第84話 アーティナのロマンス畑(2)

「あのー、ヘイムウッドさん? 何か御用ですか?」


 わたしがその名を呼ぶと、シュバッと目の前に参上するツヤキラ生物。筋肉。


 艶のある金髪に青い瞳。

 無駄にキメ細かい白い肌。

 薄黄色の着物を色鮮やかな羽織で包んだ、長身の男性。


 アーティナのヘイムウッドさん。


「ひ、姫君! ほ、本日は大変お日柄も良く、ご機嫌麗しゅうございます!」

「はあ」


 そのご機嫌は既にギシギシ斜めに傾げまくっているのですが、ヘイムウッドさんはいつも通り空気の読めないキラキラ笑顔でごアイサツ。


 正直心底イヤなのですが、わざわざ昼に訪ねてきてくれた男性を無碍にするわけにはまいりません。


「ヘイムウッドさん、何かあったのですか? リルウーダさまにお届け物ですか?」

「いえ、今日はその、別の用事がありまして。ああっ、勿論ウーダお婆ちゃんには毎日孝行せねばと思っております!」

「いらんいらん。年寄り扱いはもう沢山じゃ」


 ヘイムウッドさん必死の弁明に心底イヤそうなお顔をするリルウーダさま。しかし、今日のヘイムウッドさんはお脳と舌だけでなく、少し様子がおかしいようです。挙動不審というか、取り繕ったような振る舞いで。


 わたしは首を傾げながらも丁度いいと思い、気込め石を作ってヘイムウッドさんに渡しました。


「ヘイムウッドさん、あの蔵の作物の調理法です。これと共に、いつも通り他の島におすそ分けお願いします」

「何と! ありがとうございます、姫君! あれも甘くなりますか!?」

「えー、まあ、そういうのも記しておきました」


 今日視察した蔵に詰まっていたのは大量のじゃがいも。といっても頭の中の記憶にある丸々育ったものと違い、ほんの小さな根のようなもの。この世界の作物は頭の中の記憶の世界と違い、植物が食用に改良されていないのです。


「甘いものといえば、姫君に伝授された豆の加工が上手く行きまして!」

「え、ホントですか?!」

「ええ! 姫君の教え通りのものになったと自負しております! ですがその、いまいち評判が……」


 笑顔を曇らせたヘイムウッドさんに、リルウーダさまは胡乱な視線で、


「ああ、あれか。お主ら男衆がまた泥を飲み始めたと、娘共が呆れておったわい」

「はい、どうやら見た目で敬遠されているようで、というか口を付けてすらもらえない有様で……。しかし、味には自信があります! あれは間違いなく甘味の可能性を広げるものです!」

「ええ~、ホントかのう……?」


 引き続き疑いの眼差しなリルウーダさまの隣で、わたしは内心大喜び。アーティナの男性の舌は全く信用できませんが、これは別です!


 ヘイムウッドさんの研究は香り高い花の育成だったそうなのですが、現在は品種改良の方面にシフトしているのだとか。この世界の人間には気込め石がありますし、わたしは専門外なので、どーんとお任せしているのです。


「ヘイムウッドさん、ありがとうございます! 引き続きお願いいたしますね!」

「お任せください、姫君! いずれは主食である魚介類も果実と同じ味にしてみせます!」


 感極まったヘイムウッドさんを前に、光速で顔を見合わせるわたしとリルウーダさま。そして、シッカカカーンとお脳に電流が走るような感覚。


『ムリジャトオモウ!!』

『デスヨネー!!』


 以心伝心、女性同士のテレパシーのようなもの! 何かよく分かりませんが受け取れました伝わりました!


 魚はどうやっても果物にならないと思うのですが、ヘイムウッドさんにお任せしていたアレが完成したとあれば、明日の味勝負の決め手になるやもしれません!


