまにお話したわたしの動機。


 それはお母さまにも、ナノ先生にも打ち明けたことのない、わたしのわだかまり。わたしがこの世界の男性に対して抱いていた気持ち。


 あの人たちは自分たちの命を蔑ろにし過ぎている。


 個人の感情に左右されず、総体的な被害を第一に考え、そのために自分が死ぬことをいとわない。それがこの世界の男性という生き物。


 でも、わたしは信じたいのです。


 誰だって、死にたがってなどいない。


 それは、弱り切って死にかけたわたしが、一番よく知っていることなのですから。


 わたしの話を聞き終え、しばらく考え込むように黙っていたヴィガリザさまは、やがていつもの諦めたような調子で、


「理ッ屈じゃないからなー……」


 白いクッションに頭を預け、火込め石の浮く天幕を仰ぎ、


「強いヤツはさ、背負えちゃうからさ、そもそも加減ッてモンを分かッちゃいねーのよ。自分が抱え込んだモンの重さに耐え切れなくて潰れそうになッても、全然気付かねーでやんの。隣にいるアッタシ達の気持ちなんか、これッぽッちも考えねーでさ……」


 ヴィガリザさまは、深い深いため息を吐いて、


「誰だッて、死にたくなんかない、か。ホントにそーかねー……」


 空気に消える、ヴィガリザさまの冷たい声。

 幕屋に流れる行き止まりの時間。


 そんなヴィガリザさまと二人、わたしが幕屋の中心で途方に暮れていると、


「爺ちゃん! 爺ちゃん!」

「爺ちゃんさ! 爺ちゃんが来たんだよ!」

「あらん、もー! みんな元気そうでよかったわァ!」


 幕屋の外から男衆の元気な声が聞こえてきました。アルカディメイアで馴染みのあったその騒ぎにわたしが顔を向け、


「あやー、ヴァヌーツでもやはりご老人が人気なのですねえ」


 あんなことがあった後も平常運転。やっぱりこの世界の男性はお脳というか精神構造がズレまくっていると思います。


 ていうか何でしょう? オネエ言葉のバリトンヴォイスが聞こえたような……。


 わたしが微妙な顔で首を傾げていると、


「いや、ゼフィリアじゃないんだしさ、陸にお爺ちゃんがいる訳ねーじゃん。ヴァヌーツにゃお婆ちゃんしかいッないよ」

「え?」


 きょとんとするわたしを前に、ヴィガリザさまは絨毯の上をお行儀わるくゴロゴロ転がり、入り口の方へ。幕から外をちらりと覗きました。


 そして、困ったように頭をかいて、


「はあ、ヤッベー。ローゼンロール様じゃん」


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