第85話 アーティナ味勝負
一夜明け、いよいよ運命のこの日がやってまいりました。
味勝負です。
レイルーデさんの指定したルールは喧嘩以上にシンプル。お互いが相手の出した料理を食べ、負けを認めた方が負け。
尽くせる手は尽くしました。と言っても、わたしは新しいお料理のレシピをイーリアレに渡しただけなので、つまりは全てイーリアレ任せのイーリアレ頼みなのですけれど……。
とにかく、大講堂の一室をおかりし、いざ尋常にお食事開始。
そんな訳で、イーリアレとレイルーデさんは大きな食机に用意された沢山のお料理を挟み、無言で手と口を動かしている真っ最中。おいしそうなお料理がどんどん二人の口の中に消えていきます。
その光景を前に、わたしはぽつんと正座中。見極め役を任されたので、わたしはお料理を口にしてはいけないのです。空腹ではないのですが、自分の口に入らないものを見るのはかなりきついと言いますか……。
いたたまれなくなったわたしは、とうとう痺れを切らし、
「レ、レイルーデさん。そろそろお料理の説明をしたいのですが」
「食事中です。会話は控えていただけますか?」
「え、あ、はい。すみません……」
怒られてしまいました。
わたしは膝に手を乗せ、体を小さくしながら二人の食事風景を改めて眺めます。ていうか何かその、スゴイ、地味なのです……。
頭の中の記憶にも食事の優劣を競うような催しがあったように思いますが、お互いの技術を説明し合ったりで盛り上がったりなんかして、テンション持ち上げてくものだとばかり思っていたのです。
ひと口食べて、「むっ、これは!」とか大げさなリアクションをしたり、隠し味を見抜いてさらに驚いたりとか、そういう熱いやり取りが全くないのです。
食事の姿としてはこれが普通、正常だと思うのですが……。
「うむうむ、これはうまいのう! こういうんじゃったら毎日でも食べたいのう!」
わたしの対面。ご相伴に加えられたリルウーダさまのとても気持ちの良い反応。
アーティナに来てからはリルウーダさまとずっと一緒にお食事してきたのですが、リルウーダさまには島の男衆からアレに甘いものばかりが届けられ、かなりかわいそうな食生活になっていたのです。
こうしてちゃんとおいしいものを口に出来て、とてもよかったと思います。
わたしがその笑顔にほっこりしていると、
「人にものを与える立場の人間がそのようでは困ります。最強ババアは早くこのくらい作れるようになってください」
「え、あ、おう」
「続けてよろしゅうございますか?」
「す、すまん……」
レイルーデさんのきっつい注意で一気に消沈するリルウーダさま。
この世界の強者の理的に全くもってその通りなのですが、リルウーダさまは超苦労されてるお婆ちゃんなので、もうちょっとこう、いたわってあげても……。
とか何とか考えてるうちに、滞りなく主菜は終了。
さて、いよいよ勝負の分かれ目です。レイルーデさんが用意したお食事は、タレや味付けに工夫が見られましたが、わたしが伝えたレシピからそう遠くないものばかりでした。
差が出るのはやはりここ、甘味のターン! つまりはデザートですね!
レイルーデさんの手でイーリアレの前に供されたのはお茶碗に盛られた白い塊。
レイルーデさんはアーティナで流行りのふんわりムースでなく、アイスクリームを用意してきたようです。むう、あれもおいしそうですが、こちらはひと味違いますよ。
イーリアレも食後のひと品をレイルーデさんの前に置き、被せてあった布を取り払いました。ふわっと現れたのはアーティナ特産果物の盛り合わせと茶色い液体が入った大きなどんぶり。
その中身こそ、わたしがヘイムウッドさんに試作をお願いしていた本日の秘密兵器。ズバリ、チョコレートなのです!
「レイルーデさん、よろしいですか?」
「何でしょう?」
さっきは口出しして怒られましたが、今度はそうはまいりません。わたしは強気に前のめりになって、
「食べ方の説明をさせていただきます。こちら、果物を茶色い液体に浸してから召し上がってください。食べる直前に周囲の液体だけを凝固させますよう。手段は気込め石でも水込め石でも構いません」
「食べる人間に都度成型させるのですか? 手間ですね」
「それも食べる楽しみの一つになるかと。アーティナの女性にとっては特に」
「ほう?」
わたしがイーリアレに用意してもらったのは、食材をチョコで包み込んで自由に楽しむ、そう、チョコレート・フォンデュの変形です。
「では、手頃な果実で」
そう頷き、レイルーデさんはイチゴのような果物を掴み上げました。そしてチョコの泉に浸してイチゴを引き上げると、トゥルッとしたたる滑らかな光沢を放つチョコがあああ食べたいです!