 わたしがイーリアレに渡すレシピのことを考えていると、ヘイムウッドさんが急に空を見上げ、


「うん? ああ、聞いた通りだ。明日夜が明けたらひとっ走り行ってこよう。姫君のおかげで、また新しい味が楽しめるぞ。……いや、それは分からん。しかしなあ、奴等が欲しいと言っても、あれは女性のものだろう。俺等にはどうにも出来んぞ?」


 どうやら近くにいる男性とお話をしているようです。


 ですが、気になったのはその内容。この世界の男性は個人で完結した生き物で、尚且つ欲求に乏しい。何かを欲しがる、しかも女性の作った物に興味を示すなんて滅多にないことなのです。


 わたしはヘイムウッドさんの長身を見上げ、


「わたしたちの作ったもので、何か欲しいものがあるのですか?」

「ええ、ホロデンシュタックの奴等がタイロンの女性の作った話を読みたいと言っておるのです」

「な、ん、で、すっ、て!? あの、ヘイムウッドさん。そこんとこもうちょっとこう、詳しくお願いします」


 タイロンの書と言えばあっち方面の書。まさか現実の男性同士のごにょごにょがあるなど夢にも思わなかったのです。これは何と言いますか、そう、学術的な興味なのです、よく分かりませんが!


「ホロデンシュタックの奴等が作る話は、外に向かう話ばかりなんです。主人公が色んな場所に行って違う景色に出会う、読者を遠くに連れていく話なんですよ。奴等は世界の構造を説明できても、個人の内情を表現するのが下手なんです」


 ヘイムウッドさんは長いまつ毛を伏せ、超感心した様子で腕を組み、


「タイロンの女性は、内向きの話を作るのが上手いと聞きます。精神的な変化や話の決着も心境の変化で表現すると。奴等はそれを凄い褒めてましてね。身に付けたいが難しいと、唸ってます」

「それはつまり、技術を知りたいと」

「それはそうでしょう」

「ですよねー」


 ほっとひと安心したわたしを前に、ヘイムウッドさんは腕組みを続行したまま、今度は形のいい眉をしかめ、


「やはり、陸が狭いのをどこの島の男も気にしているのです。ホロデンシュタックの奴等が話作りに没頭しているのは、娘や妹に色んな世界を見て知って欲しいからだと。想像だけでもして楽しんで欲しい、とにかく喜んで欲しいのだそうで」

「うそォん!?」


 思わず口に出してしまったわたしに、「いえいえ、姫君」とヘイムウッドさんは柔和に笑い、


「クルキナファソの連中の悩みもそれと近いものです。女衆には広い土地で飛んだり跳ねたり、もっと自由に遊んで欲しい。しかしそれはどうしたって無理な話です。だからせめて自分の家族が安心して眠れるよう、ああでもないこうでもないと、ずっと家を建て替えているんです」

「そんな理由が……?!」


 わたし同様、驚きで固まるキリリなお姉さま。男性陣の奇妙キテレツな行動の裏にそんな思惑があったなんて! なんかもう女性側が知らなかった新事実がボロボロ出て来てきますよ!


 わたしとキリリなお姉さまが驚愕で硬直していると、リルウーダさまは腰に手を当て、鋭い目付きでヘイムウッドさんを見上げ、


「ヘイムウッドよ、お主、世間話をしに来た訳じゃなかろう。儂が暇に見えるか? 率直に申せ」

「その、ああ……。ウーダお婆ちゃんには敵いませんね……」


 大きく息を吐くヘイムウッドさん。よく分かりませんが、リルウーダさまはヘイムウッドさんの挙動不審を見抜いたようです。


 ヘイムウッドさんは花畑に腰を下ろし、足を開いた座礼の姿勢を取りました。それから、きれいな両拳で大地を突いて、


「我等アーティナの男に、他の島の人間になるお許しを頂きたく」







 男が島を出る。


 空気を凍らすその申し入れに、硬直を通り越し停止してしまうわたしたちの時間。聞きようによっては自分の島を見捨てる発言に、わたしたち一同の血の気が引いていくのが分かります。


