第52話 覇海のイオシウス(4)

「たのもー!」


 ゼフィリア領お島屋敷。

 お昼過ぎの厨房にて。


「オキャク…サマ……?」


 調理台に突っ伏していたわたしは、その元気なお声によぼっと顔を上げました。顔を上げたわたしの隣には、相も変わらず高速で手を動かしているフハハ生物。


 わたしはそのゴキゲンな姿に恨みがましい目線を投げつけました。このありがた生物のおかげで、わたしはもう色々ギリギリ状態なのです。


 当初は極紫の命石に関して頑張らねばーと頑張っていたのですが、ぶっちゃけ折れました。何故なら要求される課題がより難解なものになってきて、極紫について考える余裕が消え失せたのです。


 石作り同様、お料理の方もわたしの理解の範疇をとうに超えた有り様で、もうこの生物が何処まで行きたいのか見当も付きません。


 そして、極め付けは五海候独占問題。フハハさんがゼフィリア領に居座り続け、既に六日。いつ他の島から苦情が来てもおかしくない状況で、一分一秒がプレッシャーとなってわたしの胃を締め付けてくるのです。


 フハハさんはグロッキーになったわたしを気にした様子もなく、何食わぬ顔できれいなお刺し身を作りながら、


「アーティナの男に茶の葉を持ってくるよう言ったのだ。それであろう」

「チャ?」


 いつの間にそんなことを、と思いつつ、もう驚くのにも疲れました。よく分かりませんが、来客ならばお迎えせねばなりません。


 わたしが宙に浮いた石版からよろっと下り立つと、廊下を歩く足音がどすどす大きくなり、


「メイ! 私を通さずウチの男に用件を言い付けるなんて、一体どういうつもりかし……、ら?」

「ナーダさぁん……」


 厨房に現れたのは、長い金髪をいつものツーサイドアップにまとめたナーダさん。わたしはその姿に安堵を覚え、思わずウルッと来てしまいました。右手には布包みがひとつ。おそらく中身はフハハさんが勝手に頼んだお茶っ葉なのでしょう。


「分かるぞ、娘よ! この者はそなたの姉であろう! フハハハハハッ!」


 と、微妙に滑ったフハハさんを無視し、わたしは変態ゴキゲン生物にナーダさんをご紹介。


「えー、フハ…イオシウスさん。この方はセレナーダ殿下、アーティナはリルウーダさまのご息女にあらせられます」

「リルウーダの娘がセレナーダ。デイローネのひ孫がアンデュロメイア……。なるほど、よく分からん! フハハハハハッ!」


 フハハさんのフハハな様子に、ナーダさんは汚物以下のゴミクズを見る氷点下の目付きで、


「何? このお脳がゴキゲンに残念な生き物は。ていうか、イオシウス? かの輝光帝みたいな名前の人ね」

「ご本人です」

「は?」


 舞うように動き回り、セクシーポーズを間に挟みながらお料理を続けるフハハさん。そんなフハハさんの痴態とわたしの顔を交互に行き交う、ナーダさんの視線。


 わたしはナノ先生のような深いため息を吐いて、


「ご本人です……」

「は???」







「なるほど……」

「うぐっ、ひぐっ……。どうしようもないのです……。どうしようもなかったのです……」


 厨房のフハハさんを置き去りに、わたしは廊下でぐすぐす泣きながら事のいきさつをナーダさんに説明しました。


 ナーダさんは身を屈め、わたしの頭をよしよししながら、


「強き者が与えるべきは最上である。言ってることは全くの道理ね。しかも覇海の御方自らの言葉となると、説得力が桁違いだわ」

「わ、わたしはなにも、わた、わたしはただ巻きを食べられただけで……」

「ギリギリってとこね。他領の人間はまだこの事実に気付いていないようだし、何よりここアルカディメイアは各島からの学生が集まる中立地帯。五海候独占と言い掛かりを付けるには、材料が弱過ぎる」


 その事実を知り、わたしはほんの少しだけ気が楽になりました。


 いつ他領から苦情が来るのか分からない状態でヒヤヒヤしていましたが、ナーダさんの講義で知った通りこの世界の建造物は防音性能が高く、フハハ声を聞いていた女性が少なかったようなのです。