レイルーデさんは右手に水込め石を纏わせ、チョコを凝固。すると、まるで自然が生み出したありのままの彫刻作品のような、きれいな仕上がりに。
レイルーデさんはチョコに包まれたイチゴを様々な角度から観察し、
「果実の造形をここまで立体的に際立たせようとは……。これは殿下もお喜びになるでしょう」
「はい、アーティナの女性に好まれるのでは、と考えた理由がそれです」
和菓子もそうですが、頭の中の記憶ではチョコの造形も一つの文化になるほど。視覚は食事を楽しむための重要な要素なのです。
何より、とわたしはチョコを持つレイルーデさんをくわっとガン見。
ほっそりとした白い指先に乗せられた、茶色く光る甘い誘惑。ふむふむ、チョコレートというものは女性が持つとかわいく見えるのです、何となく。
レイルーデさんはチョコを片手に深く頷き、
「嫌がる殿下の口に無理矢理果実を突っ込み、トロけていく様が目に浮かぶようです。流石、アンデュロメア様のド下衆思考は格が違う」
「え、いや、なんか想像に差があるような……」
「では……」
わたしはレイルーデさんがイチゴなチョコを口にするのを、かたずを飲んで見守りました。
問題があるとすれば、そう、わたしがまだチョコレートの味見を出来ていないこと。目の前でチョコを食べる光景にわたしの心が耐えられるか、なのです。
あ……む、とレイルーデさんがチョコでコーティングされたイチゴにかぶりついた瞬間、
「おぉふっ!」
ぱっき! というチョコレート絶対破砕音がわたしアンデュロメイアのお脳にクリティカルヒット! 食べたい! しかし、怯んでばかりもいられません。すかさず追撃をかまさなければ!
「レ、レイルーデさん……。こちらの飲み物と合わせてどうぞ……」
「何故そのように腰砕けになっているのか分かりませんが分かりました」
わたしが用意していた瓶から飲み物を注ぐと、レイルーデさんはそれをひと口味わって、
「ゼフィリアの酒、しかも相当な辛口ですね。口の中が燃えるようです。確かに、この組み合わせは素晴らしい。この甘味には甘さだけではない、複合的な喜びが秘められてるように感じます」
ゼフィリアのお酒はサトウキビのような植物から作った蒸留酒で、ラム酒に近いもの。ラム酒とチョコレートとの相性はグンバツであると、頭の中の記憶が証明しています。
「その豆で作った液体はコクや苦味など、多層的とも呼べる味が特徴で、様々な食べ合わせに適しています。お酒がその味を引き立たせたように、お茶との調和も素晴らしいですよ」
「アンデュロメイア様。私は今、味に集中しているところです。少し静かにしていただけますか?」
「え、あ、はい。すみません……」
また怒られてしまいました。
存分にイチゴを楽しんだレイルーデさんは、次の果物をロックオン。バナナのようなものを掴み、それをチョコどんぶりに突っ込もうとして、
「そこまでです。レイルーデおねえさま」
「なにか?」
バナナを構えたレイルーデさんに、イーリアレは口の周りをアイスクリームでベッタベタにしたお顔で、
「それはまるごとでもいけますが、ひとくちでくちにふくめるおおきさにするとよいのです」
そして、キリッとした雰囲気を漂わせながら、
「ちゃいろいものは、ややなまのかたさがおすすめです」
「ほぅわ、とろけるゥ?!」
その発案に、わたしはがくっと床に手を突きました。
なんてこと! なんてことおうイーリアレ! 手頃なサイズに切ったバナナを生の状態でいい感じになったチョコでちゅちゅみこむですと?!