 わたしとキリリなお姉さまは即その場で正座。リルウーダさまはヘイムウッドさんと向き合うように胡坐をかき、緊張感を伴ったお声で、


「それは男衆がアーティナを出るということか? 一体何故じゃ。何があった。まさか男衆全員という訳ではあるまいな」

「いえ、アルカディメイアで就学中の者、四人だけです」

「四人か……」


 その答えにほんの少し落ち着きを取り戻すリルウーダさま。張り詰めた空気の中、ヘイムウッドさんは再び口を開き、


「ある植物の研究をする折、ガナビアに協力を求めたのですが」

「報告は聞いとる。実や根を太くさせ、雑味のない植物を作るのに成功したと。中々の成果を上げたようじゃとな」

「はい、ガナビアには男衆だけでなく、女性の方にも手助けして頂きました。そこで初めて気付いたのです。ガナビア女性の植物を深く慈しむその心に。そして同じ時間を過ごす内に、草木に寄り添う彼女たちの姿に心打たれ……」


 ヘイムウッドさんは、とても麗しいイケメンヴォイスで、


「奴等はその思いを告げずにおれなくなったのです」

「ンンッ!?」


 その言葉にわたしは胸を押さえてのけぞりモーション! キリリなお姉さまもわたし同様ズキュンと被弾状態! 意外! アーティナの男性のお脳に異性のことを考える機能があっただなんて! 不覚にもときめいてしまいました!


 思いも寄らぬところから降って湧いたお話にわたくしアンデュロメイアは大興奮ですよ!?


 はらりと垂れる艶々の前髪。ヘイムウッドさんは頭を下げた姿勢のまま、


「島を移った後の働きに関しても考えております。ガナビアは風呂を作りたいと聞きました。奴等は水を作れますし、その役に立てるのではと」

「ンアンッ!!」


 あら堅実! 現実的じゃないですか! そういうの大事ですよ! わりと!