 しかし、アルカディメイアの男性たちは当然気付いている筈なのですが、女性側にはまだこのことを伝えていない様子。男性なりの遠慮があるのでしょうか。


「それに、私だってあなたを責められないわ。ディレンジットがこの島に来ていたことを、他の島に隠しているんだもの」

「ナーダさん……!」

「じゃ、私帰るから」


 立ち上がり、ナーダさんはシュタッと右手を上げてサヨナラのアイサツ。わたしは回れ右したナーダさんのお尻にガシッと全力タックルかまし、


「ナーダさぁん! 帰っちゃイヤです一緒にいてください! ナノ先生わたし一人に押し付けて酷いのです!」


 今日はディラさんシシーさんが他領へ指導に、ナノ先生は講義評価の考査にお出掛けで人が少ないのです。ていうかナノ先生はフハハさんの面倒をわたしに押し付けて逃げたのです。フギギッ!


 ナーダさんはお尻に抱き付いたわたしを必死に引っぺがそうとして、


「私だってイヤよ! 五海候との接触は必要最小限! 可能なら避けるのは当たり前でしょう! それに、ほら! イーリアレがいるじゃない!?」

「イーリアレは、もうダメなのです……」


 わたしはナーダさんのお尻に顔をうずめながら、絶望を吐露。


 ナーダさんが調理台に目を向けると、そこにはフハハさんの作ったお料理を全力でもぐもぐしているイーリアレ。イーリアレはナーダさんの視線に気付いたのか、こくりとお食事を飲み込み、


「たいへんよいおあじです」


 ナーダさんは確信したようなお顔で頷き、


「なるほど、ダメね」

「ダメなのです……」







「フハハハハハッ!」

「凄い、澄んだお味……」


 フハハな笑い声に包まれた午後の厨房。ナーダさんは左手で口元を隠し、ほんのり頬を染めました。ここゼフィリア領の島屋敷で初めてお食事した時とは比べ物にならないほど良いお行儀です。


「しょうれすね、フハハさんの作るお料理は、とってもお上品なお味になっているようれふ」


 ナーダさんが上機嫌で箸を動かすその隣、わたしはずーんとテンション下げ目にじっと手の平を見つめています。


 ナーダさんは頬に手を添え、うっとり目を閉じ、


「何て言うのかしら、混じりけやごまかしがなくて、素材の味がそのまま活きているのよ」

「しょれはようごじゃいました……」

「あ、メイもひと口どう?」

「いえ、わたしはもうお腹いっぱいなのれ……」


 せっかくだからとひと口あーんしてくるナーダさんに、わたしはやんわりお断り。目の前に並べられた色とりどりのお料理から目を背け、現実から意識を切り離そうと努めました。


 おいしそうなお料理が次々作られているにも関わらず、わたしの口には一切入らない。この状況は食の細いわたしにとって、ほぼ拷問なのです。


 頭の中の記憶の世界では飯テロなる行為は非道な犯罪とされ、とても重い罰が科されるのだとか。その制度にはタイヘン共感いたしまする。


「此度の上陸。舌という感覚器、その機能を見直すよい機会であった。味という情報は舌だけで受容し、感知しているものではないようだ。肉の焼ける音、香り立つ果実の芳香。そしてその装いを目で楽しみ、口に入れる。やはりこの選別は面白い」


 滑らかに手を動かすフハハさんの言葉に、ナーダさんはふと考えるように箸を止め、


「料理は旋律……」

「ほう、よい言葉だ! アーティナの娘、よいぞ、褒めてつかわす!」


 何だかいい感じにご満悦な雰囲気の中、わたしは一人フギギと石作りに専念しています。フハハさんに出された課題の石がまだ仕上がっていないのです。


『ご免ください』


 わたしが調理台に突っ伏し唸っていると、玄関の方から本日二度目の来客のお報せが。


「オキャク…サマ……」


 頭の中で組み上げていた思考演算を一時停止し、わたしはよろよろ板間に下り立ちました。


「メイ、あなた本当に大丈夫なの?」

「ヒャイ、ライリョーブレシュ……」


 背中越しに聞こえるナーダさんの心配声に返事をしながら、何とか玄関へ。


「ひゃい、どちら様でしょ……、ぴっ!」


 お客さまをお迎えした瞬間、すくみ上がるわたしの体。玄関口に居たその生物。


 灰色の毛皮にふさふさの尻尾。

 尖ったお耳に五角形の黒いお鼻。

 鋭利な牙と金色に輝く野生の瞳。


 そう、狼です! 森の狩猟者です!


