第97話 紅海のローゼンロール(2)
「あら、便利じゃない! いい石ねえ、流石ヘクティナレイアちゃんだわ!」
『お久しゅうございます、紅海のローゼンロール様』
音飛び石から聞こえるリルウーダさまのお声に、ローゼンロールさまは両手を合わせて喜色満面。
「ホントねえ。リルウーダちゃんは最近どう? 元気?」
『はい、娘に一人恵まれました。現在、島主の引き継ぎ作業のため世界の島を回っております』
「聞いてるわよ、ナーダちゃんって言うんでしょ? じゃあ、今度会いに行かなくっちゃ!」
『申し訳ありません、ローゼンロール様。陸には約束事がありまして……』
言い淀むリルウーダさまに、ローゼンロールさまはそのお顔を曇らせ、
「ええ、今日はそのことでお話があるの。ごめんなさいね、アタシたちが迷惑かけちゃってたなんて、知らなかったの」
『いえ、陸が勝手に決めたことです』
「いいのよ。アタシ達のいないところでも世界は動いてる、みんな生きてるんだもの。当たり前のことなのにね」
そんな感じで世間話を終えたローゼンロールさまは、リルウーダさま始めわたしたちのお話を、ひとつひとつ聞いてくれました。
音飛び石を介して行われる、五海候とわたしたち陸の意向、その擦り合わせ。
わたしたち陸の事情と取り決めですが、ローゼンロールさまたちにはぶっちゃけ千年以上もの間認知されていなかったようで、改めてこの世界の人たちの政治的なやりとりがガバガバだと実感しました。
スナおじさまが間に立ち、もう少し伝えていてくれたらと思うのですが、クーさんとのやり取りを思い出すに、おそらく無駄だと思い至りやめてしまったのでしょう。
『では、どの島も不干渉を貫く、ということで』
「そうね、そうしてくれると助かるわ。アタシ達、基本的には何も考えていないもの。主義や思想なんてこれっぽっちもない。アタシ達にあるのは、たったひとつの目的だけ」
ローゼンロールさまは肘掛けに預けていた姿勢を正し、男性らしい顔付きで音飛び石に向かい、
「夜を追って、シグドゥを潰す。アタシ達のすることは変わらない」
キリッとした発言と凛々しいお姿に、わたしは感銘を受けました。
うーん! これはその、ローゼンロールさまは確かに頼り甲斐のあるステキなお方です! 何よりちゃんと話を聞いて、ちゃんと話をしてくれるところが最の高! どっかのフハハとは大違いですう!
わたしが内心断然ローゼンロールさま推しになっていると、音飛び石の向こうからリルウーダさまが、
『それでそのー、イオシウスのことなのですが。ローゼンロール様から直接伝えていただけんでしょうか?』
「イヤよ。アタシ、あの爺さんキライだもの」
『ローゼンロール様……』
「てゆーか、あの爺さんのことだし、全部承知なんじゃないかしら」
『確かに、その節はあるように思いますが……』
リルウーダさまの予測に、わたしも口元をむにゃむにゃさせました。フハハさんはその人格が超残念なフハハですが、頭の回転はおそろしく速いフハハなのです。
ローゼンロールさまはぷいっとふてくされた調子から、ふっ、と微笑を浮かべ、
「ダメね、アタシ達って。つい目の前のことに囚われちゃって、大事なことを忘れてしまってばかりで。ホントはもっと、沢山話し合わなきゃいけないのに……。特に大切な人にはね、ちゃんと言葉で伝えなきゃ。リルウーダちゃんも言葉を贈る機会、逃しちゃダメよ?」
『ローゼンロール様には敵いませんな……』
恐縮し、自嘲気味になったリルウーダさまのお声に、ローゼンロールさまはまたまた片手をイヤンさせて、
