第86話 水と鋼の島、タイロン
「ふぐうう、騙されました騙されましたあ!!」
水と鋼の島、タイロン。
壁、床、天井。全ての調度品が氷で出来た島主の間。
透過壁から差し込む温かな光に包まれた、お昼過ぎのお役目の時間。
わたしは今大きな机を前に、長い長い巻物に指を這わせ、またしても資料整理の真っ最中。
わたしがタイロンを訪れて既にひと月。当初はアルカディメイアでわたしが行った講義についてちょっと実践してもらえないかと言うお話だったのですが、気付けば以下略で、やっぱり体のいい計算係じゃないですかこれ!
「泣き言を漏らしている暇など無い。さあ、次だ」
「ふえええええ! もうおうちに帰らせてくらしゃい!」
「島主として必要なのは民の生活を把握し、慈しむこと。私はこの数字を通して、メイちゃんにタイロンのことを学んで欲しいのだ」
「ウソですそれ! 絶対ウソです!」
もっともらしい言葉を乗せる涼やかなお声に、わたしは半ギレで返答。大きな机を挟んで座るその声の主に、じっとり目線を送ります。
肩口まで伸ばされた白髪。
白い肌に紫色の瞳。
青い帯を高い位置で締めた白い着物。
二十歳そこそこで老いを止めた、長身の女性。
タイロンの島主、シェンスンさま。
シェンスンさまは山盛りアイスクリームを匙ですくい、形のいい唇へと運び、
「フッフ、まるで春先の雪解けのような舌触り。何度口にしても飽きることがない」
「シェンスンさまも飽きませんね……。ていうかたくさん食べ過ぎて材料が無くならないか心配になってきました」
「タイロンには山羊も牛もいる。男に頼めば、これこの通り。なにより塵海のゼイデン様が直々にご教授くださった氷菓よ。作り広めねばそれは不敬に当たるというもの」
シェンスンさまはフェンツァイさんより少し柔らかい目元を妖艶に細め、またアイスクリームをぱくり。そして、タイロンの女性らしいしたり顔で、
「人生に必要なのは情報の更新。つまりは新たな目覚めであろう」
「かといって、人にああいう書を薦めるのはどうかと思うのですが……」
新しい文化を認め、それを広めるのはいいことだと思いますが、シェンスンさまはお役目中にも関わらず、これがタイロンの洗礼であるとばかりにあっち方面の趣味を布教しまくってくるのです。いえ、勿論全部お断りしましたが……。
「同姓同士の友情は文学において普遍の主題のひとつ。問題は無い」
「えあー、内容がその、問題アリアリかと……」
「物語自体に害があろう筈も無い。全ては受け取り方次第、それこそ人の業というものよ」
「うぅわ、自己責任」
呆れるわたしに、シェンスンさまは白い匙を咥えたまま流し目を寄越し、
「それにしても、メイちゃんよ。今すぐ老いを止める気はないのか?」
「えー、今すぐはちょっと……」
「ふう、庇護欲を煽るその弱々しさ。抱きしめたい……」
「いえ、もうそういうのいいんで……」
わたしはセクハラ紛いの視線をキパッと無視し、目の前のデータ整理に再集中。
タイロン女性は弱くてかわいいもの好き。わたしの容姿はやはりシェンスンさまのツボだったらしく、お風呂に着替えにとわたしに付きまとい、隙あらばお腹を触ろうとしてくるのです。
ていうかガチのセクハラで困っているのですおもっきし叫びたいのです。自重してくださいシェンスンさまと大声で!