「奴等はまだアルカディメイアにおりますし、事の発端は俺が言い出したことです。なれば俺がと、今日こちらに伺った次第なのです」


 超ド真面目に畳みかけるヘイムウッドさんに、リルウーダさまは言い難そうに口元をむにゃむにゃさせて、


「しかしじゃな、ヘイムウッドや。生まれてくる子に、その、石の不備があっては困るじゃろう……?」


 血が混ざれば肉と石の相性が崩れてしまう恐れがある。わたしが伝えてしまったばかりに、リルウーダさまはそれを懸念しているのです。


「いいえ、ウーダお婆ちゃん」


 ヘイムウッドさんは顔を上げ、その手を膝に、背筋を伸ばした居住まいに。そして、狼狽えるわたしたちの不安を打ち消すように、静かに笑って、


「この世界の男で、与えられた生に不満を持つ者など一人たりともおりません。我等は常に万全でございます」


 そう言って、ヘイムウッドさんは右手に黄色い石を纏わせました。瞬間、わたしはその力の気配に気付き、誰よりも早く空を見上げ、


「リルウーダさま、上を!」

「なに? ……ぬおっ!!」


 わたしたちの頭上に出現した、雲を突き抜けるほど巨大な一枚岩。わたしたちを、アーティナを守るよう四辺を囲む形で浮遊する、モノリスのような四枚の大岩。


 わたしたちがその要塞めいた大岩を唖然と見上げていると、


「二千年です」


 その声で、はっ、と視線を戻すわたしたち。いつものなよっとした麗しさは何処へやら、ヘイムウッドさんはまごうことなき男性の面差しで、


「二千年以上、アーティナはその形を変えておりません」


 ゆっくりと立ち上がり、固い意思を宿した青い瞳をわたしたちに向けて、


「今この時、己に備わる力で必ずや事を成し遂げる。それが俺達です。ですからどうか、ご安心なさいますよう」


 その言葉に、わたしの心の底から湧き上がる温かい感情。その立ち姿を見て、わたしは、ああ、と思いました。


 この人たちなら信じられる。

 この人たちだから、信じられる。

 そう、舌以外は。


 ヘイムウッドさんは軽く腕を振り、頭上の岩壁を消去。再び穏やかな空気に戻った花畑で、リルウーダさまは、くっ、と小さく笑って、


「分かった。家族がおるものはきちんと承諾を得るように。が、少々楽観的過ぎやしないかの?」

「は、それは……」


 ひょいと立ち上がり、流し目気味にヘイムウッドさんを見上げて、


「思いを伝えられた程度で、おなごが首を縦に振ると思うたら大間違いじゃ。この世界の女は、シグドゥよりも手強いぞ?」

「手厳しい。しかし、その通りです。言葉に花を添え、思いを伝える助けになればと考え、大講堂に参考を求めたのですが……。アーティナの女性はあまり草花に関心が無いようで……」

「ンアアッ!!」


 健気な新事実にわたしは再びのけぞりモーション! あのお花の名簿!? あのリサーチをプロポーズの手助けに使うつもりだったのですか!? ベタ過ぎ! でも悔しい! ときめいてしまいます!


 わたしが不意打ちめいたときめきに胸を押さえていると、バンッ、という音が花畑に響き渡りました。それはヘイムウッドさんの胸板に拳が叩き付けられた音。


 ヘイムウッドさんの胸板に一撃見舞ったのは、誰あろうキリリなお姉さま。


「アーティナの女がどんな花を好むか、その一覧です。まだ空きがありますが、すぐに埋めて見せます」


 ヘイムウッドさんの胸に叩き付けられたのは、わたしが廃棄したはずの花の好み名簿。キリリなお姉さまがそれを拾い作成を進めていようとは、律義にグッジョブな性格です。


 キリリなお姉さまはヘイムウッドさんをキリッと睨み、


「他の島の女にうつつを抜かすのは結構。しかし、我々アーティナの女が自然をないがしろにしていると思われるのは心外です」

「いえ、決してそのようなことは、ユリウーネ様」


 ケロッとした様子で答えるヘイムウッドさんに、キリリなお姉さま改めユリウーネさんは驚いたように一歩退いて、


「私のような年増女の名前を、何故……?」

「勿論、存じております。大広間に務める女性はこの島の中核。貴女達の働きあってこそのアーティナではありませんか」


 ヘイムウッドさんは胸に張り付いた名簿を剥がし、その紙面を目で追い、


「東の断崖に咲く、青い花。ユリウーネ様は、あの花がお好きなのですね……」


 それから真っ直ぐユリウーネさんと向き合い、憂いを含んだ声音で、


「貴女の瞳と、同じ色の花だ……」


 わたしとリルウーダさまが見守る中、真っ赤に染まっていくユリウーネさんの背中。ぶわっと総毛立つハニーブロンド。


 ヘイムウッドさんは悶絶色気を伴う悩まし気な麗しくも儚い微笑で、


「俺も、あの花が大好きです」


 緑の水平線と、透き通るように青い空。

 小さな花をさわりと撫でて吹く、草原の風。

 二人の男女の影を鮮明に映し出す、温かな日差し。


 スローモーションのように流れていく周囲の時間。その時間の中、わたしは胸の前で手を構え、あらゆる石を作り出そうとして――、


「あああっ! 何を! 何をするんれしゅかリルウーダしゃま!」

「お主こそ何をしようとした! ああいうのは当人同士の問題じゃと言っとろうが!」


 わたしの視界から高速で遠のいていくヘイムウッドさんとユリウーネさん。リルウーダさまがわたしを抱え、花畑から超速で離脱したのです!


「あああ離してくだしゃいリルウーダしゃま! 演出です! 演出が足りましぇん! 花びらを! 音楽を! 五重奏、いえ六重奏で盛り上げてみせましゅ! 忘れられない思い出の一場面として人生を彩らねば! あれこしょわらしが夢見た! 待望のををを!」

「ええい、黙らんか! この激野暮娘め!」


 地肌を剥き出しにした断崖に沿い、空を駆けるように走る世界最強の女性。リルウーダさまはじたばた暴れるわたしを高速運搬しながら、


「ふうむ、長生きはしてみるもんじゃのう……!」


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