第96話 紅海のローゼンロール(1)

「ハァーイ、ヴァヌーツ! 元気してたかしらー!?」


 ヴァヌーツ都市部の昼下がり。

 貯水池と居住区の間に広がる喧嘩場にて。


 ヴィガリザさまからお客さまの説明を聞き、それではご挨拶、と幕屋を出たわたしなのですが……。


 広場に居たのは満面笑顔のヴァヌーツ男性陣、そして大勢の子供を体に張り付けた一人の人物。というか、大量のコアラが抱き付いた木にしか見えません。


 ヴィガリザさまはコアラの塊を前に、一度ため息を吐いて、


「ハイハイ、もうおもてなしは終わッたろー? 大事な話があッから、アンタ達はまた後でなー」


 ヴィガリザさまがそう告げると、「爺ちゃん、またあとでねー!」「お爺様、またのちほど!」と子供たちが一瞬で散っていきました。筋肉。


 コアラ塊から現れたのは、中性的なフェロモンを妖艶に発する一人の男性。


 片側だけ伸びた前髪と片側だけ編み込まれた銀髪。

 切れ長の青い瞳に艶のあるチョコレート色の肌。

 上半身をはだけさせた朱色の着物と細袴。


 ソーナお兄さんのようにモリッとはしていませんが、頭の中の記憶のアスリートのように引き締まった筋肉の、長身の男性。


 この方が五海候、紅海のローゼンロールさま、その人。


 ローゼンロールさまは流れるような動きで右手を挙げ、


「ハァーイ! ヴィガリザちゃん、久しぶりー! 相変わらずダルそうねェ! あらん、お隣のカワイ子ちゃんは誰かしら!?」

「ハイハイ、お久しぶりですローゼンロール様。えー、こッちはですね……」

「待って待って、当てて見せるわ!」


 ヴィガリザさまの紹介を遮ってから、嬉しそうに顎に手を当て、


「デイローネちゃんそっくりのお顔にゼフィリアの着物。アナタ、カッサンディナちゃんの娘ね!?」


 バキューン! と言った感じでわたしを指差しました。テンションたっか!


 わたしは大外れした予想に何だか申し訳ない気持ちで、


「えあー、すみません。わたしのお母さまはヘクティナレイアの方でして……」

「あら? おかしいわね。ヘクティナレイアちゃんに子供がいたなんて、メナ君スナ君からはなーんにも聞いてないわよ?」


 あらあら? と、腕を組んでしまったローゼンロールさまに、わたしはぺこりと頭を下げまして、


「お初にお目にかかります、ローゼンロールさま。わたしはゼフィリアのアンデュロメイアと申します」

「メイちゃん……? ははーん、デンさんがアルカディメイアで会った子って、アナタね?」


 ローゼンロールさまは両手の指でわたしをバキューンしながら、片目をつぶってバチンとウィンク。うーん、インパクトォ!!


 わたしがローゼンロールさまのノリと勢いに若干引き気味でいると、


「ウッチの若い子が色々してくれたと思いますけど、ダイジョブでしたー?」

「モッチロンよォ! みんなかわいくって、お爺ちゃん困っちゃったわァ!」


 ヴィガリザさまの質問に、ローゼンロールさまは艶めかしくポージング。うーん、やってることはフハハさんと似たようなアレですが、ローゼンロールさまはめちゃんこカッコ渋イイお声で、一周回って違和感ないのがスゴイと言いますか……。