「お、終わりました……」
本日のノルマを終え、わたしはべちゃっと机に突っ伏しました。シェンスンさまはアイスクリームをしゅばっと食べ終え、器を消去。それから巻物を検め、満足そうに頷き、
「うむ、助かった。ウーダ先輩からメイちゃんに押し付ければ大体何とかなると聞いていたが、期待以上の処理っぷりで我々大歓喜。足場固めとしては充分であろう。さて、そろそろ落ち着いてきたところで、メイちゃんよ、アーティナでの重要な案件について話し合いたいと思うのだが」
「は、はい!」
何だか聞き捨てならない台詞が聞こえたように思えますが、とにかくわたしは顔を上げました。やっと島主的な本題に入れるのです。
わたしがアーティナに、世界に持ち掛けた妥協案は、他の島の男性に本気惚れした女性はそのまま移住オッケー、という身も蓋もないもの。つまり、自島の男性を大切にするタイロンからすれば、ドロボウ猫の侵入を許すと同じことなのです。
「やはりその、タイロンは反対なのでしょうか……?」
そんな理由もあって、わたしはビクビクしながらシェンスンさまの反応を待ちました。
一緒にお仕事をしてよく分かったのですが、シェンスンさまはとても端的で鋭い考えの持ち主なのです。どんな突飛な発想でも、それを現実に落とし込むにはどうすべきか、根拠と方法を考え、人に説くことが出来る。超優秀な島主であらせられるのです。
シェンスンさまは背筋を伸ばした行儀のよい姿勢で、
「惚れた腫れたは当人同士の問題。他人が口を出すことではあるまいよ。今はそれよりも重要なことがあろう」
「それより重要?」
杞憂をスカされたわたしがこてんと首を傾げると、
「アーティナの男が動いたと聞いた。詳細を話していただこう」
「え、そっち!?」
「フッフ、あの堅物ユリウーネにとうとう春が訪れたと聞く。そんな面白ときめく話を放っておく訳にはいくまいて。どれ、氷の女の心を溶かした男というのは、どのような人物であろうか」
シェンスンさまが片手を上げると、背後で氷の扉がバンッと開き、文官ぽい女性二人が入室して来ました。そのお姉さまたちは机の横に移動、気込め石からべろんと巻物を作り出し、
「名はヘイムウッド。年齢二十一歳。両親死別、家族無し。昨年までアルカディメイアに就学していた模様。専門は識字教育における絵画の有用性、植物の品種改良。現在は海産物の生態を変化させる取り組みにも手を伸ばしているそうです。装飾の分野でも非常に注目されていた人材で、屋敷番の間でも高い評価を得ていた研究者のようです」
聞いてるだけだとえらくハイスペに聞こえますね、ヘイムウッドさん。
「フッフ、流石アーティナ。泥さえ落ちれば光る素材揃いであった訳だ。して、本質情報は?」
「金髪碧眼。身長高め、唇薄め。筋肉はやや少な目、脂少な目、健固め。そして……」
そこまで読んだお姉さま方は資料から目を上げ、キッとした顔付きで、
「お尻は小さ目だとか」
「それ重要」
「うーん!?」
それいらない情報では?!
全力で口をむにゃむにゃさせるわたしを置いてきぼりに、文官お二人は更に脱線した本題へ。
「続きまして、ガナビア娘への告白の件でございます。タイロンが誇る噂大好き娘達が現場で直に聞き耳おっ立ててきた、極めて精度の高い情報です」
「清々しいまでのド腐れ趣味ですね」
「お聞きになりませんか?」
「勿論、聞きますです」
わたしは宙に浮く氷の板の上で正座し、清聴モード。他人のプライベートに顔を突っ込むだなんて、口にするのもはばかられる行いだと思いますが、今この時はやむを得ず感謝せねばねりません。
さて、告白の実情ですが、アーティナの男性陣は事に挑む前から挫折しかけていたそうです。仕方ありません。この世界の男性は異性に対しての興味が殆ど無く、そのノウハウなど全く考えずに育った人たちなのです。
そんな男性たちに対し、ヘイムウッドさんといい感じになったユリウーネさんから、
『下手な小細工は不要。ありのままの自分で勝負すべき』
という超上から目線の助言が入ったそうで。
アーティナ男性陣はユリウーネさんの教え通り、ド直球勝負。特大の花束を抱え、ガナビア女性の前にひざまづき、ありのままの思いを伝えたのだとか。
その報告を聞いたシェンスンさまは、陶酔したように目を閉じ、
「ええやんけ……」
「しゅてきですねえ……」