「はーもう、イヤんなっちゃう。大きくなるとみーんな畏まっちゃって。変に距離を取ろうとするのよね。フィリニーナノちゃんなんて特にそう。あんなにかわいく笑えるのに、あの娘いっつも難しい顔しちゃって。勿体ないったらありゃしないわ」
それから、昔を懐かしむような、とても優しい表情で、
「ね、また昔みたいに、ロールお爺ちゃんって呼んでちょうだい」
ところ変わってヴァヌーツの議事堂、はがねで出来た大広間。
広間の窓掛けを震わせる、一糸乱れぬ弦の旋律。
拍子に合わせてしゃらりと響く、鈴の音のようなはがねの飾り。
ヴァヌーツ女性陣によるローゼンロールさま歓迎の大合奏。
わたしは絨毯の上、ローゼンロールさまの横で一緒に演奏を楽しんでいます。ヴィガリザさまはリルウーダさまと相談することがあるとのことで、わたしがお供をするよう仰せつかったのです。
ヴァヌーツの演奏は弦にはがねの音をふんだんに取り入れた総譜のようで、もしかするとこの世界で最も優れた技術の音楽かもしれません。隣で正座するイーリアレからも超ハッスルな雰囲気を感じます。
「ありがとう。ホントに綺麗な音色だったわ」
「そんな、光栄です。ロールお爺様……」
奏者が演奏を終えると、ローゼンロールさまが一人一人ハグして回り始めました。お姉さまたちは見た目十七、十八にしか見えませんが、中には六十を超えるお年寄りもいるそうで。みなさんローゼンロールさまリスペクトなのが窺えます。
ローゼンロールさまがお姉さま方に掛ける言葉はお世辞や常套句などではなく、しっかり個人を認めてくれるもので、必ず本人の名前を覚えていて、必ず本人のことを尋ねるのです。
ヴァヌーツでローゼンロールさまが親しまれている理由がよく分かる光景です。
ローゼンロールさまは奏者が退室するのを見送ってから、わたしの隣に戻ってきました。わたしは胡坐をかいた長身を見上げ、
「ローゼンロールさまも音楽がお好きなのですね」
「ええ、好きよ。だって、男には出来ないことだもの。みんな本当に凄いわ」
わたしたち女性は気込め石で作られた弦を使い、自分の体を共鳴胴とすることで弦を奏でますが、男性の肉では音が出せないそうなのです。
ローゼンロールさまが言うには、この世界の男性は基本的に単機能生物。物語や建築を除き、作れるものが極端に少ない。そも、その才能、素養が無いそうです。
お話がひと段落したところで、今度は沢山のお料理が運ばれてきました。
蒸し魚、焼き魚。勿論お刺し身、定番の魚介スープも。
ローゼンロールさまは床に並べられた赤色多めのお料理をキラキラ笑顔でジーッと眺めています。眺め、眺め続けて……、あれ……?
「えー、ローゼンロールさま。召し上がらないのですか?」
「あら? これ、食べるものなの? だってこんなにキレイに飾ってあるのに、崩しちゃうのが勿体ないじゃない?」
「えー、とですね……」
アカンと思ったわたしが慌てて説明すると、ローゼンロールさまはハリッサがたっぷり乗ったお刺し身を手掴みでガバッと口に運び……、
そのままごくんと飲み込んでしまいました。
「あの、ローゼンロールさま。噛んで食べないと、味を楽しめないですよ?」
「あら? これって飲み込みやすいように柔らかくしてるんじゃないの?」
「えあー、えっと……」
うーん! 完全野生生物に食事の仕方を教えてる感じが実に久しぶりです!
ていうか、ヴィガリザさまがわたしに任せた理由が分かりました。ヴィガリザさまは自分が分かっていることを他人に説明するのが大嫌いなのです。フギギッ!
