第94話 熱導回路都市ヴァヌーツ(3)
ジリジリと肌を焼く中空の太陽。
チリチリと砂を舞わせる、熱をはらんだ砂漠の風。
目の前には下生えの少ない木々の並び。ゼフィリアとは違う、背の低い、だけど濃い緑の植物たち。
議事堂での朝食を終え、わたしたちは居住区の外縁にやってきました。ヴァヌーツ都市部の構造は環状になっていて、貯水池の外縁を住居が囲み、そのまた外縁が森林地帯になっているのです。
「凄いですね、こんな砂漠でもこんなに植物が育つのですね」
「はい、ひめさま」
引き続きましてのヴァヌーツ見学。わたしとイーリアレが都市部との境界に沿って歩き、のほほんと植物を眺めていると、
「あ、あの、アンデュロメイア様……」
「ほえ?」
遠慮しがちな呼び声が聞こえ、わたしたちは砂を踏む足を止めました。声の主を探しきょろきょろすると、一人の男性が木の幹から半身を出しています。
赤い髪に切れ長で橙色の瞳。
チョコレート色の肌に朱色の着物、細袴。
アルカディメイアに就学していたお兄さん、ヴァヌーツのツェンテさんです。
「お久しぶりです、ツァンテさん!」
「ご無沙汰しております、アンデュロメイア様。ようこそ、ヴァヌーツへ。ご挨拶をせねばと思っていたのですが、お忙しそうでしたので」
「いえそんな、ご丁寧にありがとうございますです。ですがあの、そんな距離を取られるとやりにくいといいますか、どうしたのですか?」
「その、申し訳ありません。俺らは臭い生き物なので……」
「大丈夫です、ツェンテさん! 大丈夫ですから!」
どずーんと暗くなったツェンテさんに、わたしは両手をわたわたさせ慌ててフォロー。ツェンテさんは入浴などの流行に乗り遅れてしまったのを、まだ引きずったままのようです。
「今はもう全然気にならないというか、お日様の匂いみたいで逆に安心できると思うのです! ね、イーリアレ?」
「はい、ひめさま」
「そ、そうでしょうか。一応、最低限の身だしなみは男衆に広め、皆で気を付けてはいるのですが、すみません……」
と、木陰から姿を現したツェンテさんを見て、わたしは、おや?と思いました。
違和感を覚えたのはツェンテさんの服装。ゼフィリアほどではないですが、ヴァヌーツの男性も上着をはだけさせた着こなしであったはず。ですが今はきちんと襟を合わせているのです。
それも身だしなみなのでしょうかと考えるわたしに、ツェンテさんはようやく普段の調子を取り戻した様子で、
「改めまして、アンデュロメイア様にお礼申し上げたく。石作りの講義のことで」
「講義?」
はて、いまいち要領を得ないツェンテさんのお礼に、わたしは首を傾げました。ツェンテさんはわたしの講義には一度も出席していなかった筈なのです。
わたしは不思議に思いながらも傾げていた首をもとに戻し、
「わたしの講義内容をご存知だったのですか?」
「はい、毎回欠かさず聴講させていただきました。去年アルカディメイアにいた男衆は皆夢中でしたよ。演算方法をきちんと陳述し、それを広めている女性がいる、と」
「ほえ……?」
わたしはその言葉にしばらく硬直し、は、と思い出しました。確かに、講義では防音の風込め石を使っていなかったのです。であれば、聴力がめちゃんこ凄いこの世界の男性にはほぼ筒抜けだった訳でして。
ツェンテさんに初めて声を掛けられたのは講義棟前の掲示板近く。あの時のあの質問は、わたしの講義をちゃんと聞いてくれていたからだったのです。
未だ硬直したままのわたしの前で、ツェンテさんは帯から青い石を取り出し、
「それでその、生活用石作りの添削をお願いしたいのですが」
「は、はい! 勿論ですとも!」
わたしは喜びと共に硬直から脱出。
序列にも結び付かず、わたし自身、自分の研究に自信を失いかけていたところで、まさか男性の間でこんなに評判になっているとは思わなかったのです。
わたしがウキウキになってその場に正座すると、ツェンテさんも向かいにお行儀よく座りました。それでは石を拝見です。
「いかがでしょう?」
「これは、おおー……」
チョコレート色の手の平に乗せられているのは、かなりタイトに組まれた生活用水込め石。
込められている情報はヴァヌーツらしく当然数式、ツェンテさんの石作りはどうやらわたしのものに近いようです。あと物凄い几帳面と言うか、細かいところを全部気にするカッチカチな性格のようです。
「もしかしたらですが、ツェンテさんには二進法が合ってるかもしれませんよ?」
「それは思考言語を数列表記にして石に仕込む、ということでしょうか」
「その通りです」
この世界でのものの数え方は、頭の中の記憶と同じ十進法。しかし、わたしが石作りに仕込んでいる公式は頭の中の記憶のプログラミング同様、十六進数で組み立てているものがあるのです。
「いいですね。言葉や映像は情報密度が高く、石作り向けなのですが、機能を限定するならやはり数字ですよ。そこらの組み合わせはクルキナファソが得意なのですが……。ああ、クルキナファソと言えば思考を拡散してしまう女の子、あの子はかわいそうでした」
「クルキナファソのテーゼちゃんですね?」
わたしが確認を取ると、ツェンテさんは「ええ」と頷き、