 セクシーポーズをキメ続けるローゼンロールさまを、ヴィガリザさまは心底どうでもよさそうなスーパーマイペースっぷりで、


「風呂には入りましたー?」

「ええ! イイわねェ、アレ! トーシンの温泉もイイけど、見て、髪もお肌もツヤッツヤよ!」

「着物も新調しましたー?」

「ええ! ご覧の通り新品サラッサラ! もうアタシどうにかなっちゃいそう!」

「じゃーもー、サッサと海に出てくれませんかねー」

「いえその、ヴィガリザさま……」


 ヴィガリザさまははっきりものを言う人なので、ザックリし過ぎて誤解を招いてしまうような。その証拠に、ローゼンロールさまが笑顔で硬直しています。


「この際だからハッキシ言ッとくとですねー。ローゼンロール様達が陸に上がッと、アッタシ達が困るんですねー」


 慇懃無礼にも程があるヴィガリザさまの畳み掛けに、ローゼンロールさまは硬直解除。その青い瞳をウルウルさせ、頭の中の記憶の少女マンガに出てきそうな仕草で、


「そんな! どうしてなの!? またアタシだけ仲間ハズレにして、酷いじゃない!? 十年前だってそうよ! あのうるさい爺さん、アタシにだけ声掛けないで! 最近じゃジットくんみたいな若い子囲って何かしてるのに、アタシだけ呼んでくれないの!」


 内股になった足をガクガクさせ、顔を覆っておいおい泣き始めてしまいました。


 ヴィガリザさまはいつも通り、気だるげなお顔をわたしに向け、


「なー? 島主ッてメンドくせーしょ?」

「いえその、ヴィガリザさま……」







「もー、ヤダわー。アタシったら早とちりしちゃって。ごめんなさいねー」

「えあー、仕方ないかと……」


 そんな訳で、わたしたちはヴィガリザさまの幕屋に移動。ローゼンロールさまを上座に、絨毯の上で向かい合って正座しています。


 わたしは取り繕うような笑顔で返答しながら、横目でチラリ。責任者であるはずのヴィガリザさまは、クッションを抱き枕にしてダラーッと省エネモード。これはその、わたしにお相手をせよ、ということなのでしょうか。


 しかし、リルウーダさまの言う通り、ローゼンロールさまは五海候の中ではダントツに親しみやすいお方だと思います。ですが、気になることがたったひとつ。なので、ぶっちゃけ聞いてみることにしました。


「えー、ローゼンロールさま、あの、何故女性のような口調なのでしょうか?」

「あら、おかしい?」


 ローゼンロールさまは胡坐をかき、はがね製の肘掛けに体重を乗せた姿勢で、


「ワタシにだって母がいたのよ。母がいて、姉がいて、アタシは女に育てられた。人間はみーんな女性から生まれるの。だから口調が同じになったっておかしくないでしょ? アタシが今ここにいるのは、全部母のおかげだもの」

「な、なるほど……」


 その理由を聞き、わたしはすとんと納得してしまいました。ファッションなどではなく、これがこのお方の自然体なのです。


「でも、もう大昔の話。えーと、アタシ今いくつだっけ?」

「ローゼンロール様のお歳ッてんなら、二千八百年になりますねー。二千八百と三十二年」


 やる気ゼロで床に寝そべるヴィガリザさまの返答に、ローゼンロールさまはその左手をイヤンさせて、


「はーもー、ヤダわー。桁ひとつ減らしてくれないかしら。それに歳取ると言葉が上手く出てこなくなるの。イヤんなっちゃうわよね、ヴィガリザちゃん」

「そッれがですねー、旦那のこと考えるとですねー。次から次に言葉が生まれてどーしよーもないんですよー。はーもー、死にたーい」

「相変わらずねー、アナタは」


 ローゼンロールさまはやれやれといったお顔をして、それから一変。


「でも、陸に寄れないのは困るわ。アタシだって水が無いと生きていけないのよ」

「ほえ……?」


 はて、と思います。紅海のローゼンロールさまは水込め石を極めた方と、ついさっき説明を受けたばかりなのです。


 首を傾げたわたしに、ローゼンロールさまは、「ははーん」と笑い、


「ヴィガリザちゃん的にどうなの? メイちゃんは」

「作る石は平凡以下なんですけどねー。この娘の強みは生産量と読解能力の方で、アッタシの知る限りじゃダントツですねー」

「凄いじゃない、ヴィガリザちゃんにそう言わせるなんて。だったらこうした方が早いわね」


 肘掛けに置いていた右腕を上げ、地面と平行にかざしました。


「メイちゃんの思ってる通り、アタシは水が得意なの。それでね、一番強い水はなにかしらって、そういう考えに取り憑かれてた時期があったの。アホウよね」


 その右腕、チョコレート色の肌がどんどん真っ赤になって、赤熱化していきます。わたしは立ち昇る紅蓮を前に眉をひそめ、


「血……。それを熱して、いえ、圧縮……?」

「そう、アタシが辿り着いたのは、人間の血液。この世で一番強いのはアタシ達、人間。だからアタシ達に流れる液体が、一番強い水。それを使えば、シグドゥを殺せる。それを燃やせば、シグドゥを滅ぼせる。だから、アタシはそれをやってるの」