 わたしは大きな狼と睨みあったまま戦闘態勢。目を逸らした方が負け、わたしの中の野生がビンビンにそれを告げてくるのです。


 こ、このままでは食べられちゃいます……!


 よく分からないわたしがうっかり生命の危機に瀕していると、大きな狼がお行儀よくおすわりしました。そして、


『ゼフィリアのお姫様? シウ爺ちゃんに頼まれたの持ってきたんだけど』


 何処からか子供のような高い声が聞こえました。よく見れば、狼さんの足元に布包みが置かれています。


 思い出すのはタイロンのパターン。虎が猫だとすると、この狼はもしかしなくても犬。犬を飼っているのは、確か……。


「もしや、ディーヴァラーナの方ですか? あの、どうしてお姿が見えないのです?」

『だって、俺達の姿はみんなを不安がらせちゃうと思って……』


 わたしが狼さんに話しかけると、また何処からか人の声が。予想通り、声の主はディーヴァラーナの男性のようです。


 ディーヴァラーナは十年前災害にあったと聞きます。何か事情があるのかもしれませんが、わたしが触れるべきことではないかもしれません。


 わたしは石畳の上に置かれた包みを持ち、狼さんにぺこりとお辞儀し、


「分かりました。お届けもの、ありがとうございます」

『こういうの必要ならいつでも呼んで。俺達、植物とか保存するの得意なんだ』

「はい、その時はよろしくお願いいたします」

『またね、ゼフィリアのお姫様』


 大きな狼さんはその場でぺこっとお辞儀し、まわれ右。ちゃっちゃっちゃっと直径路を帰っていきました。


 ちょっと撫でてみたかったですねー、とわたしが後悔しながら厨房に戻り、定位置である石版に座ると、


「届いたか。よし、アーティナの娘よ、茶葉を出せ」

「ああ、はい」

「許す、器を精製せよ。開いた葉が充分に対流出来る容積のものだ。抽出時間は石で調整する」


 フハハさんはわたしの手からパッとお届け物を取り上げ、中身を検め作業を開始。


 ナーダさんは言われるままに砂込め石を作り、真っ白いティーポットを作成していきます。自前の包みから茶葉を取り出して入れ、水込め石でお湯を用意。ポットに取っ手や装飾の類が一切無いところが、この世界の人間らしいです。


 続いて、ナーダさんが湯呑み茶碗を作り、みんなに配ろうとすると、


「それでは厚すぎる。器の肌は極力薄いものにせよ。唇に液体が当たる面積を多く取るのだ。香りを逃さぬよう縁をすぼめる手もあるが、今は注いだ茶の香りが立つよう縁を広げ、注いだ液体がより空気に触れられるよう、大きさを倍に、そうだ、筋がよい」

「そ、それはどうも」


 ナーダさんはフハハさんの言う通りにお茶碗を変形操作。寸胴な湯呑みが、頭の中の記憶にあるティーカップに近い形になっていきます。


「食物の形を変えるのが調理であるなら、それに合わせて器の形状を変えるのもまた必然。練磨の娘よ、許す。部屋の空気を入れ替えよ」

「え、あ、はい」


 丁度イーリアレがお食事をぺろりしたので、わたしは気込め石を使って使用済みのお皿を消去。右手に風込め石を作成し、周囲の空気を新しいものに変えました。


 清調された空気の中、フハハさんがティーポットからお茶碗に紅茶を注ぐと、


「ほわー……」

「わっ、何これ……」


 なんとも言えないふくよかな香りに、わたしたちはもう辛抱たまらないと紅茶をひと口。


「ふ、おおー……!」


 思わずこぼれる感嘆の吐息。


 今まで口にしていたお茶がまがい物なのではと思えるほど、研ぎ澄まされたお味です。香りの高さや微かな甘さもそうですが、何より驚いたのがその後味。舌の上に残る余韻がすんごく長いのです。