「クルキナファソの奴らが随分気にしていました。近付くとあの子が悲しむ、あれでは魚を届けることもできないと。俺も意図せず思考に触れてしまったことがありますが、極めて高度な演算処理をしていました。まずその速度が素晴らしい。あの子なら、数字や立体模型を用いた石の総合公式を組み立てられるかもしれません」
「えあー、そのー、それはわたしも期待しているのですが、そのー……」
わたしは口元をむにゃむにゃさせながら、桃色髪の問題児を思い浮かべました。
ナノ先生からの定期連絡でテーゼちゃんの現状を聞いたのですが、クルキナファソに任された通信用の石作りにはもう金輪際触らないと駄々をこね続けているそうで。今はもう総合公式どころか喧嘩に使う石くらいしか興味がないっぽいのです。
本人にやる気が無いのであれば仕方がありませんが、本当に、心底勿体ないと思います。テーゼちゃんとの初喧嘩でわたしが看破したダメな子オリジナルの陽岩ですが、あれも実は凄い技術なのです。
一見すると、アーティナの浮遊立方体石にしか見えませんが、工夫が凝らされているのはその内部で、火込め石と水込め石の式を代入した溶岩流を常に生成し続ける、という代物。
イメージとしては、火山でしょうか。
立方体に火道を開けることで外部との圧力差を作り、内部溶岩を一斉に発泡、体積を増加させる。これを噴出、推進力にすれば空を飛べるんじゃね?という発想がまずブッ飛びもんです。
ここまでならわたしにも模倣が可能なのですが、それだけではないのがテーゼちゃんの石作り。テーゼちゃんはこの陽岩を大型マニピュレーターのように変形させ、打撃にも使用したりと、とにかく凄い使い方をするのです。
ツェンテさんは激シブ顔になったわたしに、「話が逸れましたね」と少し笑ってから、
「持久性ですが、永続的な活動を仕込むなら円周率はどうでしょう」
「それはわたしも考えたのですが……」
ツェンテさんが言っているのは、割り切れない数字。円周率を設定数値に代入することで、その桁の回数分コマンドを実行させる、という試み。そうすれば石の耐用年数や変形回数が無限になる、はずなのです。しかし……、
「わたしが仕込んでも上手く石が作れなかったのです。仮想環境を想定した数式を入力するのは避けた方がいいかもしれません」
「では、不必要な情報はあえて削って入力しない、ということですか?」
「その通りです。その方が耐用年数が伸びる結果が多かったのです」
「流石です。生産数が多いからこそ出来る検証法ですね」
ツェンテさんを相手に、わたしは石作りの話にのめり込んでいきました。石の性能は読んでも、その組成まで興味を持ってくれる人間は少ないのです。ちな、イーリアレはわたしの隣に正座し、ほけーっと放心中。
「ちょっと漠然とした説明になりますが、ツェンテさんのように情報の粒を揃えて石に込める人は、その組み合わせを簡略化させた方がいいと思うのです。構築した数式を核として仕込み、単一機能化させてしまうのが最も安定するのではないかと」
「核、そうか……」
何か気付きを得たのでしょう。ツェンテさんは水込め石を帯に挟み、空になった右手をじっと見つめ始めました。
「桁が増えても単純化した数列なら展開力も精度も上がる。余裕は全て状態関数の演算に回せる。これなら揺らぎや隙間、曖昧さを残しても……」
ツェンテさんは一度目を閉じ、右手を握り、
「本質は変わらない」
再び開いた手の平には、ひとつの小さな青い石が生まれていました。
ツェンテさんは自分の作り出した石を見て、その表情をパッと輝かせ、
「驚きましたよ、これなら日に二つは作れそうです。ありがとうございます、アンデュロメイア様」
「よかったです」
へにゃりと笑うツェンテさんに、わたしもほっこり。ヴァヌーツの男性はとても親しみやすい性格の持ち主で、世界中の女性に人気が高いのも頷けます。
ツェンテさんは、今度は真面目なお顔で水込め石を握り、
「島の、人の役に立ちたいと、せっかくアルカディメイアに行ったのに。正直、周囲の変化に付いていけませんでした。俺は、俺は何も会得することが出来なかった……。本島に戻ってからも、せめてこれくらいはと努めてきたのですが……」
「ツェンテさん……」
ツェンテさんの打ち明けてくれた葛藤に、わたしは深い共感を抱きました。
人の役に立つ人間に。それは、自室のお布団で横になることしかできなかったわたしが、ずっと願い続けてきたこと。
肉の質が違うから、生活する時間帯が違うから。この世界の男性のことを、わたしはいつの間にか別種の生き物だと思い込んでいました。ですが、ツェンテさんたち男性も、やはりわたしと同じ人間なのです。
温かい安心を覚えたわたしの目の前、ツェンテさんはすくっと立ち上がり、眩しい日差しを受けながら、
「ありがとうございます。こんな俺にも島の、ヴァヌーツのために出来ることがある、それが嬉しいんです」
「はい……!」
それから、ツェンテさんは猫のように目を細め、本当に嬉しそうに笑って、
「これで、心置きなく死ぬことが出来ます」
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