 ローゼンロールさまの言う、燃える液体。本来の水込め石とは真逆の印象の力。わたしが思い浮かべたのは、頭の中の記憶にある化石燃料、石油でしょうか。


 しかし、それよりも……。


 わたしが目を奪われたのはローゼンロールさまの右半身。前髪を伸ばした片側だけが何倍にも膨れ上がり、やがて左半身へ。全身が天幕を突き破りそうなほどの巨躯へと形を変えてゆきます。


 それはまるで、頭の中の記憶の日本という国に伝わる、異形の姿。


 鬼。


 化物としか形容できない、その異様。


「ローゼンロールさまは、ご自身の体を……」

「その通り、アタシ自身が水込め石みたいなものなのよ。これが石作りの極致にして禁忌。本来なら破綻する筈の、人と石の同化、その境界の姿。でも、まだギリギリ人間でいられる。その最後の切っ掛けをくれたのは、アタシの先生」


 野太くなってしまったお声と、見上げんばかりの大きなお体。そして、石の仕組みと周囲の環境から逆算し、気付く。


「先生、クーさんですね? 自分の熱で肉が燃え尽きないよう、人という存在に影響を及ぼさぬよう、石に優先順位を設けさせた。だから、気込め石で織られた着物も、同じように燃えて無くならない」


 わたしが気付いたのはローゼンロールさまの衣服と、幕屋の空気。


 炎の化身になったローゼンロールさまが身に付けている、ぱつんぱつんになった着物。本来なら秒で消し炭になるはずの着物が、そのまま存在しているのです。


 更に、周囲の空気からはその膨大な熱量を感じるのですが、わたし自身の肌は少しも熱さを感じていないのです。これこそ、ローゼンロールさまの力がわたしたち人間に向けられたものではないという証左。


 ローゼンロールさまは、「まいっちゃうわ。ホントに鋭い子ね」と笑ってから、


「至紅化、なんて呼ばれてるわ。真似しちゃダメよ? こうなっちゃうとね、もう石自体作れなくなっちゃうの」

「いえ、常人に辿り着ける領域ではないと考えます」


 確かに異端。


 石は本来、人の内にあるものを外部に出力する技術。しかし、この至紅化は内部に向けて変質を促す力。人という情報リソース、そのキャパシティ全てを至紅化で上書きするようなもの。最早、石の出力は不可能な状態。


 加えて、石はそれを極めると他の用途の石を作れなくなってしまう。


 百聞は一見にしかず、と言いますが、ローゼンロールさまが普通の水を作れない理由が分かりました。


「はい、お披露目はここまでね」


 鬼のような造作のお顔で笑い、ローゼンロールさまは至紅化を解除。そのお姿がふしゅーっとしぼみ、もとのイケメンに戻っていきます。


「メイア」

「はい、ヴィガリザさま」


 わたしはヴィガリザさまの指示通り、周囲の空気を風込め石で入れ替えました。ひんやりと過ごしやすい気温になった幕屋の中、ローゼンロールさまは再び肘掛けに体を預け、


「そうね。じゃあアナタ達の言う陸の決まり事に関して、一度詳しく話を聞いておきたいのだけど」


 さて、本題です。わたしがクッション地帯に目を向けると、ヴィガリザさまがのそりと起き上がり、がりがりと頭をかいて、


「あー、そろそろかしらねー」

「そろそろ、とは?」

「言ッたッしょ。時差よ、時ッ差」


 緑色の小さな石を絨毯の上に置きました。


「アーティナよ。こっち昼って、向こう朝じゃーん?」


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