頬を押さえてわたしもうっとり。結果は四組とも成就だそうで、とてもいいことだと思います。ていうかアーティナの男性は舌が残念なだけで見た目はピカイチなのです。さぞ絵になったことでしょう。ロマンス。
「男達がどんな言葉で勝負に出たのか、後学のため是非とも知っておきたいが、これは個人の問題。その言葉、その思いは意中の女性だけのものだ」
「しょの通りでしゅ」
「しかし、ガナビアは鼻高々であろうな」
この世界の人間の精神構造的に、求められる以上に嬉しいことはないのです。つまりは完全勝者。しかも告ってきた男性はそのまま婿入り希望。ガナビア女性は私達の波が来た!と喜びまくっているそうで。
シェンスンさまはひとしきり満足したあと、仕切りなおすように姿勢を正し、
「さて、次だ。アルカディメイアにおいての最重要案件、透海のこと。同郷であるメイちゃんに彼の男のことを直接聞いておかねばなるまい」
「は、はい!」
来ました、今度こそ大事な案件。五海候の例外であるソーナお兄さんのお話です。
ソーナお兄さんはアルカディメイアの夜を一人で守る、いわばあの島の責任者。タイロンや世界の島々からしてみれば、自分の島の学生を預けることになる訳でして。ソーナお兄さんの人となりを知りたいというのは当然のことと思います。
「まずはこちらで調べた情報を」
「かしこまりました」
シェンスンさまの命で、お姉さま方は再び巻物をべろんとめくり、
「名はノイソーナ。年齢二十二歳。肉親は祖母のエイシオノー様。銀髪翠眼、筋肉バリ盛り。身長高め、鼻筋長め、脂少な目、健固め。ですが……」
そこまで読んだお姉さま方は資料から目を上げ、キッとした顔付きで、
「お尻は小さ目だとか」
「それ重要」
「ううーん?!」
それやっぱりいらない情報では?!
シェンスンさまは無駄に色っぽい悩まし気なため息を吐いて、
「正直、ゼフィリアの男はムチムチ過ぎる。趣味ではない。趣味ではないが……」
それから、両のまなこをくわっと開き、
「定石攻めに置いてよし。むっちり兄貴抱擁受けでもよし。君によし。私によし。んーよし。あらゆる組み合わせに対応出来る便利枠として、非常に貴重な存在であると判断した。実に滾る」
「うぅわ、絶対いらない判断ですそれ」
またしても肩透かしな話題の飛びっぷりにわたしは激しく脱力。よもやソーナお兄さんのことまで妄想の燃料にしていようとは思いもしませんでした。
ていうか、アーティナでもそうだったのですが、生まれ故郷の男性をそういう目で見られるのは、うーん……。
わたしが超絶複雑な気持ちになっていると、シェンスンさまは一応真面目に見える表情で、
「最後に、石作りに関して。メイちゃんは人を癒す技を持つと聞いた。極紫を用いたその技は他人への伝授が不可能であると」
「は、はい! おそらくですか……!」
今度こそ来ました真面目なお話です!
そもそもフェンツァイさんがゼフィリア領を訪れた理由は極紫の命石の作り方を知るためでした。母親であり、島主であるシェンスンさまが極紫に興味を持つのも当然なのです。
シェンスンさまは緊張するわたしに向かい、理知的な光を宿す紫色の瞳で、
「我々女性には無理でも、男性に対してはどうか」
「あ……」
その発想に、わたしは目から鱗でした。やはりシェンスンさまはとても鋭いものの見方をするお方です。
女も夜の海に出る、その思想のことばかりに囚われていましたが、極紫の技はそもそもフハハさんの作り出したもの。
「確かに、それができれば……」
わたしがその試案に深く納得しようとすると、シェンスンさまはしとやかに微笑み、
「そう、男が男を癒す絵が生まれる」
「え、そっち?!」
「全く滾る情景です」
驚くわたしの真横、文官のお姉さまたちが全力で首肯。そのお顔に迸る情熱の奔流。つまり鼻血。
ここは水と鋼の島、タイロン。
情欲まみれの政務の間。
シェンスンさまは椅子から立ち上がり、全力握り拳で宙を仰ぎ、
「万物に可能性を見出し、その繋がりの姿を追い求める。尊いやばい無理を繰り返すことこそが肝要。人の生にこれ以上の目的があろうかいや無い断言!」
そのご満悦なお顔に滝のような情熱を流しながら、
「我々タイロンのかけ算に不可能は無いのだ!!」
「自重してくださいタイロンの島主さまァ!!」
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