 ナーダさんとわたしがその紅茶の威力にとろけそうになっていると、


「芯だ。アーティナの男は茶に色々なものを混ぜすぎる。それでは芯が保てんのだ。味の土台がブレては調和は取れん。味は付けるものではない、引き出し、引き立たせるものだ」


 そしてフハハさんは、ふ、と顔を上げ、


「今、北の森にいるのはヘイムウッドか。ヘイムウッドよ、その草は痩せた土で育てよ。香りの強い、それだ、その隣に植えるのがよかろう。香りの強いその草は水をよく吸うと聞く」


 何処かに向けて話し始めるフハハさん。フハハさんは三日ほど前から、こうやってアルカディメイアの男性たちとよくお話をするようになったのです。そんな訳で、島屋敷は今防音壁を張っていないのです。


「問題は、そのえぐみだ。故意に日の光を与えぬようにするか、ふむ」


 頷き、すぐに眉根を寄せて首を振り、


「ディレンジットは駄目だ。奴には仕事を言い渡してある。第一、奴めの銀砂では作物が育たんではないか。ならん、最優先だ。ディレンジットはオルグノット以来三百年、ようやく現れた銀砂の使い手なのだ。奴には奴めの役割がある」


 男性特有のフハハさんの会話に何か気になることがあったのか、ナーダさんは紅茶を飲むのを中断し、


「あの、オルグノット様というのは、先代の銀海の御方のことでしょうか」

「そうだ」


 頷き、フハハさんは作業を再開しつつ、ぽつりと呟くように、


「そうか。オルグノットが逝って、もう三百年になるか……」

「イオシウス様……」


 その表情に何かを感じ取ったのか、ナーダさんは悲し気に目を伏せました。


 湯呑みから立ち上る湯気に霞み、流れる沈黙。


 紅茶をいただきながら、わたしたちはフハハさんの作業をぼんやり眺め続けました。しばらくして、調理台の上に出来上がったのは長方形の透明な物体。


「仕上げだ」


 ピン、とハーブのような葉っぱを指で弾き、フハハさんは風味だけをその物体に纏わせました。


 仕上がったのは、そう、寒天ゼリーです。


 ディーヴァラーナの男の人が持ってきてくれたのは、寒天のもとだったのです。テングサのような紅藻を大量に集め、冷やして乾燥、要はフリーズドライ、寒ざらししたものですね。


 それを水で溶き、レモンに似た味の果物を搾り、ゼフィリアのお酒と砂糖と一緒に煮詰め、そして冷やして固めたもの


 フハハさんは形が崩れないよう寒天ゼリーの端を包丁で少し削り、お口へ運び、


「ふむ、見た目の涼やかさもさることながら、滑らかな舌触りとプツリと千切れるこの歯ごたえ。上手くいった様だな。口内の温度で溶けず、茶の温度で溶けるのが重要。これならば茶の味をそのままに、様々な香りを組み合わせ口の中で楽しむことが出来よう」


 満足そうなお顔で寒天ゼリーを分割し、それぞれのお皿に盛ってくれました。


「まさか、海のもので甘味が出来るなんて……」


 透き通った寒天を前に興奮気味なナーダさんですが、わたしも激しく同意です。これは頑張ってベツバラせねばなりません。


 明らかに威力の高そうな甘味にわたしたちがキラキラしていると、フハハさんはくるりと雅に一回転。そして両手をぶわっと広げ、


「フハハハハハッ! さあ、食らうがよい! これこそ! 情熱の太陽である余が搾り落とした悦楽の雫である!」


 何故か肌蹴る上半身。剥き出しになる艶かしい胸板。フハハさんはその腰を情熱的にシェイクさせ、きらめいてセクシーに両腕を上げ、


「陶酔せい! 許す!」


 ゼフィリア領の島屋敷。

 紅茶の香りに包まれた、優雅な時間。


 わたしとナーダさんは、まずは落ち着き紅茶を飲んで、


「「お茶くらい静かにさせてください!!」」


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