隣でご相伴に預かり高速で口を動かすイーリアレはさておき、わたしはアルカディメイアでナーダさんに解説したことと同じ内容をちゃきちゃきお話しました。
すると、ローゼンロールさまは我が意を得たりと箸を手に取り、
「んー、いいわねえ、これ! ていうかあの爺さんこんなイイもの知っといてアタシに何も言わないなんて、今度会ったらブン殴ってやるんだから! 会いたくないけど!」
やっとお食事を始めてくださいました。
ローゼンロールさまはとても飲み込みの早い人で、お箸や串の使い方をあっさり習得。作法的に下品なところも、もう全くありません。
わたしがほっとしていると、ヴァヌーツの人が次から次へとお料理を持ってきました。ローゼンロールさまの食べるスピードを見計らっていたのでしょう。
ヴァヌーツの女性は基本クールな人たちで、あまり感情を表に出さないのですが、今日ばかりはルンルンです。何せ自分が作ったものを五海候に与えられるのです。この世界の人間にとって、これ以上喜ばしいことはないのでしょう。
お料理に続き、ローゼンロールさまの傍らに巨大なはがねの瓶がズガンと到着。ローゼンロールさまは特大はがねの盃を手渡され、ダイナミックにざばんと注がれたお酒をグイッと飲み干していきます。
その素晴らしい飲みっぷりに、わたしを含め広間の人間から上がる大歓声。陸のものでローゼンロールさまが笑ってくれる、喜んでくれるのが本当に嬉しいのです。
「ローゼンロールさまはお酒もお好きなのですね」
「ええ、好きよ。だって、先生がずっと伝えてる物だもの」
「え!? お酒ってクーさんが伝えたものなのですか?」
「最初に作ったのは誰か知らないけど、そうよ? 知らなかったの?」
「ふわー……」
食べ物の加工に一切興味を示さなかったこの世界の人々が、何故お酒だけを造り続けてきたのか。お酒はクーさんという生ける伝説が、五海候が伝えているものだから。それは人の伝統を守るという、人本来の文化に根付いたものだったのです。
ローゼンロールさまは盃を傾ける手を止め、ほんの少しだけ寂しそうに笑って、
「そうよね、アタシがいないところでも、世界は当たり前のように動いてる。料理に音楽に、みんな色々なことが出来るようになって、ホントに凄いわ……。ホントに、何だか、夢みたいね……」
「ローゼンロールさま……」
ゆらゆら揺蕩う酒面に視線を落としながら、
「デンさんのこと、ありがとうね」
「ゼイデンさま、ですか?」
「ええ。最後にいい思い出が出来たって、デンさんの笑顔なんて何十年ぶりかしら」
「え……!」
驚くわたしを気遣うよう、ローゼンロールさまは落ち着いた口調で、
「デンさんはもう持たない、もう言葉が枯れかけているの。アルカディメイアで話したなら、メイちゃんには分かるでしょう?」
「そん、な……」
言葉が枯れると人は死ぬ。確かに、スナおじさまにそう教えられました。ですが、わたしは今まで言葉が枯れかけた人と会ったことがなかったのです。
まさか、ゼイデンさまが。ゼイデンさまのあの拙い話し方は、そういうお爺ちゃんなのだとばかり思っていたのです。
「勿論、今すぐじゃないわ。でも、デンさんはその前に全てをぶつけるつもりよ」
「そんな……」
言葉とは外部からの刺激によって生まれ、わたしたちの体に刻み付けられるもの。ゼイデンさまの体に、心に、少しでも言葉が積もるよう。だから、ナノ先生はゼイデンさまに沢山話しかけていたのです。
そして、どうして……。
わたしは俯き、腰巻をギュッと握りしめました。
どうして最期の場所に夜を選んでしまうのでしょうか。
今までずっと夜の世界で戦ってきたのに、もう充分なのに。せめて、最期の時くらい。何故、あの人たちは安息の道を選べないのでしょうか。
「どうして……」
悔しくなって口に出してしまったわたしに、ローゼンロールさまは困った笑顔で、
「ありがとう、アタシ達を気に掛けてくれて。イイ子過ぎるのよ、アナタ。ホント、デイローネちゃんそっくりね」
それから、盃片手にバチンとウィンク、バキューンしながら、
「そんなあなたに、ロールお爺ちゃんが人生を楽しむコツ、教えてあげるわ」
「じゃあねん、ヴァヌーツ! 行ってくるわァん!」
赤い夕陽の落ちる、紫色の水平線。
全てが紅に染まった、ヴァヌーツの砂浜。
お食事を終えたローゼンロールさまは、陸との取り決めに従い長居せず、すぐに発つと言い出したのです。砂浜にはヴァヌーツに住む殆どの女性が、ローゼンロールさまのお見送りにと集まっています。
わたしたちの視線の先、海に向かって歩く、チョコレート色の大きな背中。
ローゼンロール様が浅瀬に足を乗せたところで、
「ロールお爺様……!」
感情の堰が決壊したのか、見送りに来ていた女性の一人が突然座礼の姿勢を取りました。その人はローゼンロールさまに弦を奏上していた、見た目の若いご老人。
振り向いたローゼンロールさまは、女性の元に瞬間移動。筋肉。その人をベリージェントルに立たせ、とびきりチャーミングに笑って、
「ダメよ、頭なんて下げちゃ。アナタ達は真っ直ぐ立ってないと、ね?」
「お爺様……」
「大丈夫よ、安心して」
群青色の闇が待つ水平線。
潮風になびく、銀色の髪。
再び海に向かい歩き始める、一人の男性。
ローゼンロールさまは背中越しに、激渋カッコイイお声で、
「そのためのアタシ達よ」
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