ぷるぷる震えるわたしに、レイルーデさんは生チョコバナナをもぐもぐしながら、
「何故、唐突に座礼を?」
「す、素晴らしい恵みを生み育んでくれたアーティナの大地に、感謝を捧げたくなりまして……」
「アンデュロメイア様は敬虔でいらっしゃる。しかし、これは表現が難しい。溶けるような舌触りと、どっしりとした甘み。鼻に抜ける芳醇な香りと、微かに残る渋い後味。まるで味の階段……。最早官能的ですらあります」
「はい、きもちのよいおあじです」
「うぐぅッ!!」
ここにきて畳みかけられる批評家めいたレイルーデさんの感想にわたしはまたもや大ダメージ。
やめてくだしゃいもうやめてくだしゃい! わたしは限界ガッタガタでしゅうう! 食べたい! お願いしますひと口だけでも!
わたしは全身から脂汗を流し、地獄のような時間を耐えしのぎました。そして、ようやく二人がお食事を終えて、
「ご馳走様です、イーリアレ」
「こちらこそ、たいへんよいおあじでした」
「しょれはよろしゅうごじゃいました……」
げっそり憔悴しながら、わたしは顔を上げました。どちらが負けを認めるか、いよいよ勝負が決まるのです。
空になった器を前に、黙して向き合う二人。
その無言の時間が、わたしにあることを理解させました。わたしは今日ここで広げられたお料理の数々を思い出し、分かってしまったのです。
わたしがアーティナの人間になるべき理由を。
先日レイルーデさんがスピーチったように、世界は変わったのです。この一年で多くの人の価値観が変わり、強者が与えるものが様変わりしたのです。
わたしが与える者の立場に立つなら、アーティナこそが最適正。
わたしの考えたものをアーティナの潤沢な資源で再現し、世界最多の人口に拡散を担ってもらう。それこそが、ナノ先生からいただいた言葉通り、わたしがより多くの笑顔を育むための最適解。
レイルーデさんは勝負を通して納得させると言いましたが、もしかしたら、それは勝ち負けの結果によるものではないのかもしれません。そう、レイルーデさんはとても頭のいい人。
味勝負は、このことをわたしに気付かせるためのきっかけ作りだったのです。
でも、と、わたしは腰巻をギュッと握りしめました。
思い出すのはゼフィリアでの生活、あの島での毎日。
わたしはゼフィリアの人間でいたい。
わたしはまだお母さまの娘でいたいのです。
これは島主として、持てる者として許されないわがままなのでしょうか。わたしには、それが分からなくなったのです。
「さて」
と、立ち上がるレイルーデさんに、わたしはドキリとしました。ビクビクしているわたしをよそに、レイルーデさんは気込め石で食器を消去し、
「ご馳走様でございました、アンデュロメイア様。それでは、失礼致します」
「は、え? シ、トゥレイ?」
突然の退室発言に、わたしは目を白黒させて腰を上げ、
「あ、あの、わたしがアーティナの人間になるべきとか納得の話は……」
レイルーデさんは、「ああ」と思い出したように手を叩き、
「あれは方便です」
「え、あ、ばー、ホーベン?」
「ええ。アンデュロメイア様がいらっしゃると聞き、アーティナに留まっていたのですが、殿下に付いていかず正解でした。あなたの考えはやはり素晴らしい。お陰様で超おいしい新体験ができました。私、レイルーデは大満足でございます」
それから、嬉しそうにイーリアレに向き直って、
「さあ、イーリアレ。厨房で続きをいたしましょう。その後は喧嘩にお風呂です。人生は楽しいことで一杯ですよ」
「はい、レイルーデおねえさま」
超ルンルンな雰囲気を放ちながら、二人はすったか行ってしまいました。
「え、あ、え……?」
お部屋に取り残されたわたしはリルウーダさまと二人きり。わたしは目の前で起こったことの事実に付いていけず、しばらく呆然としてしまいました。
つまり、レイルーデさんはただおいしい思いをしたかっただけで、わたしはそれにまんまと乗せられてしまったわけで……。
ええと、わたしは、その……、
「あー、その、なんじゃ……」
リルウーダさまは、わたしの肩をポンと叩いて、
「元気出せ? な?」
騙され損の、くたびれ儲け……?
アーティナ都市部の大講堂。
おいしい残り香が漂う石のお部屋。
わたしは石畳に崩れ落ち、頭を抱え、
「ふぐううううううッッ!!」
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